第2章
 黒vs黒

 ヘリオポリス崩壊後も、クルーゼ隊の執拗な追撃は続いた。
 アークエンジェルを襲う四機の「ガンダム」。その攻撃は熾烈なものだったが、ムウ・ラ・フラガ
とキラ・ヤマトの活躍によって、何とか退け、アークエンジェルは軍事要塞アルテミスにたどり着
いた。
 ユーラシア連邦の軍事要塞アルテミス。基地全体が全方位光波防御帯によって覆われてお
り、敵の攻撃も接近も許さない、難攻不落の要塞。ここに逃げ込まれては、さすがのクルーゼ隊
(クルーゼはアスランと共にプラントに帰還している)も、遠巻きに見ているしかなかった。『電撃』
の名を持つそのMSが無ければ……。



「まいったね、こりゃあ」
 アルテミスの貴賓室。ムウ・ラ・フラガのぼやきに、マリュー・ラミアス艦長と、ナタル・バジルー
ル副長も頷いた。
 味方と思って逃げ込んだアルテミスでの歓迎は、あまり愉快なものではなかった。アルテミスの
司令官ガルシアは、大西洋連邦の軍事機密であるストライクとアークエンジェルのデータを手に
入れ、ユーラシア本土への復帰を企んでいた。避難民も乗組員もアークエンジェルから出ること
を許されず、フラガ達も『歓迎』の名目で、軟禁されていた。
「艦長、このままではストライクのデータがユーラシアの手に渡ってしまいます。外の追撃部隊も
黙っているとは思えません。一刻も早く、この要塞から脱出すべきです」
「バジルール副長に同じく。ガルシアのバカが、『あれ』に手を出す前に抜け出さないとな」
「『あれ』とはシャドウの事かしら? それとも、ガーネット・バーネット?」
「両方だよ、艦長。あれはどちらも俺たちの手に負える代物じゃない」
 ため息混じりに言うフラガ。それはマリューも同意見だった。
 ガーネット・バーネット。G兵器強奪直後、突然地球軍に投降してきた、ザフトのエースパイロッ
ト。『漆黒のヴァルキュリア』と呼ばれ、ザフトで栄光の座を手にした少女がなぜ? 理由を問い
ただしても彼女は応えない。真意の程がはっきりしないため、ヘリオポリスからずっと、営倉に閉
じ込めているのだが……。
「『漆黒のヴァルキュリア』、実物にお目にかかったのは初めてだが、あの娘は強いよ。心も体も
な。俺たちはもちろん、欲ボケのガルシアなんかの手に負える相手じゃない。殺されるぞ」
「そうですね。ですが、私は彼女より、あの黒いストライクの方が気になります」
 ナタルの言葉に、マリューも頷いた。
 ストライクシャドウ。G兵器の開発に携わっていた彼女でさえ知らなかった、まさに影の存在た
る機体。
 姿形こそストライクと同一だが、中身はまるで違う。本家(というべきなのだろうか?)のストライ
クは強化パックを取り付けることでエール、ソード、ランチャーの3タイプに換装できるのだが、シ
ャドウには換装システムが無い。パーツを取り付けても作動しない。戦闘になれば、基本装備で
ある頭部バルカン砲とアーマーシュナイダー(ナイフ)のみで戦うしかない。はっきり言って、自殺
志願者用の機体である。
 さらに奇妙な点は、あの機体の内部にある。シャドウには換装システムは無いが、機体の総重
量はストライクと、ほぼ同じなのだ。シャドウの各所には十二個のブラックボックスが設置されて
おり、換装システムを廃した分の重量と空きスペースを埋めていた。
 逆に言えば、あのブラックボックスを設置するために、換装システムを取り除いたと考えられ
る。いや、恐らくそれが真実だろう。
 操縦者の確実な『死』と引き換えに設置された、十二個のブラックボックス。だが、その内部は
一切不明だ。十二個のブラックボックス全てに自爆装置が付けられており、シャドウから取り外
そうとしたり、蓋を開けようとすれば、即座に爆発するようになっている。
『そこまでして隠さなければならない秘密が、あのブラックボックスにはあると言うの?』
 不安に陥るマリューだが、すぐに気を取り直す。今はシャドウの謎を解き明かす事より、このア
ルテミスから脱出する方が先だ。
「すぐにここから脱出しましょう。まずは…」
 その時、貴賓室のドアが開いた。
「!」
 三人は同時に驚く。そして目の前に現れた人物は、さらに三人を驚かせた。
「ここにいたのか。随分、探したよ」
「ガーネット・バーネット……」
 アークエンジェルの営倉にいるはずのガーネットが、三人の前に立っていた。彼女の足元には
貴賓室を見張っていた兵士たちが倒れて、気絶している。
「貴方、どうしてここに? それに、どうやって営倉(あそこ)から…」
「あの程度の牢なら抜け出すのは簡単よ。ザフトで『そういう訓練』も積んでいるからね」
 不適に微笑むガーネット。
「なるほど。さすがは『漆黒のヴァルキュリア』様だ。で、どうして俺たちを助けるんだ?」
「愚問ね、ムウ・ラ・フラガ。あんたたちがいなければアークエンジェルは動かない。アルテミスを
脱出するためには、あんたたちの力が必要なのよ。私はこんな所で死にたくないからね」
「死ぬ?」
「このままここにいれば、ね。ラウ・ル・クルーゼは簡単に諦める男じゃない。部下もその精神を
受け継いでいる」
「だろうな。まったく、厄介な話だ」
 ガーネットの言葉を、フラガは素直に受け入れた。クルーゼの事は、彼が誰よりもよく知ってい
る。あの男に鍛えられた部下たちも、『そういう奴ら』だろう。
「見張りの連中は、大半片付けた。抜け出すなら今だ」
「ガルシア司令官はどうした?」
 ナタルが訊く。
「あいつなら、アークエンジェルの格納庫だ。乗組員を人質にして、キラとかいう子供にストライク
の凍結を解除させようとしている」
「! 艦長、急がないと!」
「ええ!」
 貴賓室を抜け出す四人。だがその時、要塞全体が強烈な揺れに襲われた。
「うっ! な、何、この揺れは…?」
「来たか。思ったより早かったな。ザフトもなかなかやるじゃないか」
「ザフトですって? けど、どうやってアルテミスの傘を…」
「艦長、奪われたMSのデータは把握しているのかい? あの四機の中に、こういう任務に打っ
てつけの奴がいるだろう」
 ガーネットに言われて、マリューはG兵器のデータを思い出す。
「! ブリッツ!」
 ブリッツのみに装備されている特殊システム、ミラージュコロイド。機体をステルス化し、人間の
目はもちろん、レーダーさえも掻い潜る脅威のシステム。起動中はPS装甲を使用できないとい
う欠点を補って余りある機能だ。
「急ぐよ」
 ガーネットの言葉に三人は頷く。気絶している兵たちを横目に、アークエンジェルに向かう。



「無敵の要塞も、中に入り込まれたら、あっけないものですね」
 ブリッツのパイロット、ニコル・アマルフィの呟く通りだった。アルテミスの防御壁に頼り切ってい
た将官は完全に浮き足立っており、ブリッツ一機に好き勝手させている。
「アルテミスごと、足つき(アークエンジェル)を沈める!」
 進撃するブリッツ。ふとニコルの脳裏に、クルーゼ隊長と共にプラントに帰ったアスランの顔が
浮かび上がる。幼馴染のガーネットのM I A(戦時下の行方不明、事実上の死亡扱い)は、アス
ランをひどく落ち込ませていた。まあアスランが落ち込んでいた理由は、ガーネットのM I Aだけ
ではなかったのだが。
 アスランの負担を和らげるため、あの足つきと強敵ストライクを落とす。そうすれば、アスラン
の気も少しは晴れるはずだ。友のために、ニコルはブリッツを走らせる。
「! 見つけた!」
 エンジンに火がついたばかりの純白の戦艦に、ブリッツは攻撃を仕掛ける。左腕の黄色い爪
≪グレイプニール≫が射出された。目標はアークエンジェルのブリッジ。だが、
「!」
 ブリッジに命中する寸前、≪グレイプニール≫とブリッジの間にMSが割って入る。≪グレイプ
ニール≫は弾き飛ばされ、再びブリッツの左腕に戻る。
「ストライク……じゃない! 黒いストライク? もう一機あったのか?」
 左肩に『影』と書かれた黒いストライク、シャドウが、ブリッツの前に立ちふさがる。アークエンジ
ェルからはキラの操縦する本家ストライクが出てきたが、シャドウに加勢することなく、外へと出
て行った。アークエンジェルの退路を確保するつもりだろう。
「そうは、させ……」
 ストライクを追おうとするニコルだが、シャドウがそれを許さない。一気にブリッツに接近する。
「! 速…!」
 まさに電光石火。ニコルが瞬きをしている間に間合いを詰め、ナイフを取り出し、ブリッツの首
を狙う。
「くっ!」
 かろうじてかわすブリッツ。すぐさま反撃に移ろうとするが、シャドウの攻撃の手は衰えない。
 ナイフの連撃、連撃、連撃。息を着く間も無い。刃がわずかにブリッツの胴体をかすり、肩や腹
部を傷つける。
「そ、そんな! こっちはPS装甲なのに……」
 驚くニコル。ストライクやブリッツに搭載されているPS装甲は、ミサイルや剣など実体兵器の攻
撃をほぼ無効化する。ビーム兵器でなければダメージを与えることは出来ないはずだ。しかし、
シャドウのナイフはブリッツの体を切り刻んでいく。
 ニコルは知らなかったが、シャドウのアーマーシュナイダーはキラのストライクのものとは違う
物だった。ナイフの刃部分にビームエネルギーを発生させて、その威力を高める事が出来る。
その為、PS装甲を貫くことも可能なのだ。
 シャドウの攻撃は続く。間断の無い連続攻撃。気を抜けば、ナイフの刃はブリッツの胴体を簡
単に貫くだろう。
「な、何てスピード……!」
 ニコルとて並のパイロットではない。わずか15歳でエースの証である赤服を許された、ザフト
のエリートだ。たとえコーディネイター相手でも、そこいらのパイロットなど敵ではない。
 そのニコルが攻撃をかわすだけで精一杯。ニコル自身も信じられなかった。一対一の戦いで、
自分をここまで圧倒するほどのパイロットが地球軍に、ナチュラルの中にいるとは。あの白いス
トライクのパイロットも凄腕だが、この黒いストライクの方は別格だ。強さのケタが違う。
「ふん。その動き、ニコル・アマルフィか。相変わらず、避けるのだけは上手いねえ」
「!」
 聞き覚えのある女の声が、ニコルの耳に飛び込んできた。敵からの通信だ。だが、敵はクル
ーゼ隊用の暗号回線を使用している。極秘のはずの暗号回線が、なぜ?
「けど、演習で相手をした時、教えたはずだよ。あんたの動きは素直すぎる。次の動きを予想し
やすい。ザコ相手ならともかく、エース級の相手には通用しないよ、ってね」
 思い出した。この声、間違いない!
「そ、そんな……。どうして、どうして貴方がそれに乗っているんですか! どうして貴方がそこに
いるんですか! どうして貴方が僕と戦っているんですか、ガーネットさん!」
「どうして戦ってるかって? 決まってるだろ。あんたが私の『敵』だからさ!」
 ガーネットは容赦なく、攻撃を仕掛ける。
 驚きと同時に、ニコルは納得していた。彼女なら、自分を圧倒して当然だ。『漆黒のヴァルキュ
リア』、実は密かに憧れていた、ザフトの美少女エースパイロットならば……。だが、なぜ僕と彼
女が戦っているのか?
「裏切ったんですか、ザフトを、僕たちを、アスランを!」
「そうだ! ザフトにいたんじゃ、私の目的は果たせないからね! 私の目的のためには、この
シャドウが必要なんだよ。地球軍が作った、このMSがね!」
「何なんですか、貴方の目的って!」
「知りたいのなら、実力で口を割らせてみな!」
「なら、そうさせてもらいます!」
 左腕の≪グレイプニール≫と、右腕の≪トリケロス≫から≪ランサーダート≫を同時に発射。
だが、全てかわされた。
「!」
「頭に血が上ると、途端に攻撃が単調になる。あんたとイザークの悪いクセだと、教えたはずだ
よ!」
 シャドウのキックが、ブリッツの腹部に命中。吹き飛ばされるブリッツ。
「がはあっ!」
 気絶しそうな程の衝撃。だが、ニコルは耐えた。『漆黒のヴァルキュリア』の恐ろしさは、よく知
っている。敵に回せば、これ程恐ろしい相手はいない。彼女がいる限り、足付きを沈めるのは、
ほぼ不可能と言ってもいいだろう。何としても、ここで仕留めなければならない!
「うわあああああああああーーーーーーーっ!」
 ≪ランサーダート≫を手に持ち、特攻を仕掛けるブリッツ。捨て身の攻撃だ。
「やれやれ。未熟者は、すぐに命を粗末にする…!」
 ガーネットの顔に焦りの色は無い。
「トゥエルブ、1番から3番まで起動! あのバカの目を覚まさせるよ!」
 シャドウの各所から、不気味な起動音が聞こえた。瞬間、ニコルの視界からシャドウの姿が消
えた。
「!?」
 ミラージュコロイド? いや、違う。あまりに動きが速過ぎて、人間の視覚機能の限界を超えた
のだ!
『そ、そんなバカな……。そんな事ができるパイロットが、モビルスーツがある訳が…』
 直後、ブリッツの両腕が宙に舞う。
「!」
 さらに次の瞬間、シャドウのナイフは、ブリッツの操縦席の直前に突きつけられていた。
「チェックメイトよ、ニコル・アマルフィ。昔のよしみで命だけは助けてあげるわ。外にいる連中と
一緒に、ここから離れなさい」
「………………」
 反論できなかった。完全にニコルの命は、ガーネットの手の中にあった。生まれて初めて味わ
う『死の恐怖』に、ニコルは屈した。
 一方のガーネットだが、その表情に勝者の余裕は無かった。顔は青ざめ、呼吸も荒く、額には
汗が浮かんでいる。実は失神寸前だった。
『くっ、想像以上にキツい……。まったく、とんでもない物を作ってくれたね、クソ親父……!』
 亡き父親に悪態をつく事で、かろうじて意識を保つ。ここで死ぬ訳にはいかないのだ。父のた
めにも、自分のためにも、そして、この世界のためにも。



 アルテミスの外にいた敵戦艦は、キラのストライクの攻撃でダメージを受け、一時撤退。アーク
エンジェルは無事にアルテミスを脱出した(アルテミスは半壊状態だが)。
 だが、乗組員の表情は冴えなかった。特にマリューたち首脳陣は、これからの行き先の他に
も、やっかいな問題を抱えていた。あの、強すぎる戦女神についてだ。
「やはり彼女は信用できません。敵のパイロットを見逃すなど…」
「でもナタル、彼女の助けがなかったら、私たちは全員アルテミスと運命を共にしていたかもしれ
ないわ。彼女の働きは認めてあげてもいいんじゃない?」
「ですが!」
「俺も艦長に同意見だ。彼女を信用するしないは、この際、別にしよう。あのお嬢ちゃんを敵に回
すのだけはやめといた方がいい。長生きしたかったらね」
 口調は軽いが、フラガの言葉は真剣なものだった。その事に関してはナタルも同じ意見だっ
た。あの異常なまでの戦闘力、絶対に敵にしてはならない。
 そのフラガの言う『お嬢ちゃん』、ガーネットは医務室で寝ていた。アルテミス脱出後、突然倒
れ、ここに担ぎ込まれたのだ。
 医者の診断では、精神的にも肉体的にも、かなり疲労していたらしい。特に精神面の疲労は
酷く、しばらくは絶対安静、との事だ。
 そこまでしてアークエンジェルを、自分たちを守ってくれた……。未だ彼女の真意が読めず、困
惑している艦長たちとは裏腹に、乗組員たちのガーネットに対する感情は和らかなものとなって
いた。今、彼女のお見舞いに来たキラもその一人だ。
「………………」
 眠り続ける彼女を見つめるキラ・ヤマト。自分と同じコーディネイターの少女。そして、自分と同
じ『裏切り者のコーディネイター』。
「君は、どうして……」
 訊きたいことは山ほどある。だが、恐らく彼女は何も答えないだろう。そんな気がした。



 一方、アークエンジェルを追うクルーゼ隊は、衝撃に包まれていた。あのガーネットが、『漆黒
のヴァルキュリア』が敵に回った。ブリッツのダメージも大きく、今の戦力でアークエンジェルを落
とす事は不可能だと判断した一同は、プラントに戻っているクルーゼ隊長の到着を待つ事にし
た。
 ガーネットに敗れたニコルだが、肉体にダメージは無かった。だが、彼の心には深い傷が刻み
込まれた。
「………………」
 最後にシャドウが見せた、あの異常な動き。あれが彼女の実力だとしたら、それまで手を抜か
れていたのだ。演習でも、実戦でも、手を抜いた相手に負けたのだ。そんな女に憧れていたの
だ。そんな女に情けをかけられ、見逃してもらったのだ。未熟者の僕など、殺す価値も無いとい
う事か。
「………………」
 自分で自分が許せなかった。そして、こんな未熟な自分を許したあの女が許せなかった。
「ガーネット・バーネット。貴方は、僕が……倒す!」
 ピアノを愛する心優しき少年は、この時から、獲物を狙う狼に変貌した。

(2003・6/7掲載)
第3章へ

鏡伝目次へ