第10章
 カガリvsガーネット

「ガーネット・バーネット! 私はお前に決闘を申し込む!」
 合流から二日目のよく晴れた日の午後。食堂で本を読んでいたガーネットに、カガリがいきな
り宣言した。言われた本人はもちろん、その場にいたキラやサイたちも呆然としたが、カガリは
構わず、
「女と女の勝負だ! 絶対、逃げるなよ!」
 と言って、食堂を出て行った。
「………………」
 何が何だか分からず、ガーネットは食堂の隅にいたライズ、イリア、アルルの三人組に眼を向
けると、三人とも、
『すいません。うちのお姫様って、ああいう人なんです。思い立ったらすぐ実行するタイプで、私た
ちも年がら年中振り回されているんです』
 と、眼で語っていた。
「ガーネットさん、カガリとケンカでもしたの? 何か怒らせるような事とか…」
 我を取り戻したキラが尋ねる。
「いや、そんな覚えは無いんだけど…」
「気付かない内に怒らせたのかもしれませんよ。謝った方がいいんじゃないですか?」
 と、サイが言う。
「そう言われても、ホントに覚えが無いんだ。身に覚えが無いんだから、謝ろうにも謝れないよ」
「本当に覚えが無いんですか?」
「無い」
 キラの質問に、ガーネットはキッパリと答えた。そもそもカガリとは会話らしい会話をした覚えが
無い。今のガーネットには、誰かとの会話を楽しむような余裕は無かった。敵に捕まっているフ
レイの事を思うと……。
「それで、どうするんですか、ガーネットさん。受けるんですか?」
 サイが尋ねる。
 フレイの婚約者。誰よりもフレイを大切に思っている少年。フレイがザフトに囚われた事を知
り、一番衝撃を受けたのが彼だった。が、彼はガーネットを責めなかった。逆に、
『力を合わせて、一緒にフレイを助けましょう』
 と、励ましてくれた。優しい少年だ。けど、正直、彼と一緒にいると、少しだけ辛くなる。
「…………受けるよ。逃げたと思われるのは嫌だからね。けど、ちょっと気になる事がある」
「? 何ですか?」
「カガリって、私と何で勝負するつもりなんだろう?」
「………………」
 食堂の隅にいるライズたちは、人知れずため息をついた。ホントにうちのお姫様は……。



 少し暗い雰囲気になっていたアークエンジェルの船内が、にわかに活気付いてきた。カガリと
ガーネットの対決は、艦のあちらこちらで話題となり、艦長たちの目を盗んで、どちらが勝つかと
いう賭けが密かに行われている(取り仕切っているのはフラガ)。
「でも決闘なんて、艦長はともかく、ナタル副長がよく許可したわよね。絶対、反対すると思った
けど」
 食堂に集まった一同を前にミリィが言う。その疑問にはトールが答えた。
「フラガ少佐の話だと、最初は反対したらしいけど、ガーネットさんが係わっていると聞くと、急に
黙り込んだんだって。あの二人、何かあるのかな?」
「それで、決闘のルールはどうなってるんだ? まさか素手とかモビルスーツ戦じゃないよな?」
 整備士のジャン・ハーミットが訊く。密かにガーネットの事が気になっているこの男、彼女が仲
間を傷付けるような事にならないかと心配しているのだ。
「おいおい、素手ならともかく、モビルスーツ戦はヤバいだろ。カガリお嬢ちゃんが三秒で負ける
ぞ」
 ジャンと同じ整備士のガイス・タケダが言う。
「大丈夫ですよ。あの後、カガリから改めて説明があったんですけど、そんな危ない事はしませ
んよ」
 と、キラが言う。続いてサイが、
「スカイグラスパーを使った空中レースだそうです。ガーネットさんの方は、フラガ少佐の機体で
すけど」
「なるほど。それなら、カガリでもガーネットと互角に渡り合えるな。いや、彼女の方がスカイグラ
スパーには乗り慣れてるし、ちょっと有利かな?」
 と、整備士のケイ・タカザワが言った。
「どうでしょうね……。アキナ、ガーネットさんって飛行機とか操縦した事、あるの? 君はガーネ
ットさんと一緒だったからよく知ってるんじゃないの?」
 キラの質問は、密かに賭けに参加している連中全員の質問だった(キラは賭けていない)。聞
き耳を立てて、アキナの答えを待つ。
「うーん……。そんな話は聞いたこと無いわ。マチルダの操縦も私がやってたし……」
「てことは、飛行機に関してはドシロウトか! しまった、カガリちゃんに賭けるべきだったか!」
 悔しそうに言うガイスに、ジャンが反論する。
「けど、ガーネットさんはモビルスーツの腕は超一流じゃないか。弘法筆を選ばず、きっと飛行機
でも簡単に乗りこなせるさ」
「そりゃあ、彼女の操縦センスは一流だ。けど、飛行機ってのは一日二日で乗りこなせるもんじ
ゃない。決闘は明日だろ? 時間が無いよ」
 と、ケイが言う。ちなみに彼はカガリに賭けている。
 その後も大人たちは喧々囂々と意見を戦わせた。賭けに参加していないミリィやサイたちまで
巻き込む大熱戦。
 結局、最終的な賭けの比率は、ガーネットが6、カガリが4だった。



 翌日、午前6時。
 朝早くにも係わらず、アークエンジェルの格納庫には大勢の人たちが集まっていた。仕事の都
合でこの場に来れなかったマリューやナタルらも、ブリッジのモニターで様子を見ている。
「まったく、みんな少し騒ぎすぎです」
 ナタルが文句を言うと、マリューが微笑んで、
「いいじゃない。アフリカからずっと戦闘続きだったし、アラスカまではまだ遠いわ。気持ちを張り
詰めすぎるのも問題よ。たまには気分転換も必要だわ」
「それは分かっています。ですが、こんな事をしている間にザフトが襲ってきたら……」
「その時はレース中止。即刻、呼び戻すわ。けど、ザフトが襲ってくるような事は無いと思う」
「どうしてですか?」
「女の勘よ」
 そう言ってマリューは、再び微笑んだ。ナタルはため息をついて自分の席に戻る。
 格納庫の方では、二機のスカイグラスパーがスタートラインに並べられた。いい具合にヒートア
ップしていく観客たち。そして、ヘルメットを手にしたカガリとガーネットが姿を現した。
「……………」
「……………」
 沈黙したまま、相手を見つめる二人。特にカガリの眼はギラギラと輝いており、闘志を剥き出し
にしている。
『やれやれ。やる気満々だね』
 心の中でガーネットは苦笑した。
 彼女はザフトのパイロット養成学校に通っていた頃から、こういう眼を向けられていた。もっと
も、こういう眼を向ける奴らのほとんどが、闘志以外の感情を込めていた。ホワイト・バーサーカ
ーと呼ばれているロディア・ガラゴがいい例だ。彼の眼には対抗意識以上に『嫉妬』という醜い感
情が込められていた。
 そういう眼で睨まれるのは、当然、不愉快なものだった。だが、カガリの眼は違う。相手への敬
意と、純粋なまでの闘志が込められている。受け止めるのが心地いい。
『そういえば、昔のニコルもこんな眼をしてたっけ』
 今の彼の眼はどうだろう? 他のパイロット同様、彼の眼にも殺意と敵意が込められているの
だろうか? ……………そう考えると、少し寂しくなった。
「レディース・アーンド・ジェントルメーン!」
 マイクを手にした司会役のフラガの叫びが、ガーネットを現実に引き戻した。
「それではただ今より、レジスタンス『明けの砂漠』の小さな女神、カガリお嬢ちゃんと、漆黒のヴ
ァルキュリアことガーネット・バーネットの空中大レースを開催しまーす!」
 沸き立つ観客たち。完全にお祭り騒ぎだ。
「では、ルール説明を。このアークエンジェルの前方およそ五十キロ先に、小さな無人島があ
る。そこまでスカイグラスパーで行って、一秒でも早くこの艦に帰ってきた方の勝ちだ!」
 さらにルール説明。無人島に着いたら一度飛行機から降りて、島についたという証に、島のヤ
シの木にリボンを巻きつける。これを忘れた方は、相手より早く帰ってきても失格となる。
 また、パイロットとしてはまだまだ新米のカガリには、20秒先行のハンデが与えられている。カ
ガリは「ハンデなどいらない! 正々堂々と勝負する!」と反対したのだが、カガリに賭けていた
人たち(ケイやアルルなど)の懸命な説得によって、渋々ながらも承諾した。
「それでは、レース開始だ! 両者、騎乗!」
 フラガの指示を受け、二人はスカイグラスパーに乗り込む。機体の性能はほぼ互角。純粋に
パイロットの技量、そして勝負にかける執念、精神力の勝負となる。
「それでは、スタートのカウントダウンに入ります」
 オペレータールームからのミリィの声が格納庫に響き渡る。全員、息を飲む。
 30秒前。
 両機、エンジン始動。
「キラ、お前、どっちが勝つと思う?」
 さりげなく最前列にいるサイの質問に、こちらもさりげなく最前列で見ていたキラは、
「分からないよ。けど…」
「けど?」
 20秒前。
「どっちが勝っても負けても、きっといいレースになると思うよ」
「……そうか。そうだな」
 10秒前。9、8、7、6。
 カガリ機のエンジンの轟音が高まる。
 5、4、3、2、1……。
「スタート!」
 ミリィの一際高い声と同時に、カガリ機が発進した。その20秒後にガーネット機が飛ぶ。
 鋼の鷹が二羽、南の空を舞う。



 アークエンジェルの姿はもう見えない。二十キロほど飛んだ辺りで、カガリ機のレーダーが後方
のガーネット機を確認した。
「くっ、もう追いついてきたのか!」
 さすがは超一流のパイロット。初めて乗るスカイグラスパーも、難なく乗りこなしている。だが、
20秒ものハンデをもらって、前半で追いつかれる訳にはいかない。カガリは一気にエンジンを
吹かせる。
「へえ、いいタイミングで加速するじゃないか」
 ガーネットも加速した。島に着くまでに追いついておきたい。
 差は少しずつ縮まっていく。だが、ガーネット機はなかなか追いつけない。あと一歩というところ
で、上手く引き離されてしまう。
『……やるねえ、オーブの姫君。これはちょっと、気合入れていかないと!』
『くそっ、なかなか引き離せない! 飛行機の操縦なら負けないつもりだったけど、これが漆黒の
ヴァルキュリアの実力なのか? けど、負けない!』
 両者、相手にさらなる闘志を燃やす。
 目的地の島には、ほとんど同時に着いた。二人とも急いでスカイグラスパーから降りて、砂浜
を走り、すぐ近くにあったヤシの木にリボンを結びつける。
「カガリ」
 引き返そうとしたカガリを、ガーネットが呼び止めた。
「な、何だ?」
「一つだけ教えてくれ。あんた、私の事が嫌いなのか?」
「えっ?」
 カガリは純粋に驚いた。
「いや、別にお前の事は嫌いじゃないぞ。お前は私たちの仲間じゃないか」
「じゃあ、どうして私に決闘なんか申し込んだ? 嫌われるような事をしたのなら謝るけど、私に
はそんな覚えは無いし」
「ああ、そうだな。お前が私に何かした訳じゃない。けど…」
「けど?」
「お前が、ちょっと違ってたから」
「違う?」
 カガリの言葉に、ガーネットは首を傾げた。カガリは話を続けた。
「アフリカでキラたちと会ってから、キラはよくお前の事を話してくれた。キラだけじゃない。サイや
トールやミリィ、少佐や艦長や副長、整備士の連中もお前の話をしてくれた。『ガーネットさんは
強くて綺麗で優しくて、とても頼りになる人なんだ』とか、『まだ十八なのに、本当に凄い人だ』と
か、『黙っていればカワイイのに、怒らせると結構怖いんだ』とか…」
「…………」
 三番目の意見が少し気になったが、ガーネットはあえて無視した。
「キラたちが話してくれる前から、お前の噂は聞いていた。『漆黒のヴァルキュリア』と呼ばれて、
わずか十八歳でザフト最強のMSパイロットの一人になった女……。正直、ちょっと憧れてた。
私も、そんな凄い人になりたいって思った。勝手な話だけど、お前は私の目標だった。会えるの
が楽しみだったし、会えて凄く嬉しかった」
 そこまで言って、カガリはガーネットを睨みつけた。
「それなのに、何だ! 合流してからのお前は、ため息ばかりついてて、凄く暗くて、落ち込んで
て、みんなが話しかけても上の空! 全然イメージと違うじゃないか! はっきり言って、失望し
たぞ!」
「えっ……?」
 言われてみれば、と思い出す。確かに、アークエンジェルと合流してから、他の乗組員たちとあ
まり話していない。話しかけられても適当に返事をして、すぐにその場から立ち去った。あまり他
人と係わろうとしなかった。そう、ザフトにいた頃のように。
 意識して避けていた訳ではない。だが、他人と深く係わりあう事を恐れていたのも確かだ。
 原因は分かっている。いや、今、分かった。
 フレイだ。
 友を助けられなかった事への絶望感。自分自身への怒りと焦り。様々な感情がガーネットの心
を変えていたのだ。
 あんな悲しい思いは、もう二度としたくない。
 けど、私には、大切な人を守る力なんて無い。
 だったら、大切な人なんて作らなければいい。
 単純な理屈だった。バカバカしいほどに単純すぎて、自分でも今の今まで気付かなかったほど
の単純な『心の闇』。
「お前が暗いせいで、艦の中の雰囲気まで、ちょっと暗くなったんだ! だから、お前にもみんな
にも元気になってほしくて…」
「プッ…、ククッ…、アハハハハハハハッ……!」
「えっ?」
 いきなり笑い出したガーネットに、カガリは驚いた。そして自分の事を笑われているのだと思
い、顔を真っ赤にして、
「な、何がおかしい! ああ、そうか、分かってるよ。悪かったな、子供っぽい理屈で! 勝手に
期待して、勝手に失望して、どうせ私は…」
「ハハハ……。ああ、違う、違うよ、カガリ」
「?」
 何とか笑いを堪えたガーネットは、カガリの眼を見る。真っ直ぐな視線。こちらからの視線を逸
らす事無く、真剣に受け止めている。
「さすがはオーブの獅子の娘。いい事を言ってくれたわ。自分がこんなにバカに思えたのは、生
まれて初めてよ」
「! お前、私の事を…」
「ええ。あんたの親父さんには、地球に落ちてきた時に世話になった。あんたをオーブに連れて
帰ると約束している」
「うっ……」
「その様子だと、あんまり帰りたくないみたいだね。それじゃあ、一つ賭けをしない?」
「賭け?」
「この決闘、勝ったら何をするか、まだ決めてなかったわね。だったら、こういうのはどう? 私が
勝ったら、あんたはお供の連中と一緒にさっさとオーブに帰る。あんたが勝ったら、私をあんた
の好きにすればいい」
「お、お前を私の好きにしていいって……どういう意味だ?」
 少し顔を赤らめながら、カガリが訊く。
「言葉どおりの意味さ。煮るなり焼くなりご自由に。あ、けど、夜のお相手だけは勘弁してくれ。私
にはそっちの趣味は無いんだ」
「! わ、私だって無い! あってたまるか!」
「ハハハハ……。で、どうする? 私との勝負、受けるか? 受けなかったら、私の不戦勝になる
けど」
「そ、そんなの卑怯だぞ!」
「大人は卑怯な生き物なのさ。さあ、どうするんだい?」
「…………分かった、受けてやる! そして、勝つ! まだ私はオーブに帰る訳にはいかないか
らな」
「いい返事だ。それじゃあ、レース再開だ!」
 二人は、それぞれのスカイグラスパーに乗り込む。先に飛んだのはカガリ機。わずかに遅れて
ガーネット機も飛ぶ。二機の差は、島に着く前とほぼ同じ。
「正々堂々、やろうじゃないか! カガリ!」
「望むところだ、ガーネット・バーネット!」
 二機のスカイグラスパーは、激しく、だが華麗に大空を舞う。空の彼方にあるはずの『勝利』を
求めて。



「アークエンジェルのレーダーがスカイグラスパーを確認しました! 二機、ほぼ同位置です!」
 オペレータールームからのミリィのアナウンスが響き渡ると、しばしの静けさの中にいた人々は
再び騒ぎ始めた。息を飲み、期待と不安を抱えながら、二人の女神の帰還を待つ。
「間もなく、着艦します! 若干ですが、ガーネット機がリード!」
 ミリィの報告を受け、人々の興奮がさらに高まる。ガーネットに賭けていた者たちは勝利の喜
びを、カガリに賭けている者たちは逆転への期待を胸に秘め、はるか彼方に見える二機に声援
を送る。
 そして、決着の時。
 滑り込むように、一機のスカイグラスパーが格納庫に戻ってきた。わずかに遅れて、もう一機
が着艦する。
 先に着いたスカイグラスパーのコクピットが開き、パイロットが姿を現した。ヘルメットを取り、
汗に塗れた美しい顔を見せる。
「………………」
 キラも、
「………………」
 サイも、
「………………」
 トールも、
「………………」
 カズイも、
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
 ケイもジャンもガイスもマードックも、ライズもイリアもアルルもキサカも、その場にいた全員が
息を飲む。
「勝者……」
 そして、フラガが勝者の名前を宣言する。
「カガリーーーーーーーッ!」
 うおおおおおーーーーーーーーーっ!という大歓声が格納庫に、いや、アークエンジェル中に
響き渡る。抱き合って喜ぶ者、悔し涙を流す者、あちらこちらで悲喜こもごもの人間模様を見せ
ていた。
「カガリ!」
 キラたちがカガリの元に駆け寄る。
「おめでとう、カガリ!」
「やったね!」
「まさかガーネットさんに勝っちゃうなんて思わなかったよ。凄いなあ……」
「お見事です、カガリ様」
「ええ、さすがですね」
「カガリ様、凄いですー!」
 だが、友達や部下たちの賞賛の言葉は、カガリの耳には入っていなかった。
「……………」
「負けたよ、カガリ」
「!」
 ガーネットがカガリを祝福した。その顔は敗者とは思えないほど、晴れ晴れとしたものだった。
「ガーネット……」
「おやおや、随分と暗い顔をしてるね。あんたは勝ったんだから、勝利者らしくもっとこう、ニコー
ッて笑いなよ」
「けど、あの時、島を同時に出ていれば勝負は分からなかった。いや、恐らくお前が勝って…」
「いや、一緒に飛び立っても、私は負けていたよ。やっぱり飛行機は難しいね。私にはモビルス
ーツの方が性に合ってるよ」
 ガーネットはそう言って、微笑んだ。優しい笑顔だった。
「あれ? ガーネットさん、ちょっと……変わりましたね?」
 違和感を感じたキラが言う。いや、正確には違和感ではなく、懐かしい感じのする笑顔だった
のだが。
「ん? そうかい? そんなつもりは無いんだけどね。けど、まあちょっとだけ、スッキリしたかな。
これもカガリのおかげ…」
 バタン。
「?」
 奇妙な音がした。下を見ると、カガリが冷たい床に倒れていた。
「! カ、カガリ!」
 ガーネットが呼びかけても、カガリの眼は閉じたままだった。



「過労ですね」
 アークエンジェルの医務室。ユキノ・ナカジマ医師は、カガリをここまで運んできたガーネットた
ちにあっさり告げた。
「まあ、無理もありませんな。あれだけの大レースだったのですからね。コーディネイターのガー
ネットさんはともかく、ナチュラルのカガリさんには少しキツかったようですな」
 ナカジマ医師はそう言った後、看病をすると言うガーネット以外の人たちを病室から追い出し
た。そして自分も「ちょっとトイレに」と出て行った。
 だが、そう言って彼が向かったのは格納庫。無茶なレースでスカイグラスパーが壊れてないか
どうか心配らしい。メカマニアの彼らしいが、医師としてはかなり問題ありだ。
「うっ……」
「気が付いたか」
 眼を開けたカガリに、ガーネットが微笑む。
「ここは……? ああ、そうか。私、倒れて…」
「そういう事。体の具合はどうだ? 大丈夫か?」
「まだちょっと、頭がクラクラする……」
「そう。もう少し休んでな。ただの過労だそうだけど、油断は禁物だ」
「うん」
 カガリは素直に頷いた。
「まったく、無茶な事をするね。そんなに私に勝ちたかったのか?」
「………………ああ。けど、まだ信じられないよ。私があの『漆黒のヴァルキュリア』に勝ったな
んて」
「信じる信じないはあんたの勝手だけどね。けど、確かにあんたは勝ったよ。負けた私が保証す
る」
「フフッ、何だ、それ。変なの」
「そうかな?」
「そうだ。お前は変だ」
「酷いことを言うね。これでもまだ十八のオンナノコだよ」
「そうは見えんぞ」
「ケンカ売ってるのかい? 買ってあげようか?」
「その時は利子をつけて返してやるよ」
 笑顔を浮かべながら、軽口を言い合う二人。医務室は穏やかな空気に包まれていた。
「あのさ」
「ん?」
「本当に私が勝ったんだな」
「ああ」
「オーブに帰らなくてもいいんだな」
「ああ」
「そしてお前は、私の望みを何でも訊いてくれるんだな」
「ああ。そういう約束だからね。けど…」
「安心しろ。妙な事は頼まん」
 そう言ってカガリは起き上がり、右手をガーネットに差し出した。
「私の友達になってくれ」
 差し伸べられた手を、ガーネットは黙って見つめた。それから一息ついて、
「そのお願いはきけないね」
「! 約束を破るのか! お前が言い出した事じゃ…」
 文句を言おうとしたカガリの手を、ガーネットは優しく握った。
「!?」
「そんなお願いしなくても、私はあんたの事、もう友達だと思ってたんだけどね。違うのかい?」
「……………ふふ。ああ、そうだな」
 改めて握手を交わす二人の少女。終生の友情が結ばれた瞬間だった。
「けど、そうなると、他にどんな望みを叶えてもらおうかな?」
「うっ……」
「何でも叶えてくれるんだよなあー。何をしてもらおうかなあ?」
 イタズラ心満載で微笑むカガリに、ガーネットは自分の迂闊さを、ちょっとだけ後悔した。



「ガーネットさん? 今日のトイレ掃除はカガリのはずじゃ…。まさか、あの娘サボって!」
「ああ、いいんだよ、ミリィ。女と女の約束なんだ」
「?」

(2003・8/2掲載)
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