第12章
 オーブ上陸

 ザラ隊の執拗な追撃を振り切り、アークエンジェルはオーブに入国した。中立勢力であるオー
ブが、地球軍所属のアークエンジェルを受け入れた理由は三つ。オーブ前代表ウズミ・ナラ・ア
スハの娘、カガリ・ユラ・アスハをここまで連れてきてくれた事に対する礼。卓越したOS作成技術
を持つキラ・ヤマトへのモルゲンレーテ社への協力要請。そして、ストライクシャドウ、いやトゥエ
ルブ・システムの存在。
「ウズミさん。あんたは一体、どこまでトゥエルブの事を知っているんだい?」
 モルゲンレーテのモビルスーツ格納庫。整備中のシャドウを前にして、ガーネットはウズミに質
問した。
「君と同じ程度の事は知っている。いや、彼から聞かされた、と言うべきか」
 そう言ってウズミは、シャドウの整備をしている一人の技師を見た。
 タツヤ・ホウジョウ。黒い瞳に太い眉毛、茶髪を短めに整えたこの男は、オーブでも一、二を争
うほどのMS技術者であり、かつてガーネットの父、アルベリッヒの下で機械工学などを学んでい
た。ガーネットにとっては古くからの知人であり、兄のような存在だった。
 だが、およそ一年前、地球とプラントの戦争が始まる直前、戦争を嫌った彼は妻と共にプラント
から逃亡。アルベリッヒ博士の伝でオーブに逃げ延びた。その後、ウズミの思想に感銘し、『オー
ブを守るため』の力の開発に協力している。
「ホウジョウ君からアルベリッヒの決意と、トゥエルブの正体を知らされた時は驚いたよ。到底信
じられん事だ」
 ウズミはそう言って、ため息をついた。悲しげなため息だった。
「私だってそうだよ。今でも、これは悪い夢じゃないかと思う時がある」
 ガーネットも、ため息混じりに呟いた。
「けど、これは紛れも無い現実だ。親父がトゥエルブを作った事も、自ら死を選んだ事も、そして
私がこうしてここにいる事も……」
「ガーネット君…」
 何か言おうとしたウズミに、ガーネットは頭を下げた。
「親父に代わって謝ります。何の関係も無いウズミさんやオーブの人たちを、こんなとんでもない
事に巻き込んでしまって、本当にすいませんでした」
 心から謝罪するガーネット。ウズミは一息付いた後、ガーネットの肩に優しく手を置いた。
「何の関係も無い話ではないよ。アルベリッヒは私の友人だったし、君は彼の娘だ。友として、そ
して、同じ『子を持つ親』として、アルベリッヒの遺志を無駄にする事は出来ん。それに彼の考え
が正しいとすれば、これはこの世界に生きる全ての人間にとって重大な問題だ。黙って見過ごす
事は出来んよ」
「ウズミ……様」
「ウズミ様のおっしゃられる通りですよ、ガーネットお嬢さん」
 整備を終えたタツヤが話しかけてきた。
「俺はアルベリッヒ先生を信じています。だからあの人の遺産を引き継ぎ、貴方に渡した。きっと
トゥエルブが導いてくれるはずです。先生が垣間見た、この世界の真実にね。お嬢さんには酷な
話かもしれないけれど……」
「大丈夫だよ、ホウジョウさん。ザフトに入った時から、覚悟は出来ている。親父の遺志を受け継
ぎ、世界の真実を暴く。それが私のやるべき事だ」
 ガーネットは愛機を見上げる。黒く輝く彼女の相棒、ストライクシャドウを。
「戦い抜いてやるさ。このストライクシャドウと一緒にね」
 そう答えたガーネットの後姿を、ウズミとタツヤは複雑な表情で見ていた。



 同時刻、オーブ沿岸に一隻のゴムボートが流れ着いた。乗っているのは少年が四人、少女が
二人。
「ようこそ、平和の国へ」
 出迎えの潜入工作員から歓迎の言葉を受けた六人は、彼らが用意したモルゲンレーテの作
業員服に着替えた。それから様々な注意事項を受けた後、六人は町に入った。
「これからどうするんですか、アスラン?」
「六人一緒に行動すると目立つ。二手に分かれよう。俺とディアッカはモルゲンレーテに直接向
かう。ニコル、お前とロディア、ルミナ、それからカノンは町で情報収集をしてくれ。頼むぞ」
「はい、分かりました」
「えー、そんな! アタシもアスラン様と一緒がいいーーっ!」
「カノン、ワガママ言わないの」
 集合時間やその場所を打ち合わせた後、六人は二手に分かれた。アスランとディアッカはモル
ゲンレーテ社に向かい、ニコルたちは言われたとおり、町で情報収集を、
「さてと、それじゃあ俺も行かせてもらうぜ。じゃあな、ニコル」
「? 行くって、ロディアさん、どこに行くんですか?」
「俺は団体行動は苦手なんだ。好きにやらせてもらうぜ」
「な…何をバカな事を言ってるんですか! アスランは一緒に行動しろって…」
「足つきがこの国にいる証拠探しなんて地味な仕事、俺には向いてねえよ。こういうのはアスラン
やお前さんの方が得意だろ?」
「だからって、勝手な行動をしてもいいという事には…」
 止めようとしたニコルの胸倉を、ロディアは掴み上げた。
「!?」
「ったく、察しが悪い男だな、テメーは。さすが温室育ちのお坊ちゃんと言うべきか? 俺はテメ
ーが気に食わねえ。テメーなんかと一緒にいたくねえんだよ。だから俺一人でやらせてもらう。い
いな?」
 そう言ってロディアは、ニコルの返事も聞かずに足早に去っていった。
「止めなくてもいいのですか?」
 ルミナが訊く。ニコルは首を横に振って、
「止めても無駄でしょう。それに……」
「それに?」
「僕もあの人とは、一緒にいたくありませんから」
 そう言って、ニコルは苦笑した。
「それは奇遇ですね。私もです」
 ルミナも釣られて苦笑する。
「あ、アタシも! あいつ、すっごく嫌な奴だもん! 目付き悪いし、陰険な性格してるし、あんな
奴がアタシたちの先輩だなんて、信じられなーい!」
「カノン、ちょっと言いすぎよ」
「でも、間違ってないでしょ?」
「………………」
 ニコルとルミナは、心の中で頷いた。
「それにしても、ニコルさんは随分と彼に嫌われていますね。彼と何かあったのですか?」
「いえ、特に何かあった訳じゃありません。けど……」
「けど?」
「気に入らないのでしょうね。同じ獲物を追うライバルですから」
 獲物の名はガーネット・バーネット。ニコルもロディアも、彼女を倒す事を至上の目的としてい
る。
「でもそれなら、私たちも同じ立場なんですけど」
「そうですね。もしかしたら……」
「?」
「いえ、何でもありません。単に彼とは性格が合わないだけですよ」
 そう言って誤魔化したが、ニコルは、ロディアが自分を意識する理由に心当たりがあった。
 あの男は気付いているのかもしれない。
 僕が狩人ではなくなりつつある事に。
 もしかしたら、彼にとって最大の障害になるかもしれないという事に。
『って、何を考えているんだ、僕は!』
 自分を必死に戒める。が、一度生まれた感情は容易には消えない。自分に正直になれれば楽
なのだが、それが簡単に出来るほどニコルは強くなかった。



 モルゲンレーテ社のモビルスーツ開発に協力する事になったキラは、コンピュータールームで
オーブの新型量産モビルスーツ・M1アストレイのOS調整を行っていた。
「キラ君、お疲れ様。ちょっと休憩しない?」
 アルル・リデェルが暖かいコーヒーを差し出す。
「あ、ありがとうございます、アルルさん」
「そんな堅苦しい言い方はしないでよ。今までみたいに名前は呼び捨て、フレンドリーにいきまし
ょう」
「けど、アルルさんやイリアさんたちはカガリの護衛役で、オーブの正規軍の人だし……」
「そうよ。けど、私たちが友達なのは変わらないでしょ? だから、呼び方も言葉遣いも今までど
おりでいいのよ。分かった?」
「…………ああ。分かったよ、アルル」
「うん、それでオッケー。で、仕事の方はどうなの?」
「大分進んでるよ。今日中に終われるかも」
「へえ。このプログラムが完成すれば、私たちナチュラルもMSに乗れるんだよね? ちょっと楽
しみだなあ」
 まるでオモチャを手にした子供のように微笑むアルルを見て、キラも微笑む。
 和やかな雰囲気に包まれる二人だが、それを物陰から見ている影が一つ。
「…………………」
「ストーカーみたいな事、やってるんじゃないわよ。ライズ三尉」
「! な、何だ、イリアか」
「何だじゃないわよ。まったく、そんなにアルルの事が気になるのなら、告白すればいいじゃな
い」
「簡単に出来れば、苦労はしない」
「ふうん。けど、いいの? このままだと、キラ君にアルルを盗られるかもよ」
「アークエンジェルとはここでお別れだ。そんな事にはならんだろう」
「そうかしら? 男女の仲の進展に、時間は関係ないんじゃない? 特に女は、一度惚れたら一
直線。一気に燃え上がるわよ」
「うっ……」
「照れ臭いのは分かるけど、黙っていても気持ちは伝わらないわよ。アルル、結構鈍感だし」
「分かってるよ、そんな事は。ずっと見てきたからな」
「だったら……」
「分かってるって言ってるだろ! 放っといてくれ!」
 ライズは逃げ出すようにその場を後にした。
「まったく、不器用な男ね」
 そう言って、イリアは苦笑した。
『人の事は言えないわね、私も』



 モルゲンレーテでの作業を終えたガーネットは、友人のアキナと共にオーブの町を歩いてい
た。
「アキナ、本当に私たちと一緒にアラスカに行くのかい? あんたは、ここに残った方が……」
「いいの…。もう、決めた事だから。それに私だって…」
「?」
「フレイの事、助けたいから…」
「…………」
 ガーネットと同じ気持ち。いや、フレイとの付き合いは、アキナの方が長い。フレイを助けたい
気持ちは、アキナの方が大きいのかもしれない。
「フレイを助けて、戦争が終わったら、もう一度、三人で旅したいね。シンガポールのエリーさんと
か、アクアマリンサーカスのカインさんとかルーちゃんとか、もう一度会って…。きっと楽しい旅に
なると思うよ」
「…………ああ、そうだね。きっと、ううん、絶対楽しい旅になるよ」
 ガーネットは微笑んだ。本当にそうなったらいいと思って歩いていたら、
「うわっ!」
「あっ!」
 曲がり角を曲がったところで、ガーネットは誰かとぶつかった。
「あ、ご、ごめん…」
「いえ、こちらこそ…」
 お互いの顔を見た時、ガーネットと相手の時間が止まった。
「あ、ニコルさん。こんにちは」
 能天気なアキナの声が、妙に心に響いた。
「あ、ガーネット・バーネットだ」
 こちらも能天気なカノン・ジュリエッタの声が響く。
「あれ? ルミナお姉ちゃんがいない。どこ行ったのかな?」



 アークエンジェルの格納庫では、マードック率いる整備班が休む間もなく懸命に働いていた。ア
ークエンジェル本体の修理だけでなく、キラのストライクやスカイグラスパーの整備もある。休ん
でいる暇など無い。
「ん? あいつは………トール君じゃないか。おいトール君、一人で何してるんだ? 君たちは
今、休暇中だろ。他の連中はどうした?」
「あ、ケイさん。ミリィやカズイはまだ両親と会っているし、サイは町に散歩に行きましたよ」
「君はいいのか? 兵士とはいえ、たまには息抜きは必要だぞ」
「俺は大丈夫ですよ。それより、スカイグラスパーのシミュレーションをやっておこうと思って」
「へえ、随分と熱心じゃないか。カガリちゃんが降りるから、その後釜を狙っているのかい?」
「うーん、そういう事になるのかな?」
 トールは苦笑した後、真剣な顔付きをして、
「カガリだけじゃなく、ライズさんやイリアさんたちもここで降りるじゃないですか。戦力、かなりダ
ウンしますよね。だから、少しでもその穴埋めが出来ればと思って。いつまでもキラやガーネット
さんだけに戦わせる訳にはいきませんからね」
「ほう、いい事言うじゃないか」
 ガイスが会話に割り込んできた。
「そうだな。けど、トール君が頑張るのは、お友達のためというより、ミリィちゃんのためじゃない
のかな?」
「ケ、ケイさん!」
 ちょっと顔を赤らめるトールを、ケイもガイスもニヤニヤ笑いながら、
「おいおい、今更照れる事も無いだろう。トール君とミリィちゃんの仲は、この艦に乗ってる奴らは
みんな知ってるよ」
「そうそう。愛する者のために戦うってのは、本当に立派だと思うぜ。頑張れよ、トール」
「ガイスさん……。はい、頑張ります!」
 そう言ってトールは、格納庫の隅にあるシミュレーターに向かった。その様子をケイは微笑まし
く見守る。
「愛のために戦う、か。いいねえ、若い奴らは。自分の気持ちに正直で。どこかの誰かさんとは
えらい違いだ」
 ケイの視線の先には、ジャン・ハーミットがいた。
「? 何だよ、ケイ」
「別に。けど、このままでいいのかなーと思って。このままだとガーネットちゃん、あんたの気持ち
に一生気付かないよ。ウジウジ悩んでいる間に、どこかの馬の骨に盗られるかもな」
「うっ……」
「けどよ、告白しても玉砕間違い無しだろ」
 ガイスが止めを刺すような事を言う。ケイも負けずに、
「そりゃあそうだけどさ。でも、万が一、いや、億が一の可能性も、無い事も無いような、けどやっ
ぱり無いような気がしないでも無いというか……」
 と、全然フォローになっていない事を言い返す。そして、ますます落ち込むジャン。
 それを見たマードックは一言、
「…………仕事しろよ、頼むから」



 平和の国。工作員は皮肉を込めてオーブの事をそう呼んでいたが、実際、この国はそう呼ぶ
に相応しい。人々はごく自然に笑顔を浮かべ、町そのものが穏やかな雰囲気に包まれている。
 ルミナ・ジュリエッタは、この国が好きになった。ここには、戦争に明け暮れているプラントが失
ってしまった『何か』があるような気がする。
『世界の全てがこんな風だったら、戦争なんて起こらないのに……』
 いつかはプラントも、この国のように平和になるのだろうか? この手を血で染めてしまった私
に、平和な世界で暮らす資格があるのだろうか?
「っ痛! おい、気をつけろ、このアマ!」
 考え事をしながら歩いていると、通行人と肩がぶつかってしまった。
「あ、どうもすいません」
 少し頭を下げて謝る。だが、
「謝れば済むってもんじゃねーよ、お嬢ちゃん」
「そうそう。もっと誠意ってもんを見せてほしーな」
「取りあえず、持ってる物を出してもらおうか。金とかアクセサリーとか、何ならお嬢ちゃんの体で
もいいぜ」
「おいおい、相変わらず欲求丸出しだな、オメーは。ま、回りくどくなくていいけどよ。ヘヘヘッ…
…」
 男が五人、ニヤニヤ笑いながらルミナを取り囲む。どう見てもマトモな連中ではない。
『ふう、こういうバカはどこにでもいるのね……。あれ? そういえば、ニコルさんやカノンはどこ
に?』
 ここで初めて、ルミナは二人と逸れた事に気が付いた。考え事に夢中になると、周りが見えなく
なる悪いクセが出てしまった。まあ、アスランたちとの集合場所は知っているのだから、そこに行
けばいいのだが。
『さて、この連中をどうしましょうか』
 ルミナは自分を取り囲むチンピラたちを、冷静に観察した。見たところ、全員ナチュラルのよう
だ。武器らしい物も持っていない。叩きのめすのは簡単だが、あまり目立つ事はしたくない。
「おい、何とか言ったらどうだ?」
「無視するつもりかよ。このアマ、ふざけやがって」
「女だから殴られないと思ってるのか? 生憎だが、そうはいかねえぞ。シンガポールで痛い目
にあって以来、俺たちは女を見るとムカつくんだよ!」
 かなりみっともない事を大声で喚いている。知能レベルもかなり低いらしい。
『やれやれ。仕方がないわね』
 相手をしてやろうと身構えたその時、
「お前ら! 何をしてるんだ!」
 見知らぬ少年が助けに入った。チンピラたちの眼は、ルミナからその少年に向けられた。
「ああん? 何だ、テメーは。この女の連れか?」
「違う。けど、大勢の男が女の子一人を取り囲むなんて、みっともないし、見過ごす訳にはいかな
い」
 眼鏡をかけたその少年は、毅然とした態度で言い放つ。
「ほう、随分と立派な事を言うじゃないか」
「今時、珍しいガキだな」
「ああ、天然記念物ものだ。けど……」
 ニヤニヤ笑いながら、チンピラのリーダー格の男が、少年の腹を殴った。
「うっ!」
 腹を押さえて倒れる少年。
「そういう事は、自分の実力と相談して決めた方がいいぜ。分かったか、このクソガ…」
 チンピラリーダーの言葉は最後まで続かなかった。ルミナの鮮やかな蹴りが、チンピラリーダ
ーの後頭部に炸裂したのだ。チンピラリーダーはそのまま壁に激突、気絶した。
「なっ!」
「このアマ、何しやが…」
 言葉を言い終わる前に、チンピラたちは次々と伸されていく。あっという間に全員、ルミナの美
脚の餌食となった。
 あっさり決着が着いた後、遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。誰かが通報したのだ
ろう。潜入調査中の身で、これ以上のトラブルはまずい。一刻も早く、この場を離れないと。
 ルミナは、自分を助けようとした少年に目を向けた。腹を押さえて、うずくまっている。放ってお
く訳にはいかない。
「ねえ、君、立てる?」
 ルミナが訊くと、少年は少しだけ微笑み、
「あ、ああ……何とか」
 と言って、ふらふらと立ち上がった。
「そう。それじゃあ、逃げるわよ」
「えっ?」
 少年の返事を聞かず、ルミナは彼の手をとって、走り出した。
 しばらく走った後、二人は町外れの公園にやって来た。ルミナは少年をベンチに座らせ、その
隣に腰を下ろした。
「ごめんなさいね、いきなり走らせたりして。お腹の方は大丈夫?」
「あ、うん、もう大丈夫。けど……」
「けど?」
「ちょっとカッコ悪かったな。助けに入ったのに、逆に助けられるなんて」
「そんな事無いわよ。みんな、見て見ぬ振りをしていたのに、貴方は私を助けようとしてくれた。
立派だわ」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、やっぱり男としては、ちょっと悔しいよ」
 少年は、ため息混じりにそう答えた。正直な人だ。ルミナはこの少年に好感を持った。
「ねえ。貴方、名前は?」
「俺? 俺はサイ。サイ・アーガイル」
「私はルミナ・ジュリエッタ。よろしくね、アーガイル君」
「サイでいいよ。その代わり、俺も君の事、ルミナって呼ばせてもらうけど」
「ええ、いいわよ。よろしくね、サイ」
 握手する二人。任務中なのに、ルミナの心は少し弾んでいた。そこにいたのは『双翼の死天
使』の片割れとして恐れられているザフトのエースパイロットではなく、ごく普通の15歳の少女だ
った。



 夕方の海岸。人気のほとんど無い砂浜を、なぜか意気投合したアキナとカノンが走り回ってい
る。
 それを保護者のように見守るニコルの隣には、同じような眼をしてアキナたちを見ているガー
ネットが座っている。奇妙なくらいに平和な時が流れている。
「それにしても、貴方とはよくよく縁があるみたいですね」
 ニコルは、ため息をついた。ガーネットも呆れたように、
「まったくだ。因縁というか、腐れ縁というか……。どちらにしても、ロクなものじゃないね」
「同感です。いずれ殺し合う相手と仲良くなるというのは、あまり楽しいものじゃありませんから
ね」
「じゃあ、私の事なんか無視すればいいじゃないか」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。僕の誘いなんか断って、さっさと足付きに帰れば
良かったじゃないですか」
「で、後を付けられて、敵にアークエンジェルの場所を教えてやれ、と? そんなマヌケは御免だ
ね」
「なるほど。そこまでお人よしにはなってくれませんか」
「当然」
 苦笑しながらガーネットは、砂浜で遊ぶアキナとカノンを見た。
「あの娘がカノン・ジュリエッタか。双子だって聞いたけど、もう一人はどうしたんだい?」
「逸れたみたいですね。カノンさんの話では、お姉さんはちょっとボケる時があるそうです。まあ
集合場所は教えてあるし、大丈夫でしょう」
「探すのなら手伝ってやろうか?」
「遠慮します。貴方に借りは作りたくありませんから。借りを作っても、返す当ては無いし」
「追撃の際に、ちょっと手を抜いてくれればいいんだけどね」
「それは無理です」
 ニコルはあっさりと答えた。
 それから二人は、一言も言葉を交わさなかった。ただその場に黙って座っているだけだった。
だが、それが妙に心地いい。至福、とまではいかないが、無駄な時間だとは思わなかった。
 陽が更に傾く。空には一番星が輝いていた。
「そろそろ……」
「ああ、そうだね」
 二人は立ち上がった。
 そして、それぞれの連れと共にその場を去ろうとした。が、
「ああ、そういえば、カノンさん!」
 突然、ニコルが不自然なほどの大声を出した。
「えっ?」
 ビックリするカノン。ガーネツトとアキナも、何事かと振り返る。だが、ニコルは構わず、
「ヒマラヤでクルーゼ隊長が保護したナチュラルの女性って、どうなりました?」
 その質問で、カノンはニコルの真意を知った。彼女はクスッと笑って、
「えーとねえ、確かイザークさんと一緒にプラントに送られたそうよ。途中で何かトラブルが会った
みたいだけど、無事に到着したって。今はどこかの機関に丁重に保護されているって聞いたわ
よー!」
「そうですか。取りあえず、無事なんですね!」
「ええ、それは間違いないわ!」
 そして二人は、ガーネットたちの方を振り返らずに、立ち去って行った。
「カノンさん、ご協力感謝します」
 声を普通の音量に戻して、ニコルが礼を言う。
「別にいいわよ。あの時のクルーゼ隊長のやり方には、アタシもちょっとムカついてたし。けど、
これって機密漏洩になるのかな?」
「まさか。僕たちは、ただ雑談していただけですよ。ちょっとだけ声は大きかったですけどね」
「ちょっとだけ、ねえ……」
 カノンは苦笑した後、真面目な顔でニコルに訊く。
「でも、今更だけど、ガーネット・バーネット、見逃してもいいのかな?」
「ここは中立国ですからね。それに今回の僕たちの任務は、この国に足付きがいるかどうかの
確認です。彼女がこの国にいるという事で、それは証明されました。カノンさんもそう思ったか
ら、手を出さなかったのでしょう?」
「うん。あまり騒ぎを大きくするのもマズイしね。……あのさ、ニコルさん」
「何ですか?」
「……ううん、何でもない」
 カノンは頭に浮かんだ疑問を掻き消した。
『何をバカな事を訊こうとしているんだろう、アタシ。「ニコルさん、ひょっとしてガーネットの事が
…」なんて訊いてどうするのよ』
 訊いても意味が無い。イエスでもノーでも、後味の悪い結果になるだけだ。二人は急ぎ足でア
スランたちとの集合場所に向かった。
 一方、ガーネットとアキナも急ぎ足でモルゲンレーテに戻っていた。敵が自分たちの存在を知
った以上、オーブを出たら激戦になる。今の内に準備しておかないと。
「ねえ、ガーネット…」
「ん?」
「ニコルさん、ザフトのパイロットだったんだね…」
「ああ」
「カノンちゃんも…」
「ああ」
「二人とも、凄くいい人だね」
「ああ」
「……………辛いね」
「なら、この国に残るかい?」
「……ううん。私は行くわ。みんなを守りたいから。フレイを助けたいから」
 ガーネットは返事をしなかった。だが、嬉しかった。



 夕暮れ迫るオーブの町の路地裏に、二人の男が佇んでいた。
「それじゃあ、契約成立だな」
 ロディア・ガラゴはニヤリと笑った。
「ああ、確かに」
 相手の男も笑い返した。
「けど、ホントに大丈夫なのか? 相手は女だけど、なかなかやるぜ」
「知っているさ。骨身に染みるほどにな。だが、俺たち二人が組めば、どんな相手でも必ず殺せ
る。そうだろう、ザフト最強のエースパイロット、『ホワイト・バーサーカー』殿?」
「へっ、まあな。けど、言っておくが、あの女に止めを刺すのは俺の仕事だ。あんたは手を出すん
じゃ…」
「分かっている。俺はあんたのアシストに専念させてもらう。俺が欲しいのは、あの女の『死』とい
う事実だけだ」
「おう、分かればいいんだよ、分かれば。それじゃあ、よろしく頼むぜ」
 ロディアは上機嫌で路地裏を後にした。
「ふん。バカが」
 契約者に向かって陰口を叩く。傭兵として、あまり褒められた行為ではない。
 いや、違う。彼はもう『傭兵』ではない。ただの復讐者だ。
『俺が選び、長年かけて鍛え上げた精鋭(けっさく)たちを、あっけなくブチ殺しやがって……。ガ
ーネット・バーネット、貴様は必ず俺が殺す。俺の作品どもを潰してくれた恨み、必ず晴らしてや
る!』
 ゴールド・ゴースト隊長、レオン・クレイズの怨嗟に満ちた心の叫びが、路地裏の空気まで変え
る。圧倒的な『死』の空気に。



 夜、モルゲンレーテ社、地下極秘倉庫。
 その最奥にある部屋に、ウズミとタツヤ、そしてエリカ・シモンズの三人が集まっていた。彼らの
前には一体のモビルスーツが立っている。闇に包まれているため詳細は分からないが、その顔
付きはストライクなどのG兵器に似ている。
「それで、トゥエルブの状態はどうなの、ホウジョウ君?」
「システムそのものは順調ですよ、シモンズ主任。既に一番から五番までが覚醒しています。で
すが、それでもうギリギリですね。これ以上の覚醒はガーネットお嬢さんの肉体に凄まじい負担
が掛かります。最悪、死の危険性も……」
「そう。アルベリッヒ博士が残された研究資料(データ)どおりね」
「ううむ、彼女の力と才能を持ってしても、トゥエルブ・システムの完全なる覚醒は不可能なのか
……」
 そう言ってウズミは、闇の中に潜む巨人に眼を向けた。
「やはり、これを使うしかないのか。アルベリッヒの最後の遺産である、このMSを」
「ですが、この機体には大きな問題があります。確かにトゥエルブ・システムの完全なる覚醒のた
めには、この機体を使うしかないかもしれませんが、この機体を動かすには……」
「分かっておる。まったく、厄介な希望(もの)を残してくれたな、アルベリッヒも」
 ため息混じりに呟くウズミ。それはエリカもホウジョウも同意見だった。いや、もしかしたら、闇
の中の巨人も……。

(2003・8/16掲載)
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