断章
 イザークの受難

「ふん。俺が戻るまで、せいぜいストライクに殺られないようにしろよ。ザラ隊の隊長殿」
 自分と入れ替わるように地球に降りてきたアスランにそう言い残して、イザーク・ジュールはM
S輸送機能付きのシャトルに乗って、宇宙に上がった。
 窓から下の方を見ると、ついさっきまでいたジブラルタル基地が、もう点のように小さくなってい
る。ここからL5宙域のプラント本国まで丸一日。シャトルの乗客はイザークの他にもう一人だ
け。静かな、そして退屈な長旅の始まりだ。
「ちっ」
 舌打ちをするイザーク。ついこの前、地球に降りてきたばかりなのに、こんなに早く戻る事にな
るとは思わなかった。イザーク本人はストライクとの決着をつけるまでは戻らないつもりだったの
だが、
「モビルスーツ開発部門からの起っての頼みでな。今、開発中の新型に君のデュエルの最新の
データが必要らしい。パイロットの意見も欲しいそうだ。……そう不服そうな顔をするな。デュエル
は汎用性に優れているから、データ取りには最も適した機体なのだ。どんな些細な事でも、自分
の力が必要とされるのは喜ぶべき事だろう?」
 クルーゼはそう言って、プラントに戻るように命令した。確かに不服だったが、上官の命令とな
れば仕方がない。だが、
「それから、これは公式な任務ではないのだが、上へ戻るのなら、ついでに一つ届けてほしい物
がある」
 と、余計な荷物まで押し付けられてしまった。
「………………」
 その『余計な荷物』とは、イザーク以外にこのシャトルに乗っている唯一人の乗客であり、イザ
ークの隣の席に座っている赤い髪の少女の事だ。名前はフレイ・アルスター。席に座ってから一
言も喋らないし、こちらを見ようともしない。
 反コーディネイターを声高に叫んでいた政治家、ジョージ・アルスターの一人娘。そして憎むべ
き裏切り者、ガーネット・バーネットの協力者。とはいえ彼女自身は一般人だ。ジブラルタルでの
形式だけの裁判の後は、短期間(四、五日程度)の禁固刑で済むはずだったのに、なぜか裁判
も受けずにプラント本国に移送される事になった。
 この異例の処置についてはクルーゼがかなり手を回したらしいが、どうやら彼女自身も強く望
んだ事らしい。
『ったく、何を考えているんだ、この女は?』
 世話をしていたニコルの話では、ヒマラヤでガーネットに見捨てられた事を相当恨んでいるそう
だが。
「おい、女」
 イザークが話しかける。呼ばれたフレイは、イザークの方をまったく見ずに、
「何よ、オカッパ頭」
「……………ほう、いい度胸だな。捕虜の分際で、しかもザフトの赤服に対して、そんな口を叩く
とは」
「口が悪いのは、そっちもでしょう。それで、何か用なの?」
『ちっ。本当に口の悪い女だな』
 黙っていればそれなりにかわいい顔をしているが、中身が最悪だ。イザークの嫌いなタイプの
女だった。
「貴様、自分からプラントに行く事を望んだそうだな。黙っていればすぐに釈放されたのに、なぜ
だ?」
「そんな事、あんたには関係ないでしょう」
「ある。俺はクルーゼ隊長からプラントに着くまで貴様の面倒をみろ、と言われているんだ。つま
り、しなくてもいい仕事をさせられているんだよ。その理由を訊く権利ぐらいはあるだろう。それと
もアルスター家のお嬢様は、コーディネイターなんかとは口も訊きたくないか?」
「…………………」
 黙り込むフレイ。
『ったく、女って生き物は、都合が悪くなるとすぐに黙りやがる。こういう厄介なところは、ナチュラ
ルもコーディネイターも変わらんな』
 答えを諦めかけたその時、フレイの口が開いた。
「殺したいのよ」
「………………………はあっ?」
 一瞬、言葉の意味が判らず、理解するのに少し時間がかかってしまった。
「許せない女がいる。殺したい女がいるのよ。けど、今の私じゃ殺せない。だから、力が欲しい
の。あの女を殺せる力が」
「………………………」
 どうやら冗談ではないようだ。フレイの言葉には、凄まじい殺気と憎悪が込められている。
「あのクルーゼって人は、プラントに行けば力を手にする事ができる、って言ったわ。だから行く
のよ」
「その、殺したい女っていうのは、ガーネット・バーネットの事か?」
「そうよ。あの女は絶対に許さない。私を裏切った、あの女だけは……!」
「………………………」
 イザークは否定も肯定もしなかった。だが、
『どうも気に入らんな』
 なぜか分からないが、そう思った。



 それからしばらくの間、イザークとフレイは言葉を交わす事はなかった。イザークは愛読書の
歴史小説を読みふけり、フレイは疲れていたのか、さっさと寝てしまったのだ。
 二人きりの宇宙旅行は、ちっとも楽しくはなかったが、平穏無事に済むかと思われた。だが、
「! うわっ!」
「きゃあ!」
 突然、船体が大きく揺れた。何事か、とイザークが窓の外を見る。漆黒の宇宙に小さな点が光
っている。星の光ではない。人工のものだ。
「な、何よ、何が起こったの? まさか、事故?」
 うろたえるフレイに、イザークが冷静に告げる。
「いや、どうやらそれより厄介なものだ」
「えっ?」
「お前はここにいろ」
 イザークはフレイを残して、シャトルの操縦席に向かう(乗客はイザークとフレイの二人だけだ
が、それ以外にも船員が数名乗っている)。本来、操縦席は関係者以外、立入禁止なのだが、
誰も止めなかった。いや、他人に構っている余裕も無いのか、船員たちは右往左往している。
 操縦席も同様だった。機長も副長も、かなりうろたえている。
「おい、何があった?」
 無様な程にうろたえていた機長の肩を揺すり、状況を聞きだす。
「は、はい。う、宇宙海賊です! 降参しなければ、この船を打ち落とすと言っています。この船
がザフトの所属だと言っても、全然、取り合ってくれないんです。信じられませんよ…」
 確かに、信じられない話だ。宇宙海賊ごときが軍の、しかもザフトの正式所属船を襲うとは。命
が惜しくないのか、それとも、よほど腕に自信があるのか。
「ふん、面白い」
 いい退屈しのぎになりそうだ。イザークの戦士としての心に火が点いた。
「俺のデュエルを出す。格納庫の作業員に準備させろ」
「えっ! で、でも危険ですよ。敵はジンが十機はいますよ。ここは、本国の応援を待って……」
「ここからプラントまではかなりの距離がある。救援が来る前に俺たち全員、身包みはがされて
殺されているぞ。海賊ごとき、俺一人で蹴散らしてやるさ。伊達に赤は着ていない!」
 機長の制止を振り切り、イザークはMS格納庫に向かう。途中、フレイの元に立ち寄り、事の
次第を伝えた。
「海賊だ。しかも、かなりの数らしい」
「! だ、大丈夫なの…?」
 不安げな表情を見せるフレイ。先程見せた『復讐者』の表情とは全然違う、ごく普通の女の子
の表情。イザークの前では、初めて見せる顔だ。…………ちょっと意地悪したくなった。
「ヤバいかもな。この船にあるモビルスーツは俺のデュエルも含めて、みんな調整中だから出撃
は無理だ。かといって、モビルスーツから逃げ切れるほど、この船の足は速くない。全員捕まっ
て、殺されるか、どこぞの金持ちにでも売り飛ばされるか…」
 ここまで言って、イザークはフレイの異変に気が付いた。体がガタガタ震えており、眼には涙が
溜まっている。
『いかん、少しやりすぎたか』
 反省した後、ゴホンと咳払いして、
「というのは冗談だ」
「えっ…?」
「ああ。俺のデュエルの調整はもう終わっているから、すぐに出られる。なあに、あんな海賊ども
など俺一人で…」
「………………」
 思いっきり引っぱたかれました。



「ハッチを開けろ! デュエル、出る!」
 シャトルの後部ハッチが開き、イザークの愛機、デュエルアサルトシュラウドが宇宙を飛ぶ。
「行くぜ、海賊ども!」
 吼えるイザーク。左の頬には真っ赤なモミジが咲いている。頬の痛みを誤魔化すためか、イザ
ークのデュエルは意気盛んに海賊のジンたちに迫る。
 敵の一機が前に出てきた。どうやら隊長機のようだ。部下たちをその場に留めて、デュエルに
向かってくる。
「サシの勝負を挑むか? 面白い!」
 デュエルの先制。右肩の115oレールガン≪シヴァ≫と、左肩の220o径連装ミサイルポッド
を同時発射。だが、
「なっ! 全弾かわしただと?」
 敵はジンとは思えないほどの機動力を発揮し、あっという間にこちらとの間合いを詰める。そし
て重斬刀を振りかざし、デュエルの胴体に切りつける。
「ちっ!」
 後部のバーニアを全開、何とかかわした。
 しかし、危なかった。あのジンの動き、機体そのものも中身をかなり弄ってあるのだろうが、パ
イロットの腕もいい。ただの海賊とは思えない。
『兵隊崩れか? 油断できんな』
 イザークは気を引き締めた。そして、敵の動きを冷静に観察して、確実に攻撃を当てる戦法を
取る。だが、
「ちいっ!」
 当たらない。あと少しのところで、攻撃はことごとくかわされてしまう。こちらの動きを完全に読
んでいる。
「ちょこまかと! いい加減に落ちろ!」
 頭に血が上ってきた。ストライクと対峙する時と同じ感覚だ。ヤバい、と自分でも思った。こうな
った時の自分はいつも、
「ぐわああああっ!」
 そう、いつも痛い目に合っている。今回も、ジンの体当たりをまともに受けてしまった。こちらの
攻撃が雑になってきたのを見て、一気に仕掛けてきたのだ。
「く、くそおっ!」
 すぐに体勢を立て直そうとするが、それより先に、ジンの銃がデュエルのコクピットの正面に突
きつけられた。
「うっ………」
「PS装甲と言えど、この至近距離から食らえばタダではすまんだろう。チェックメイトだ、イザー
ク・ジュール」
 通信機からの声がゲームオーバーを告げた。イザークの負けだ。だが、イザークは敗北した
事以上に驚いた事があった。
『? こちらの通信波長を知っている、いや、俺の事を知っている?』
「やれやれ。相変わらず短気だねえ、イザーク君は。養成学校でも散々言ったじゃないか。その
短気な性格(わるいクセ)を直さないと、いつか痛い目を見るって」
 聞き覚えのある声だった。
「その声は、まさか……ラージ・アンフォースか!」
「ご名答。だが、口の効き方がなってないな。ちゃんと教官殿、もしくはアンフォース先生と呼びた
まえ」
 教師と教え子の久々の再会だった。もっとも、イザークにとっては悪夢との再会といっても良か
った。彼はラージが嫌いだった。
「って、ちょっと待て! あんた、前の戦いのケガのせいでモビルスーツは操縦できないんじゃ…
…」
「おいおい、いつの話をしているんだ? それにお前は、大事な事を忘れているぞ」
「?」
「俺は、あのラウ・ル・クルーゼの『友達』なんだぜ」
 非常に説得力のある言葉だった。
 とにかく、イザークは負けた。デュエルごと、元いたシャトルへと連行された。
『…………ちっ。大口叩いて、この有様か。あの女、呆れているだろうな』
 その予想は少し外れていた。ラージに捕まり、後ろ手を縛られてシャトルに戻ってきたイザーク
に対して、フレイは一言、
「お疲れ様。けど、バカ」
 と、とっても暖かい言葉をかけてくれた。三行半とも言うが。
「あれ、お前さんの彼女か? 随分と嫌われたみたいだな。ひょとして俺に負けたせいか? だ
ったら俺は負けてやった方が良かったか?」
 そう言ってくれたかつての恩師に、イザークは感謝の気持ちを込めて、
「黙れ、バカ」
 と、言ってやった。
 こうして、イザークたちのシャトルはあっさり乗っ取られた。操縦もラージの部下たちに交代させ
られ(船員たちは全員、倉庫に閉じ込められた)、従来の航路とは大きく外れた宙域を飛ぶ。
 客席には、縛られたイザークとフレイが隣同士に座らされ、その向かい側の席にラージが腰掛
けた。
「まず一つ言っておくが、俺たちは宇宙海賊とかじゃない」
 ラージが言う。
「そうですか。俺はてっきり、安月給に耐えかねて、ついに転職したんだと思いました。似合って
ますよ、海賊」
「ちゃかすな、イザーク。それで話の続きだが、実は俺たちのボスがお前さんたちに会いたがっ
ている。ただ、ボスの立場上、大っぴらにお前さんたちに会う事はできんのだ。そこでちょっと強
引だが、お前たちをこのまま、ボスの下へ連れて行く」
「ボス?」
「ああ。安心しろ、ボスはお優しい御方だ。乱暴な事はせんよ」
「私たちに会いたがっているって、私も入っているんですか?」
 フレイが不安げに尋ねる。
「もちろんだ、アルスター家のお嬢さん。むしろ、あんたの方がメインだ」
「そんな……。一体誰なんですか、そのボスって?」
「そいつは会ってからのお楽しみだ」
 ニヤニヤ笑いながら、ラージが答える。その顔にも言葉にも、悪意は感じられない。だが、ちょ
っと意地悪だ。
「アンフォース先生。俺たちは一体、どこまで連れて行かれるんですか? そのボスとやらの家
までですか?」
 後ろ手を縛られたイザークが、少しだけ下手に出て尋ねる。このラージという男は嫌いだが、
分からない事が多すぎる。反撃の為にも、正確な情報が必要だ。
「連れて行くも何も、もう着いた」
「えっ?」
「と言うより、向こうから来てくれた」
 窓の外を見ると、中型の宇宙船が一機、こちらに近づいてくる。
 宇宙船はシャトルの横に着き、往来用の簡易通路を延ばす。通路は何の問題もなく接続され
て、宇宙船の乗組員がやって来た。ラージも出迎えるため、イザークたちの側を離れた。
「………………」
 事態の急展開についていけず、混乱気味のフレイにイザークが囁く。
「そう不安がるな。あのラージという男は、虫は好かない奴だが悪い人間じゃない。それに、いざ
となったら俺がお前を守ってやる」
「えっ……?」
「お前は大切な『お届け物』だからな」
 イザークは不適に微笑む。
「な、何言ってるのよ。この状況でどうやって…」
 ここでフレイは、イザークの手を縛っていたロープが切られている事に気が付いた。そしてどこ
に隠し持っていたのか、イザークの手には小さなナイフが握られている。
「奴らのボスが来るっていうのなら、好都合だ。ボスを人質にして、ここを脱出する。備えておけ」
「わ、分かったわ……。けど、あんたって」
「ん?」
「頼りになるんだかならないんだか、よく分からない人ね」
「うっさい」
「よう! 待たせたな」
 ラージが二人の人物を連れて戻ってきた。身構えるイザークとフレイ。
 だが、
「やっほー! お久しぶりー! まだ生きてたんだ、イザークお兄ちゃん!」
 と、緊張感を粉々にぶち壊す女の子の声。それはイザークには聞き覚えのある声だった。さら
に、
「あらあら。いけませんよ、エリナさん。ご親戚に対して、そんな言い方をするのは」
 と、エリナ以上に緊張感を壊す穏やかな声。この少女の声も姿も、イザークはようく知ってい
た。
「ラ、ラクス・クライン……。い、いや、それよりエリナ、何で、何でお前がここにいるんだ! 学校
はどうした!?」
「学校はただいま休校中。何でここにいるか、ってそんなの当然じゃない。私、ラクス様の一の子
分だもの」
 イザークの母方のいとこにあたる少女、エリナ・ジュールはそう言って、ニッコリ笑った。実に気
持ちのいい笑顔だ。ツインテールにまとめられた銀色の髪が空を舞う。
「ええ、そうですわ。エリナさんはわたくしの一の子分で、仲良しさんですわ」
 ラクスも否定せず、エリナとニコニコ微笑み合っている。少々天然ボケが入っている二人を無
視して、イザークはあまり訊きたくないけど、それでもやっぱり確認しなければならない事をラー
ジに訊いた。
「アンフォース先生、まさか、先生のボスって…」
「ああ、ラクス・クラインだ。お前が大ファンのな」
 脱力した。
 フレイも諦めた。色々な意味で。



「わたくしは、この戦争は間違っていると思います」
 ロープを解かれたイザークとフレイを前に、ラクスは発言した。
「ナチュラルとコーディネイターは、殺し合うべき存在ではない。手を取り合い、共に未来を歩む
パートナーとなれるはずです。わたくしは、そう信じています」
 そう信じて語るラクスに、イザークが自分の意見をぶつける。
「理想論だな。ナチュラルどもは、そんなに寛大な連中じゃない。奴らは俺たちコーディネイター
の能力に嫉妬している。俺たちのやる事なす事全てに邪魔をして、挙句の果てにはユニウスセ
ブンのように核を打ち込む。奴らは俺たちコーディネイターの命など、何とも思っていない。だか
ら…」
「だからわたくしたちも、ナチュラルの命など何とも思わなくてもいい、と? それでは貴方の軽蔑
している人たちと同じ考え方ですわ」
「うっ……」
「『血のバレンタイン』の悲劇は、決して忘れてはならない事だと、わたくしも思います。ですがそ
れは、パトリック・ザラが語るような、戦争の理由付けとしてではなく、お互いに分かり合おうとし
なかったナチュラルとコーディネイター、双方の愚かさの象徴として、です」
 ラクスは力強く語った。その表情も、言葉に込められた迫力も、イザークが密かに憧れていた
『歌姫』のものではなかった。同一人物なのかと疑ってしまうほどだ。
「イザークさんは何の為に戦っているのですか? コーディネイターの、プラントの平和の為です
か?」
「あ、ああ、そうだ」
「その為に地球を攻める、と? コーディネイターの平和の為に、ナチュラルの人たちを皆殺しに
する、と?」
「み、皆殺しにまではしないぞ。俺たちザフトは民間人にまでは手は出さない」
「そんなの、ただの言い訳だよ。直接殺さないだけで、ザフトのせいで苦しんでいる人は大勢い
るよ」
 エリナが口を挟む。
「ザフトがニュートロンジャマーを地球に打ち込んだせいで、地球の人たちがどれだけ苦しんでい
るか、お兄ちゃん、知ってるの? それにお兄ちゃんたちが戦場にしている地球には、人の手で
は絶対に作れない自然が一杯あるし、人間以外にも、たくさんの生き物がいるんだよ。お兄ちゃ
んは何の罪も無い生き物や、地球そのものまで殺すつもりなの?」
 学校で自然学を勉強しているエリナは熱く語る。イザークは反論できない。昔からエリナには
頭が上がらないし、彼女の言っている事は正しいからだ。
「たとえお兄ちゃんにその気がなくても、このままだったらきっとそうなるよ。地球もプラントもメチ
ャクチャになって、ナチュラルもコーディネイターも殺し合って、憎み合って、そして両方とも滅び
るよ。お兄ちゃん、それでいいの? そんな未来でいいの?」
「…………………じゃあ、お前は俺にどうしろと言うんだ? お前たちの仲間になれとでもいうの
か?」
「そうしていただければ、とても嬉しいのですけど」
 ラクスが再び語り始めた。
「ですが、それは貴方が自分の考えで決める事です。自分の眼で見て、耳で聞いて、心に感じた
事を信じて行動してください。それがわたくしたちと同じ道を歩む事なら、わたくしたちは貴方を
歓迎します」
「偽善者」
 それまで沈黙していたフレイが、口を開いた。冷たく、鋭く。
「あんたの言ってる事は、全部理想論よ。いいえ、それ以下だわ。ナチュラルとコーディネイター
が手を取り合えるはずがない。私のパパはコーディネイターに殺された。地球にはそんな人たち
が一杯いるわ。その人たちは、絶対にその恨みを忘れない。ナチュラルとコーディネイターは永
遠に敵同士なのよ!」
 断言するフレイ。だが、ラクスは優しく微笑み、
「いいえ、フレイさん。わたくしはそうは思いませんわ。だって、貴方はガーネットお姉様とお友達
になられたのでしょう? コーディネイターのお姉様と」
「!」
 脇に控えていたラージがニヤリと笑う。地球に独自の情報網を持つこの男、スパイや新聞記者
としても食っていけるかもしれない。
「その話を聞いた時、わたくしは確信いたしました。ナチュラルとコーディネイターは分かり合え
る。憎しみの壁を越えられるのだと…」
「冗談じゃないわ!」
 フレイが叫ぶ。イザークもラージもエリナも怯むほどの迫力だったが、ラクスの表情は変わらな
かった。
「あんた、あの女が私に何をしたか知ってるの? あいつは私を裏切ったのよ。自分の命惜しさ
に、敵に捕まった私を見捨てたのよ! あんな奴、友達でも何でもないわ! 絶対に許さない。
今度会ったら殺して…」
「そうですわね。確かにフレイさんは、お姉様のお友達ではないようですね」
 ラクスが静かに言う。だが、言葉に少し怒気が含まれているような気が…。
「いいえ、赤の他人といってもいいかもしれませんわね。フレイさんはガーネットお姉様の事を全
然まったく、これっぽっちもご存じないようですから」
 気のせいではない。ラクスは少し怒っている。
「? どういう意味よ、それ」
「わたくしの知っているガーネット・バーネットという人は、友達を裏切ったり、見捨てたりするよう
な人ではありません。もし、そんな事をしたというのなら、それは止むを得ない事情があったので
しょう。例えば、もし、自分が死んでしまったら、友達を助ける事が出来なくなると考えたとか」
「!」
「わたくしはお姉様ほど、友達を大事にする方を知りません。それでも見捨ててしまった、いえ、
見捨てなければならなかった。その時、お姉様はきっと心の中で血の涙を流された事でしょう。
自分の無力さを呪い、そして、貴方の無事を祈って」
「そ、そんなの分からないじゃない! それに、あいつはそんなに優しい奴じゃ……」
「ありませんか?」
「………………………」
 黙り込むフレイ。ラクスも何も言わず、フレイの返答を待っている。
 二人の少女のやり取りを見ている内に、イザークは気が付いた。前にフレイがガーネットを殺
すと言った時に感じた、奇妙な不快感の正体。
『ああ、そうか。この女は俺に似ているんだ』
 性格も。
 口の訊き方も。
 他人をよく知ろうともせず、種族単位で嫌うところも。
 筋違いな復讐心を抱いているところも。
 決して自分の過ちを認めないところも。
 そっくりなのだ。
 男と女。ナチュラルとコーディネイター。違うのはそれだけだ。
 だから、気に入らなかったのだ。
 絶対に敵わない存在に挑もうとしているこの女が、とてもマヌケに見えて、けれどもそれは、自
分自身もマヌケに思えてしまうようで、それがとてもバカバカしくて、悲しくて、イライラして。
「くだらん」
「えっ?」
「くだらん。くだらん、くだらん、くだらん、くだらん!! どいつもこいつも、みんなくだらん! そし
て、どいつもこいつもバカばかりだ! 俺も、お前らも、そしてみんな! それも自分がバカだと
いう事にも気付いていない、本物のバカだ! まったくもって、くだらん! くだらなさ過ぎる!」
 戸惑うフレイや、さすがに驚いているラクスをよそに、イザークは叫んだ。同時に、心の中が晴
れ渡っていくような、奇妙な爽快感を感じた。



 イザークとフレイたちを乗せたシャトルが離れていく。ラクスは自分の宇宙船から、その様子を
静かに見守っていた。
「説得は失敗でしたね、ラクス様。イザークもフレイさんも、我々の仲間にはなってくれなかった」
 ラージがため息交じりに言う。彼の隣にいたエリナが頭を下げて、
「ごめんなさい、ラクス様! お兄ちゃんって昔からガンコ者だったけど、軍に入ってからますま
す酷くなっていたみたいで、その…」
「いいえ。失敗などではありませんわ」
 暗い気分になっていた二人に、ラクスはニッコリ微笑んで、そう答えた。
「あの二人は答えを簡単に出せるほど、器用な方ではないのでしょう。ですが、わたくしは信じて
います。あの二人の行く道は、きっとわたくしたちの行く道と重なるはずです。だって、フレイさん
はガーネットお姉様のお友達ですし、イザークさんはエリナさんの大切な人なのですから」
 ラクスの言葉に、エリナは顔を赤らめる。
「ラ、ラクス様! わ、私とイザークお兄ちゃんは、そんな関係じゃ…」
「あら、違いましたの? ではエリナさんにとって、イザークさんは道端のゴミのようにどうでもい
い御方ですの?」
「いえ、その、大切かどうかと言われると、大切ですけど、でも、その…」
 うろたえるエリナを見て、首を傾げるラクス。微笑ましい光景だった。
『こんな平和な光景が、世界中で見れたらいいのにな』
 ラージは心からそう願った。そしてそれは、今は亡き彼の恩人、アルベリッヒ・バーネットの願
いでもあった。



 予定時間を大幅にオーバーして、シャトルはプラントに到着した。当然、宇宙港の関係者や警
察から事情聴取があったが、イザークとフレイはほとんど何も語らず、他の乗組員たちはずっと
倉庫に押し込められていたため、詳しい事を知らなかった。
 結局、「宇宙海賊が襲ってきたが、特に目ぼしい物がなかったので引き上げた」という事になっ
てしまい、イザークとフレイは早々に開放された。これはイザークが評議会議員エザリア・ジュー
ルの息子で、クルーゼ隊のエースという事もあったのだろう。
 イザークがラクスの事について語らなかったのは、彼女のファンだという事以上に、彼女の言
った事が心に残っているからだ。だが、フレイはなぜ真実を言わなかっただろう?
「私みたいな捕虜のナチュラルが話す事なんて、どうせ誰も信じてくれないわ。話すだけ時間の
無駄よ」
 疑問に思って訊いたイザークに対してのフレイの返答。まあ確かにその通りだ。けれど、本当
にそれだけなのか?
 数時間の取調べの後、警察署を出たイザークとフレイの前に、一人の男が現れた。
「どうも」
 そう言って会釈したこの男、眼を黒いアイマスクで隠している。滲み出る気配もどこか冷たく、
心を許せない雰囲気だ。
「誰だ、貴様は」
 イザークが男の前に立つ。無意識にだが、フレイを庇う形になっている。
「これは失礼。私はリヒター・ハインリッヒという者です。クルーゼ殿からお聞きになっていません
か?」
「…………ああ、思い出した。あんたがリヒターか」
 地球を発つ前にクルーゼに言われていた。クルーゼの友人で、フレイの身元引受人になる男
だ。
 イザークはフレイに、リヒターの事を説明した。
「という訳だ。俺の役目もここまでだ。後はお前で何とかするんだな。復讐でも何でも好きにすれ
ばいい」
 突き放すように言うイザークだが、実際は少し心配だった。このリヒターという男、どう見ても普
通の一般人ではない。だが、隊長の知り合いなら、そんなに悪い人間ではないだろう。人を見か
けだけで判断するのは間違っているし。
「あんたは」
「ん?」
「あんたはこれからどうするのよ」
 フレイの質問に、イザークは少し考えた。そして、ポケットからメモ用紙を取り出して一枚破り、
何かを書き殴った後、それをフレイに与えた。
「? 何よ、この紙に書いてある数字は」
「俺の家の電話番号だ」
「えっ?」
 驚くフレイに、イザークは紙を強引に押し付けて、
「お前、こっちには友達も知り合いもいないんだろう? 何か困った事があったら電話しろ。俺も
暇じゃないから、いつでも出れる訳じゃないが、運良く家にいた時は話相手ぐらいにはなってや
る」
「なっ……何よ、それ。バッカじゃないの? 大体それって、私の質問の答えになってないじゃな
い」
「ったく、頭の悪い女だな。俺は当分こっちにいるから、何かあったら電話しろ、って言ってるんだ
よ。そんな事も分からないのか」
「そうならそうとハッキリ言いなさいよ! 回りくどい事やってんじゃないわよ!」
「どこが回りくどいんだ。お前の頭の回転が鈍いだけだ」
「な、何ですってえ…!」
 天下の往来で口喧嘩を始めた二人を、通りがかりの人々が興味深そうに見ている。そしてそ
の中には、
「…………君たち、私の事を忘れてないかね?」
 と、ちょっと不機嫌なリヒターがいた。
 その後、二十分ほどつまらない口喧嘩をした後、二人は別れた。リヒターに連れて行かれたフ
レイは、イザークに別れの挨拶もしなかったが、イザークから渡されたメモ用紙はポケットの中に
入れていた。
 一方、イザークもザフト軍本部に向かう。デュエルをモビルスーツ開発部に届けた後、本国防
衛軍への転属願いを出すつもりだった。
『ストライクと決着がつけられないのは少し残念だが、あのバカ女、どうも眼が離せないからな』
 後悔はしない。自分で選んだ道だ。ナチュラルの小娘一人のために人生の予定を大きく狂わ
されてしまったが、悪い気はしなかった。
『さて、家に帰るまでに母上への言い訳を考えておくか……』



 深夜のリヒター邸。諜報局での仕事を終え、帰宅したリヒターは隠し部屋の扉を開ける。部屋
には無線機が一台。盗聴完全防止機能付きの優れ物だ。
 無線機のスイッチを入れると、
「私だ。リヒターか?」
 と、男の声がした。
「ああ、そうだ。定時連絡と緊急報告だ、クルーゼ。そちらのご要望どおり、フレイ・アルスターは
例の『施設』に送り届けた。後は任せろ」
「そうか。世話をかけたな」
「構わんよ。それより、本当にあの少女が…」
「ああ。彼女は我々の計画にとっての『鍵』となるだろう」
「そうか。それは喜ばしい事だな。だが、少し気になる事がある」
「何だ?」
「明日、そちらにも連絡が行くと思うが、君の部下のイザーク・ジュールが、つい先程、軍本部に
転属願いを出した。本国防衛軍をご希望らしい」
「あのお飾り部隊に入りたいと? ふむ、それは意外だな」
「実はこのプラントに来る途中、彼とフレイの乗っていたシャトルが宇宙海賊に襲われている。本
人たちは口を割らないが、恐らく…」
「クラインの一派か」
「うむ。同時刻にラージもプラントから姿を消している。奴が仲立ちしたのかもしれん。イザークは
クライン派に付いたのかも…」
「ふん。それならそれで利用価値がある。ラージ同様、しばらく泳がせておけばいい。妙な動きを
すれば、殺せ」
「いいのか? 君の部下だろう」
「構わん。あの程度なら、代わりはいくらでもいる」
 無線機の向こうでクルーゼが冷笑したのが分かる。
「それよりもリヒター、パトリック・ザラの動きはどうだ?」
「安心しろ。我々の思惑にはまったく気が付いていない。予定通り、スピッドブレイクを発動してく
れるだろう」
「そうか」
「アズラエルの方も迎撃準備は万全のようだ。サイクロプスも間もなく完成するそうだし、これで
ザフトはアラスカで戦力の大半を失う事になる」
「全てシナリオ通りだな。それこそが我らの望みだ。そしてそれは、我らの神の望みでもある」
「そうだ。それこそが我らが神の望み、そして我らの望み……」
「全てのコーディネイターどもに死を」
「ああ。そして、全てのナチュラルどもに神の裁きを」
 通信、終了。
 世界は闇に向かっていた。底深き絶望という名の闇に。

(2003・7/30掲載)
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