第22章
 最後の涙

 その日の気候は雨。豪雨ではなく、しとしとと降る静かな雨。空が、世界が泣いているようだっ
た。
 アルベリッヒ・バーネットの葬儀は、滞りなく終了した。葬儀に参加してくれた人々は皆、涙を流
して、故人の冥福を心から祈り、墓地を後にした。
 墓石の前で、ガーネットは傘を差したまま、立ち尽くしていた。黒い喪服に黒い傘。黒は父の好
きな色だった。彼を弔う色としては、最も相応しいと思った。
 葬儀の間、彼女は一言も言葉を発する事は無かった。涙も流れない。その心には何も存在し
ない。悲しみも、自分を置いて死んだ父に対する怒りも、何も湧き上がらない。何かを考える事
そのものが煩わしかった。
 雨は止まない。
 死にたくなった。
「よお」
 一人の男が話しかけきた。手には酒瓶。喪服を着ているが、葬儀の際には見た事がない顔だ
った。
「それがアルベリッヒさんの墓か? 弔わせてもらってもいいかな?」
 特に断わる理由は無い。ガーネットは黙って頷いた。
「そうか。ありがとう」
 男は礼を言った後、手に持つ酒瓶の蓋を開けた。アルコールの匂いが放たれる。それは、ガ
ーネットがよく知る匂いだった。
「親父の……好きな酒」
 男は、酒を墓石に掛けた。ドクドクという音と共に、大量の酒が墓石を洗い流す。
「あんたの親父さんは、いい酒飲みだった。ただ、酒の好みが煩くてな。親父さんの好きなこの
酒を探すのには苦労したぜ」
 酒瓶が空になると、男はガーネットに眼を向けた。優しい光を放っている。
「で、これからお前さんはどうするつもりだ? 戦うつもりなら、手を貸すぜ」
 気さくに話しかける男。ガーネットは、少しだけ警戒した。
「…………あんた、誰?」
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺の名はラージ・アンフォース。酒と女と正義の味方。お前の
親父さんに命を助けられた男。そして、これからお前さんを助ける男だ」
 これがガーネット・バーネットとラージ・アンフォースの出会いだった。



「ガーネットさん、援護します!」
 駆けつけようとするキラのジャスティス。だが、
「敵に背を向けるとは余裕だな、キラ・ヤマト君!」
 クルーゼのオウガが背後から迫る。後ろを取られたジャスティスだが、≪ヴァイスネーゲル≫
の一閃を何とかかわした。
「こいつ、まだやる気なのか?」
「片腕とはいえこのオウガを、私を舐めるな!」
 クルーゼは焦っていた。シャロンが来ているという事は、彼女を通じてダブルGもこの戦いを見
ているという事だ。醜態を晒すわけにはいかない。クルーゼの心境を現すかのごとく、片腕のオ
ウガは凄まじい攻撃を仕掛けてくる。さすがのキラも防戦一方。これではガーネットたちを助けに
行けない。
「くっ! ガーネットさん、ニコル、僕が行くまで持ち堪えてください!」
 ビームサーベルを構えて、突進するジャスティス。迎え撃つオウガ。戦闘は更に激しさを増して
いく。
 一方、ルシフェルとダークネスの方は両機とも動かず、静かに睨み合っている。
「ラージ……先生」
 かつての愛弟子であるガーネットの呼びかけにも、ラージは答えない。代わりにシャロンからの
声が、通信機から聞こえてきた。
「そうです。ここにいるのは間違いなく、ラージ・アンフォース。あなたたちの師にして、ナチュラル
でありながらコーディネイターにも認められるほどの実力者。彼が私の新しいパートナーです」
「そんなバカな! どうしてアンフォース先生が、貴方たちの仲間に…」
「彼はあなたより賢かった、という事ですよ、ニコル・アマルフィ。神の力の大きさを知り、洗礼を
受け、新たな使徒となったのです」
「へえ。フレイみたいに脳に妙な物を埋め込むのが、あんたたちの言う『洗礼』なのかい?」
 ガーネットが冷たい声で言う。それに対しても、シャロンは平然と答える。
「脳だけではありません。神の使徒として働いてもらうため、他にも色々と埋め込ませてもらいま
した。今の彼は、コーディネイターをも上回る身体能力の持ち主にして、偉大なる神の忠実な使
徒です」
「……なるほど。よーく分かったよ。あんたたちが、絶対に倒さなきゃいけない連中だって事が
ね! 人の体を、心を、いい様に弄んで、操って!」
「それが永遠の幸福に繋がる事なのです。愚劣な人間は、神の道具となる事で唯一、その罪を
許されるのです。もっとも、あなたたちには、その機会さえ与えませんが」
 シャロンの殺気が膨らむ。
「クルーゼ様にも危害が及ぶので、≪エリミネート・フェザー≫は使えませんが、それでも今のル
シフェルならば、あなたたちなど瞬殺できます。愚者たちよ、神の裁きを受けなさい!」
 シャロンの言葉と共に、ルシフェルの姿が消える。ミラージュコロイドだ。
「ふうん……。それがルシフェルの新しい能力かい。けど、生憎だったね。こっちは『それ』とは戦
い慣れているんだ」
 ガーネットの言葉は自信に満ちていた。それも当然だ。初のミラージュコロイド搭載兵器である
ブリッツと、幾度となく死闘を繰り広げてきたのだ。苦笑しながら、ガーネットは音響感知システ
ムをフル出力にした。ミラージュコロイドは姿は隠せても、音は隠せない。機体の出すわずかな
音も聞き逃さない。
 だが、
「……!? ガーネットさん、これは…」
 ニコルの顔が青ざめる。音響感知システムは、何の反応も示さない。
「音が……しない?」
 ガーネットも驚く。次の瞬間、機体に衝撃が走る。
「うわっ!」
「ぐっ!」
 ルシフェルの≪ウルスラ≫による背後からの銃撃。だが、やはり音響感知システムは着弾す
るまで何の反応も示さなかった。
「くっ……。奴のミラージュコロイドは、機体だけでなく武器の発射音まで消しているのか?」
「それだけじゃありませんよ、ガーネットさん。従来のミラージュコロイドなら、攻撃時には姿を現
すはずなのに、ルシフェルは……」
 通常時でも攻撃時でも、ルシフェルの姿は無い。その白き体も黒い翼も完全に消したまま、弾
丸やビームを放ってくる。
「ぐっ!」
「うっ!」
 かわそうとするダークネスだが、上手くいかない。敵の姿が見えないのでは攻撃の発射地点も
分からず、敵の攻撃を予測して避ける事が出来ない。致命傷を避けるのが精一杯だ。
 こちらの攻撃も当たらない。姿が見えないから、ではない。ガーネットは少ない情報から何とか
敵の動きを予測して、攻撃するのだが全て空振り。こちらの攻撃パターンを読まれているのだ。
「ちっ、あんたの仕業か、ラージ先生!」
 ラージ・アンフォースは答えない。ガーネットとニコルにモビルスーツの操縦を教えた男。それ
ゆえに、二人の動きを知り尽くしている男。彼はただ黙々と弟子たちの動きを予測し、それをル
シフェルに伝えている。今の彼は、ルシフェルの部品だった。
『予想以上の拾い物ですね、ラージ・アンフォース。対ガーネット用の刺客としては最高の人材で
す』
 シャロンは満足していた。彼女にとってパートナーは『使い捨ての消耗品』だったが、役に立つ
に越したことはない。その命が尽きるまで働いてもらおう。
「ガーネットさん、このままじゃ!」
「分かってる! 何とかしないと……」
「無駄です。あなたたちには何も出来ません」
 突然、消えていたルシフェルが姿を現した。しかもダークネスの真正面に、腕を組んで、堂々
と。嫌味なほどの余裕と自信だ。
「私たち神の使徒とパーフェクトミラージュコロイドの前では、あらゆる抵抗は無意味。歯向かう
者は嬲り殺されるのみです。あなたたちのように」
「嬲り殺される、だって……? 誰が、誰にだい!」
 ガーネットの怒りを受けて、ダークネスが動く。手にしていた≪ドラグレイ・キル改≫をルシフェ
ルの顔面に向かって突き出す。
 必殺の間合いとタイミングだった。だが、
「! なっ……」
 信じられない事が起きた。≪ドラグレイ・キル改≫の刃先が、ルシフェルの顔に突き刺さる寸
前で止められたのだ。それも、指一本で。
「そ、そんな……」
「バカな……」
 絶句する二人。それに対してシャロンは、
「これが今のルシフェルの力、そして、あなたたちとの実力の差です」
 と、冷静に話す。さも当然の事という態度だ。
「あなたたちを葬り去る事など、今のルシフェルならば指一本で充分です」
 ルシフェルはそのまま、指一本で≪ドラグレイ・キル改≫の刃先を押し戻そうとする。
「くっ……!」
 対抗するダークネスだが、じりじりと押し戻されていく。パワーが違いすぎる。例えるならば、ア
リとマンモスほどの差か。
「話になりませんね」
 ルシフェルのパワーが、更に上がる。そのまま指一本で、ダークネスを槍ごと押し戻した。
「うわっ!」
「くうっ!」
 バランスを崩しかけたダークネスだが、何とか姿勢を制御した。致命的な隙だったが、ルシフェ
ルはその隙を突こうとはしなかった。圧倒的な余裕と自信。それを持つだけの力が、今のルシフ
ェルにはある。
「あなたたちは簡単には殺しません。神に逆らった己の浅慮を恥じ、呪い、後悔しながら死んで
もらう為に、もう少し苦痛を味わっていただきます」
 ルシフェルの姿が、またしても消える。
「くそっ、またか! コソコソと隠れて! 臆病者め!」
「これは慈悲です。真正面から戦ったのでは、あなたたちが弱すぎて、本当に瞬殺してしまいま
すからね。せめて一分一秒でも長く生かしてあげます」
 見下されている。虚仮にされている。だが、それも当然だ。両機の性能差は歴然。しかも相手
は、
「ラージ先生……」
 ガーネットの表情が暗くなる。ニコルもかける言葉が見つからない。機体もパイロットの力量も
相手の方が上。キラのジャスティスはオウガと交戦中だし、フラガのストライクは戦闘不能状態
で、援護は期待できない。絶望に満ちた空気がダークネスの操縦席に漂う。



 コロニーの外では、地球連合軍とディプレクターの戦闘が続いていた。
「邪魔だ! くたばれ、白いの!」
 オルガのカラミティ対、
「その程度で!」
 アスランのフリーダム。
「激滅!」
 クロトのレイダー対、
「動きが単純なんだよ。食らいな!」
 ディアッカのバスター・インフェルノ。
「うらああああっ!」
 シャニのフォビドゥン対、
「行かさんぞ、貴様あっ!」
 イザークのアルタイル。いずれも互角の攻防だ。
 地球軍の主力である三機は、アスランたちによって分断され、連携攻撃を封じられている。そ
の隙をついて、
「アークエンジェルは、守ってみせる!」
 フレイのヴェガや、
「落とす!」
 カガリのストライクルージュなどが、次々とストライク・ダガーを落としていく。
 数の上では地球軍の方が上だった。だが、ディプレクターのメンバーは各自、実力以上の能力
を発揮。地球軍は四割以上のモビルスーツを失い、戦艦も既に二隻沈められている。ナタルの
ドミニオンは奮闘しているが、アークエンジェルとクサナギの連携攻撃によって、徐々に追いつ
められていた。
「押されていますねえ。大丈夫ですか?」
 アズラエルは呑気そうに言う。味方の危機に対して、まるで他人事のような態度。ナタルは不
愉快になったが、感情を顔に出す事はせず、冷静に戦況を分析し、判断を下す。
「サブナック少尉たちを、ドミニオンの護衛に戻せ。残存兵力をまとめ、この宙域から一時撤退
する!」
「逃げるんですか? 折角見つけた獲物を前にして」
「撤退は立派な戦術です。勝算の無い戦闘で、無駄に戦力を消耗させる訳にはいきません。特
にサブナック少尉たちは、貴重かつ優秀な戦力です。ここで失う事は、得策ではありません」
「貴重かつ優秀、ねえ……。まあ、確かに普通の奴らよりは使えますけど、所詮は消耗品です
よ。人間みたいに扱って、大切にしても、意味は無いと思いますけどね」
「……………」
 オルガ、クロト、シャニの三人は、過去の経歴を、全て抹消されている。モビルスーツパイロット
という事でナタルは彼らを『少尉』として扱っているが、実は彼らには階級は与えられていない。
書類上では彼らは、新型モビルスーツの生体CPUとして扱われている。
 それがナタルには気に入らなかった。昔のナタル、アークエンジェルに乗る前の彼女なら受け
入れていたかもしれないが、今の彼女には到底、容認できる事ではなかった。
「この艦の艦長は私です。戦闘時の指揮権も、私の方が上です。異論を唱えると言うのなら、私
の権限で少尉たちを呼び戻します」
「別に、ダメだ、とは言ってませんよ、どうぞ、ご自由に」
 苦笑するアズラエルを放って、ナタルはオルガたちに撤退を命令した。カラミティらの収容後、
ドミニオンも後方に下がる。
 ディプレクター側は追撃しなかった。偵察に行ったフラガからの連絡で、ザフトの部隊がメンデ
ルの裏側にいる事が分かったからだ。今、ドミニオンを追えば、ザフトに背後を突かれる。
 ラクスが全艦に指示を伝える。
「戦力をまとめ、ザフトとの戦闘に備えます。各自、補給活動を行ってください。キラたちが戻り次
第、ただちに行動に移ります」
 指示を出しながら、ラクスは胸のざわめきを押さえていた。とても嫌な予感がする。何かが起こ
るような、いや、もう起こっているのか……?



 メンデル内部。激しくぶつかり合うジャスティスとオウガ。両パイロット共に気力、体力も限界に
近い。
「これで最後だ、キラ君!」
 クルーゼが叫ぶ。オウガは背部のバーニアを全開にし、ジャスティスとの間合いを詰めた。そ
して、必殺の≪ヴァイスネーゲル≫を振り下ろす。
 しかし、この攻撃をキラは読んでいた。
「させるかあっ!」
 ジャスティスのビームサーベルが、オウガの残された腕を切り落とす。だが、わずかに間に合
わなかった。≪ヴァイスネーゲル≫の刃は、ジャスティスの左腕を切り落とし、背部のリフターの
翼部も破壊した。
「うわああああっ!」
「くっ!」
 バランスを崩した両機は、地表に落下。共に戦闘不能となってしまった。
「ちっ、この機体は私には合わんな……!」
 不満を漏らしながら、クルーゼはオウガのコクピットから出た。その時、銃弾が彼の耳元を掠
める。
「逃がさんぞ、クルーゼ!」
 ムウ・ラ・フラガが銃を構えて、こちらに向かってくる。
「ふん、しつこい男だ。それほどまでに私が憎いかね、ムウ・ラ・フラガ!」
 クルーゼも銃を取り出し、反撃。お互いに岩陰や建物の影に隠れながら、激しい銃撃戦を展
開する。
「私も君が憎いよ。父の犯した罪も知らず、無様に生きている貴様がなあっ!」
「貴様、親父の事を知っているのか?」
「ああ、ようくな。ちょうどここは運命の始まりの地。貴様の父の罪を教えるには相応しい場所
だ。着いて来るがいい、ムウ! 私を殺したいのならばな!」
 意味深な捨て台詞を残して、走り去るクルーゼ。銃弾を避けながら、とある建物の中に逃げ込
む。
「くそっ、逃がすか!」
 クルーゼの後を追い、フラガも建物の中に入っていく。そして、ムウを助けようとジャスティスを
降りたキラも、それに続く。
 三人が入った建物は、見果てぬ夢を追った賢き愚者たちの城。ここでキラとフラガは、自身の
過酷な運命を知る事になる。
 一方、
「うわああああっ!」
「ぐあっ!」
 天空で繰り広げられている白と黒の戦いも、佳境に入っていた。
「こちらが手加減しているとはいえ、本当にしぶといですね。死の運命は決まっているのに、まだ
無様な姿を晒しますか」
 シャロンは冷たく言い放つ。
 致命傷は避けているものの、ダークネスの損傷はかなりのものだ。一方のルシフェルは、傷一
つ付いていない。誰がどう見てもダークネスの、ガーネットとニコルの勝算はゼロだ。
 実際、ニコルは諦めかけていた。機体の性能差だけでも大きいのに、相手は『あの』ラージ・ア
ンフォースなのだ。訓練学校時代、ニコルもアスランも、いや、誰一人として、彼に勝つどころ
か、傷を付ける事さえ出来なかった。コーディネイターに認められたナチュラル。ナチュラルであ
りながら、コーディネイターをも凌ぐ実力の持ち主。勝てるはずが無い。
「ニコル」
 ルシフェルの攻撃をかろうじて避けながら、ガーネットが語りかけてきた。その声は妙に落ち着
いていた。
「本気で行くよ」
「!」
 その言葉が何を意味するのか、ニコルは知っていた。
「このままじゃ殺られる。私たちはこんなところで殺られる訳にはいかないんだ」
「そ、それはそうですけど、でも、そうしたらアンフォース先生を…」
「ああ。殺す事になるだろうね」
 ガーネットの声は冷静だった。
「それでも、私は戦う。そう決めたんだ。そしてそれは、ラージ先生も承知している」
「えっ!?」
 ガーネットの脳裏に、ラージの言葉が蘇る。彼女が訓練学校を卒業する時、ラージはこう言っ
た。彼女を影から助けるためにザフトに残る、と。そして、

「お前さんは、いずれザフトを抜けるんだろ? だとしたら、俺と戦う事になるかもしれん。その時
は迷わず、躊躇わず、俺を殺せ。それがお前の選んだ道、そして俺の選んだ道だ。俺たちの敵
は強い。それくらいの覚悟が無いと勝てんぞ」
 ガーネットは頷いた。ラージは満足気に、彼女の肩を叩いた。

「……………」
「ニコル、恩師と戦いたくないあんたの気持ちは分かる。あんたのその優しい心は私も好きだ。
けど…」
「分かりました」
「ニコル?」
「貴方が覚悟を決めているのなら、僕は何も言いません。どこまでも着いて行きます。貴方と一
緒なら、たとえ地獄の底でも」
 それがニコルの覚悟だった。
「ニコル……ありがとう。それじゃあ、行くよ! 新たなる領域へ!」
「はい!」
 ダークネスの眼と胸が、赤く輝く。
「トゥエルブ! 1番から5番!」
「7番から11番!」
「「覚醒せよ!」」
 十個のブラックボックスが起動音を上げる。ダークネスの全身に電流が、意志が、光が走り、
強大な力を生み出す。
「!? こ、これは?」
 驚くシャロン。先程までの『勝利の確信』が、なぜか一気に消えていく。
 ダークネスの操縦席では、ガーネットもニコルも悲鳴を上げる寸前だった。トゥエルブの負担が
二人の体を、精神を襲っているのだ。
 トゥエルブ専用機であるダークネスは、ストライクシャドウの時よりシステム使用時の負担は軽
減されているし、ガーネットも慣れてきた。それでも負担がゼロになる訳ではなく、辛いものは辛
い。
 だが、ガーネット以上に辛いのはニコルだ。今まで彼が使っていたトゥエルブは7番と8番の二
機だけだったが、今回は一気に10番まで起動させてしまった。ガーネットでさえ、一機ずつ慎重
に起動させていたのに、一度に三機も上乗せし、起動させたのだ。いくら彼がトゥエルブと相性
がいいとはいえ、その負担は半端ではない。実際、彼の顔には苦悶の表情が浮かんでいる。失
神寸前だ。
「くっ……。ニコル、大丈夫…?」
「え、ええ、何とか……」
 ニコルは微笑んだ。これは彼の意地だった。愛する女性の前で無様な姿は見せたくないし、不
安にさせたくない。
「……よし。行くよ!」
「はい!」
 涙を堪えながら、力強く返事をするニコル。ガーネットは、彼の気持ちを受け取った。あえて彼
の顔を見ず、ダークネスの操縦に集中する。
 感覚が研ぎ澄まされていく。分かる。聞こえる。把握できる。トゥエルブの効果によって増幅さ
れた五感が、ダークネスのセンサー類が、姿無き悪魔の影を追い、突き止める。
 操縦者であるシャロンやラージの気配。心音。呼吸音。瞳を瞬きさせる音。髪の毛が空気に触
れる音。風の流れ。そして、こちらに向けられている絶大な殺意。全てが確実な情報として、ガー
ネットたちに伝わる。そして、
「そこだあっ!」
 ダークネスの≪ドラグレイ・キル改≫が、何も無い空間に突き出された。火花が飛び散り、隠
れていたルシフェルが姿を現す。自慢の黒翼が、刃に貫かれていた。
「なっ!?」
「…………」
 驚愕するシャロン。ラージは何も言わない。
「かくれんぼの時間は終わりだ! 行くよ!」
 この機は逃さない。ダークネスは更に槍を突き出す。
「くっ!」
 頭部に向かってきた槍の刃先を、紙一重でかわすルシフェル。しかし、
「甘い!」
 ≪ドラグレイ・キル改≫が引き戻される時、刃先の脇に付いている鋭い鎌がルシフェルの後頭
部に直撃。鎌はそのまま、ルシフェルの顔を両断した。
「な! そ、そんな!?」
 頭部を破壊されたルシフェルは、カメラアイを失い、その眼を奪われた。操縦席のモニターに
は白と黒の砂嵐が吹き荒れている。
「甘く見たね、シャロン。けど、鈎鎌槍の力はまだまだこんなものじゃないよ!」
 鈎鎌槍。それは≪ドラグレイ・キル改≫のモデルにして、槍と鎌の特徴を併せ持った古代中国
伝説の武器。突く、払う、だけでなく、『引く』動作も攻撃にする事が出来る強力な槍。だが、その
習得は極めて困難で、体得したのは歴史上でもわずか数人だという。
 ガーネットは、オーブ滞在時にこの槍に関する文献を発見し、独学で体得したのだ。元々槍術
に長けていたとはいえ、わずか数週間で学習するとは、恐るべき才能と執念である。
「これから神様とやり合うんだ。モビルスーツだけでなく、私自身も強くならないとね」
 その上達振りに驚くエリカ ・シモンズに対して、ガーネットはこう言った。
 とはいえ、実戦はこれが始めてだ。今まで使いこなせなかったのだが、ようやく間合いを掴ん
だ。もう彼女の鈎鎌槍に死角は無い。
「うおおおおおおおっ!」
 連続で突き出される≪ドラグレイ・キル改≫。カメラアイを失っているルシフェルには、この攻撃
をかわす事が出来ず、傷付いていく。致命傷を避けるのが精一杯だ。
 たとえ紙一重で『槍』をかわしても、すぐに後ろから『鎌』が襲い掛かってくる。≪ドラグレイ・キ
ル改≫に『紙一重でかわす』という行為は通用しない。
 ダークネス本体のパワーとスピードも上がっている。トゥエルブが、ダークネスの太陽電池の集
光率とエネルギーの伝導率を上げているのだ。光ある限り、ダークネスの力に限界は無い。
「くっ、そ、そんな馬鹿な……! 神に逆らう愚者などに、この私が、ルシフェルが……」
 シャロンは、今起こっている現実が信じられなかった。ルシフェルの力は、ダークネスを圧倒的
に上回っていたのだ。相手の動きも完全に読み、攻撃を回避していた。翻弄していた。それなの
に、なぜこんな…?
「どうやら敵も、こちらの動きを読んでいるようだな」
「!? ラージ……様?」
 今まで沈黙を保っていたラージが、口を開いた。ルシフェルのシステムの一部となっている彼
は、余程の事が無い限り、ルシフェルの操縦に徹し、喋らないように『調整』されている。その彼
が口を開いたという事は、シャロンたちの危機だという事だ。
「まあ、それも道理か。私があの女の事をよく知っているように、あの女も私の事をよく知ってい
る。データさえ揃えれば、行動パターンは読みやすいし、読まれやすい」
「で、ですが、先程まではこちらが圧倒していました。それなのに……」
「学習したのだろう。このルシフェルのデータを収集し、分析し、先の行動が読めるようになった
のだ。あの女の学習能力の高さはコーディネイターでは随一だからな。先程、クルーゼにオウガ
に戻るように連絡をした。奴が戻り次第、ここから撤退する」
「撤退ですって!? そんな事は許されません。神の敵を前にして、むざむざと退くなど…!」
「こうなったのは誰の責任だ? お前が敵を侮り、一気に止めを刺さなかったからだ。おかげで
奴に、こちらの行動パターンの詳細かつ豊富なデータを与えてしまった。窮鼠猫を噛む。追いつ
められたネズミはネコにも噛み付く。ましてや相手は『漆黒のヴァルキュリア』。ただのネズミでは
ない。ネコどころか、我らが神にも噛み付き、喉笛を食い千切るだろう」
「うっ……」
 言い返せない。シャロンのミスは確かだったし、ラージの判断は間違っていない。敵を侮りすぎ
た。
「一旦、退く。そうすればルシフェルは新たな力を身につける。今回の屈辱はその時に晴らせば
いい。分かったな?」
「……はい。分かりました」
 シャロンは唇を噛み締める。敗北という屈辱を胸に刻み、ガーネットへの殺意を膨れ上がらせ
る。
「なるほど。ロディア・ガラゴの気持ちが、少しだけ分かりました。ガーネット・バーネット。不愉快
な女…!」
 クルーゼがオウガに戻った事を確認した後、ルシフェルは威力を抑えたエリミネート・フェザー
を放った。煙幕代わりの閃光と爆発に紛れ、ルシフェルはオウガと共に撤退した。
「ガーネット、ニコル、大丈夫か!」
 フラガからの通信に、ガーネットは肩で息をしながら答える。ちなみにニコルは意識を失ってい
た。やはりトゥエルブの負担が大きかったようだ。
「何とか、ね。そっちは無事?」
「ああ。ちょっとトラブルがあったが、俺もキラも無事だ。すまないが、俺たちを連れて飛んでくれ
ないか?」
 ストライクもジャスティスも損傷が大きく、自力での帰還は無理だった。ダークネスも負傷してい
たが、この二機ほどではない。
「何とかやってみるよ。まったく、フラガさんはいい年して張り切るからこうなるんだよ。マリュー艦
長に心配かけるんじゃないよ」
「気を付ける。けど、人をおっさん呼ばわりするな」
 苦笑するフラガ。
 ダークネスはエクストリーム・モードに変形。その背にストライクとジャスティスを乗せて、自軍の
艦に帰還した。
 三機の帰還後、ディプレクターの三艦は、この宙域を離脱した。ヴェサリウスを中心とするザフ
ト艦隊は彼らを追わなかった。ディプレクターの戦力が予想以上に強大だった事に加えて、自軍
の切り札であるオウガも損傷。隊長のクルーゼも、なぜか自室に引き篭もってしまった。勝算が
低いと見たアデス艦長は、独断で追撃を行わなかった。
『地球軍との決戦を前に、戦力を消耗する訳にはいかないからな』
 そう自分に言うアデスだったが、それが苦しい言い訳だと自分でも分かっていた。かつての仲
間たちが乗る敵艦を、アデスは複雑な思いで見送った。



 エターナルに帰還後、気絶していたニコルは医務室に運ばれた。幸い、大事には至らず、しば
らくしたら目を覚ました。彼を心配そうに見つめるガーネットに向かって、優しく微笑む。
 見舞いに来ていたアスランたちは、ニコルが目を覚ますと、気を利かせて、部屋を出て行っ
た。医務室にはニコルと、彼を看病するガーネットの二人だけが残った。
「夢を見ました」
 ベッドから体を起こしたニコルが、口を開いた。
「僕がまだ、訓練学校に通っていた頃の夢です。アスランやイザーク、ディアッカやラスティたちと
初めて会った頃の夢。そして、アンフォース先生の下で教えられていた頃の夢です」
 ラージ・アンフォースは、とにかく『変わり者』だった。ナチュラルなのにコーディネイターの世界
に溶け込み、軍人なのに「人殺しは嫌いだ。女も酒もマズくしやがる」などという暴言を平気で口
にした。常に笑顔を忘れず、周りの人たちを自然に陽気な気分にさせる。訓練学校でも一番の
人気者で、堅苦しいはずの学校を、楽しい思い出で満たしてくれた。
「本当にいい人でした。僕たちが兵士というマシーンにならずに済んだのは、あの人のおかげか
もしれません」
 ニコルの顔に微笑が浮かぶ。それを見たガーネットは、自身の思い出の中からラージの言葉
を引き出し、口にした。
「敵を憎むな。人を殺す事に慣れるな。常に悩み、苦しみ、傷付き、脳みそをフルに回転させて、
よーーーーく考えろ。それが唯一、お前たちが人としてあり続ける事が出来る方法だ」
「ガーネットさんも、そう教えられたんですか?」
「ああ。あの人の下で教えられた奴らは、みんな最後にこの言葉を送られた。実践できる奴ら
は、あまりいなかったみたいだけどね」
 戦場という狂気の世界は、人の心を容易く破壊する。ロディアがいい例だし、ガーネットもその
一歩手前まで行ってしまった。
「あの人には色々と教えられたよ。パイロットとしての技術だけじゃなく、人間として大切な事も
ね。今の私があるのは、あの人のおかげだ。私は、あの人の教え子である事を誇りに思う」
「僕もです。先生を、助ける事はできないんでしょうか?」
「無理だね」
 ガーネットはあっさりと、そして冷酷に言った。それはニコルの予想した通りの答えだった。
「そうですね。ダブルGは、そんなに甘い奴じゃありませんよね」
 それは分かっている。だが、それでもわずかな希望ぐらいは持ちたかった。
「あんたの気持ちは分かるよ。正直、私だって助けられるものなら助けたい。でも、そう考える事
自体、敵の思う壺なんだ」
 ガーネットの言葉は、自分に言い聞かせているかのようだった。命をかけた戦場では、希望は
必ずしも力にはならない。時にそれは、致命的な隙を生み、死神を招き寄せる。
 敵として相対した以上、心を殺して戦わなければならない。ラージの教えには反するが、人間
である事を止めなければならない。そうしなければ、ラージには勝てないだろう。
『どうしてこんな事になってしまったんだろう?』
 ニコルは心の中でため息をついた。かつては愛する人と、そして今度は尊敬する恩師と戦う。
自分の運命を呪わずにはいられない。
 気まずい沈黙が流れる。
「ニコル」
「何ですか?」
「悪い。ちょっとだけ…………泣かせてくれないか?」
 そう言ったガーネットは、いつもの勇ましい戦女神ではなかった。とても小さく、か細い、一人の
少女だった。
 そうだ。僕だけじゃないんだ。いや、きっと僕以上に辛いのは……。
「分かりました。どうぞ泣いてください。思いっ切り」
 ニコルは腕を広げて、愛する少女にその胸を貸した。
 そして愛する少年の胸の中で、ガーネットは泣いた。声を上げずに、静かに泣いた。
 ニコルは泣かなかった。悲しみを心に隠し、新たな決意を固める。何があっても、この女(ひと)
を守る、と。運命と戦い抜く、と。



 悲しみに包まれていたのは、ニコルとガーネットだけではなかった。
 自身の出生の秘密を知ったキラも。
 尊敬する師が敵になった事を知ったルミナも。
 そしてルミナと同じく、師であり、命の恩人でもある男が敵に回った事を知ったアスランやイザ
ーク、フレイも。
 みんな、泣いた。
 それぞれ、愛する者の側で泣いた。
 キラはラクスの膝の上で。
 ルミナはサイの胸に飛び込んで。
 イザークとフレイは、それぞれの腕の中で。
 そしてアスランは、一緒にキラの見舞いに来たカガリの肩に顔を乗せて。
「みんな、泣いているみたいだ……」
 カガリが呟く。
 アスランは答えなかった。間もなく始まるだろう決戦を前に、皆が最後の涙を流していた。



 人知れぬ闇の中、五つの影が集う。
「やれやれ。クルーゼ君もシャロンさんも、とんだ失態ですね。折角、僕が連合軍(すけっと)を連
れてきてあげたのに」
 立体映像のアズラエルが、やれやれといった表情で言う。それを見た他の四つの立体映像の
反応は、
「確かに、少々甘く見すぎていた」
 と、クルーゼは反省し、
「ディプレクター、ガーネット・バーネット、油断ならぬ敵です」
 シャロンもそれに続く。ラージは、
「………………」
 寡黙を保ち、
「まあまあ。終わってしまった事は仕方がない」
 リヒター・ハインリッヒが場を仕切り直す。
「大切なのはこれからだ。アズラエル、そちらの準備は進んでいるのか?」
「ええ、リヒター君。君が送ってくれたNジャマーキャンセラーのデータは有効に使わせてもらって
います。近い将来、核の炎がプラントを焼き尽くすでしょう。そちらのオモチャの方はどうなってい
ますか? ジェネシスとかいいましたっけ、こちらの進撃までには完成してくれるんですか?」
「大丈夫だ。パトリック・ザラめ、息子に裏切られた事で、怒りに我を忘れている。地球軍の抹殺
に執念を燃やし、人員や予算のほとんどをジェネシスにつぎ込んでくれている。おかげでスケジ
ュールは順調。まったく、いい上司を持って、私は幸せだよ」
「全ては我らが神のシナリオどおり、という事か。だが、ディプレクターはどうするつもりだ? 奴
らの力は侮れんぞ」
 クルーゼが口を挟む。シャロンも頷いている。
「心配には及ばん」
 リヒターがニヤリと笑った。
「どんなに強力な軍隊でも、内部から突付けば、簡単に崩れる。奴らは爆弾を抱えている。それ
を爆発させればいいだけの事」
「爆弾だと?」
「ああ、しかも極めて強力なやつをな。近々、絶好のタイミングで爆発させてやる。その時の連中
の顔は見物だろうな。特に……」
 リヒターの脳裏に、ある少年の顔が浮かぶ。かつて自分に屈辱を味あわせてくれた、生意気な
小僧の顔。あの顔が、悲しみと絶望に満ちたものになるのかと思うと、それだけで気分が晴れ渡
る。
「クックックックックックッ……」
 リヒターの笑い声は止まらない。それはディプレクターに敗北を、そしてこの世界に破滅をもた
らす悪魔の足音。

(2003・10/25掲載)
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