第2話
 我、人にあらず
(MИPさん&カノファさんのリクエストより)

 −コズミック・イラ62−

 どうして、こんな事になってしまったのか。
 雪山の洞窟の中、リヒター・ハインリッヒはこれまで自分に起きた事を、自分の人生を振り返っ
た。

 リヒター・ハインリッヒは、コーディネイターとして生まれた。両親は二人ともナチュラルだった
が、プラント下部評議会の議員であり、ナチュラルとコーディネイターの共存を夢見て、様々な政
治活動を行なっていた。
 息子をコーディネイターにしたのも、その理念のためだった。ナチュラルの自分たちと、コーデ
ィネイターの息子が共に暮らす。これこそ、両者の共存への第一歩になるだろう。そう考えての
事だった。
 実際、彼ら親子はとても仲が良かった。リヒターは両親を尊敬し、両親もまた、リヒターを愛し
た。
 一週間前、リヒターは二十歳の誕生日を迎えた。そのお祝いも兼ねて、ハインリッヒ親子は地
球に降りた。生まれて初めて見る地球の美しい光景に、リヒターは興奮し、両親はそんな息子を
見て、微笑んでいた。
 友人であるニューヨーク市長との夕食を終えた後、ハインリッヒ親子は飛行機に乗った。アラス
カを経由し、アジア方面に行く予定だった。
 飛行機の中で、リヒターはアジアの伝統的な建造物に思いを馳せていた。彼の将来の夢は建
築家で、大学もその方面の学部に通っていた。
 両親に夢を語る内に、今までの旅の疲れが一気に襲い掛かってきた。彼は睡魔に襲われ、そ
の魔手に屈した。
 どれくらいの時間、眠っていたのかは分からない。だが、とても心地よい眠りだった事は覚えて
いる。
 そして、目覚めがあまりに唐突で、最悪だった事も。
「!」
 機体後部からの爆音。
 飛行機全体が、大きく揺れ、そして、落ちる。
 誰も悲鳴すら上げる事すら出来なかった。爆発からニ十四秒後、ハインリッヒ親子を乗せた飛
行機は、雪積もるアラスカの山中に墜落した。
 奇跡的にリヒターは生きていた。だが、彼を除く二百人以上の乗客、乗員は全員死亡。その中
には、リヒターの両親も含まれていた。そして、生き延びたリヒターも無傷ではなかった。奇跡の
代償はあまりにも大きなものだった。
 彼は両目を負傷し、光を失った。



 リヒターが闇の世界に落ちてから、一週間が過ぎた。
 地獄のような日々、いや、地獄そのものだった。
 眼が見えないという恐怖に加え、肌には極寒の空気が突き刺さり、体温を奪っていく。リヒター
は手探りで衣服を集め、それを着込んだ。衣服はどれも「誰かが着ている」が、無理やり剥ぎ取
った。死体から衣服を剥ぎ取るのは、さすがに気分が悪かったが、リヒターはその心を無視し
た。死んだ他人より、生きている自分の方が大事だ。
 そして、寒さを凌げる場所を探した。墜落現場のすぐ側に洞窟があり、そこに入り込めたのも
また、奇跡だった。リヒターは神に感謝したが、すぐに両親がもう生きていないだろうという事を
思い出し、自分の運命を呪った。
 それから一週間、リヒターはほとんど飲まず食わずで過ごした。水は雪を体温で溶かして、そ
れを飲む事で凌いだが、眼が見えない身では食料を探す事は出来ない。この身がコーディネイ
ターでなかったら、とうに死んでいただろう。
 しかし、いくらコーディネイターでも、このままでは死ぬ。飢え死にか、凍死かは分からないが、
確実に死ぬ。一か八かの可能性に賭けて、山を降りる事も考えたが、眼が見えない状態で雪山
を歩くなど、自殺行為に等しい。
 これから、どうすればいいのだろう。
 どうして、こんな事になってしまったのか。
 雪山の洞窟の中、リヒター・ハインリッヒはこれまで自分に起きた事を、自分の人生を振り返っ
た。
 そして、自分の無力を呪い、死を受け入れた。
「諦めるのか、リヒター・ハインリッヒよ」
 幻聴だろうか? 聞き慣れない男の声が聞こえる。
「死ぬのは簡単だ。だが、お前は生き延びたいのではないのか? 両親の死体から衣服を剥ぎ
取って、それでも、お前は生き延びたいのではないのか?」
「……………」
 その通りだ。だが……。
「お前が望むのなら、助けてやろう。さあ、手を差し出せ」
 謎の声には幻聴とは思えない『力』があった。死の直前にまで落ちていた意識を奮い立たせ、
リヒターは手を虚空に差し出した。
 ? 何かの感触があった。小さく、冷たい、金属の球体。球は空に浮いていたらしく、リヒターは
それを握ったのだ。
「その球がお前を導く。それを手にして、その球が導くままに歩け。そうすれば、お前は助かる」
「本当か?」
「私は神だ。神は嘘は付かん」
「神、だと……!?」
 相手は冗談を言っている口調ではなかった。本物だろうか? いや、そんな事はどうでもいい。
このままここにいても死ぬだけだ。ならば、万に一つの希望に賭けてみよう。
 リヒターは立ち上がった。同時に、彼の掴んでいた球が動き出した。リヒターは体の力を抜き、
球の導くままに歩いた。
 外の吹雪は止んでいた。音一つしない雪山の中を、リヒターは静かに歩く。
 球は強引に動き、リヒターを歩かせた。だが、その動きは的確だった。リヒターは一度も転ぶ
事無く、足を進めた。
 やがて、周囲の気温が変わってきた。寒いことに変わりはないのだが、今まで程の寒さではな
い。一歩一歩、足を進める毎に気温が暖かくなっていく。道も険しい山道から、歩きやすい、なだ
らかなものへと変わっていった。
「ここまで来れば、もう大丈夫だ」
 謎の声がそう言うと、球はリヒターの手から逃れた。
「しばらく待てば、ここに救助隊が来る。そいつらには私の事は話さず、適当に誤魔化しておけ」
「分かった。けど、話したところで信じてはもらえないと思うがね」
 リヒターは苦笑しつつ、自分を助けてくれた存在に感謝した。
「あんたのおかげで助かった。礼を言う」
「礼などいらん。だが、お前に一つ、質問がある」
「質問?」
「うむ。お前はこの雪山で、何を学んだ?」
 謎の声からの質問に、リヒターは考える。
 地獄ともいうべき闇と極寒の世界。その中でリヒターは知った。思い知らされた。自分がいかに
無力な存在であるかを。
「自然の力の凄さ、そして、自分の無力さかな。コーディネイターといっても、自然の猛威の前で
は無力だ。俺たちは、自分で思っているほど、強くも賢くもないんだなあ、って思ったよ」
「いい答えだ。では、それを忘れるな。お前がその答えを忘れない限り、私はまた、お前の前に
現れるだろう。それまで、しばしの別れだ。達者でな」
 それっきり、謎の声は聞こえなくなった。
 それから十分後、リヒターは救助隊によって助けられた。
 『失明しながらも地獄の雪山から、奇跡の生還!』。そのニュースは、当時、大きく報じられた。
 生還後、リヒターはプラントに戻り、そこで最新の医療技術によって作られた義眼を付けられ
た。この義眼は性能は申し分なかったが、機械が剥き出しの部分が多く、見た目が怖いため、リ
ヒターは常にアイマスクをするようになった。
 プラントの人々も、リヒターを賞賛した。特に、コーディネイター至上主義者たちは彼を英雄視し
た。過酷な雪山で彼が生き残ったのは、彼がコーディネイターだからだ。コーディネイターはナチ
ュラルよりも遥かに優秀なのだ、と。
 だが、その話はリヒターを不快にさせた。連中の話は、ナチュラルである彼の両親は死んで当
然、のような言い方だったからだ。
 コーディネイター至上主義者たちは、彼に政界への進出を薦めた。リヒターはその意見を受け
入れた。義眼の身では建築家という職業は不向きだったし、何より父の志を継ぎたかったから
だ。
 コーディネイターとナチュラルの共存。両親の夢を適えるため、リヒターは懸命に努力した。し
かし、両者の間の溝は予想以上に深く、若きリヒターの力では、どうする事も出来なかった。
 あの飛行機事故がナチュラル至上主義を掲げるブルーコスモスの仕業だと判明したのも、彼
の夢の妨げとなった。コーディネイターのナチュラルに対する反感は更に高まり、リヒターを打ち
のめした。
 両親の仇であるナチュラルに対して、リヒターはそれほど憎しみや反感は持たなかった。自分
でも不思議だったが、両親がナチュラルだというのも大きかったのだろう。むしろコーディネイタ
ーへの不満の方が大きかった。どいつもこいつも自分こそが正しいと、自分たちこそが正義だと
唱え、優れていると信じる、あまりにも単純で愚かな連中だった。全員、あの地獄のような雪山
に放り込んでやりたくなった。
 過酷な現実と無知な人々によって、彼の夢も理想も志も、何一つ叶いそうになかった。自分だ
けでなく、両親のやってきた事、そして二人の人生そのものまで否定されているようで、不愉快
だった。自分たちの考えを理解せず、短絡的な行動に走る者たちへの憎しみが深まった。
 そして、奇跡の生還から一年が過ぎたある日、
「久しぶりだな」
 あの声が聞こえてきた。
 リヒターの前に、空を漂う小さな銀色の球体、人間の眼球を模した機械が現われた。それがか
つて、自分を導いてくれた物であるという事に気付くのに時間は掛からなかった。
「リヒター・ハインリッヒ」
 機械の眼球から、謎の声が聞こえた。彼の命の恩人、いや、恩『神』の声。
「私はお前の不満を知っている。そして、それを取り除く方法もな」
「………………」
「お前も気付いているはずだ。どうすればいいか、何をすればいいか。そしてこれから、何をすべ
きかもな」
「…………俺に人間をやめろ、というのか」
 リヒターの答えに、謎の声は笑みを浮かべた。相手の顔が見えた訳ではないが、リヒターには
何となくそう思えたのだ。
「やめるのではない。進化するのだ。精神を高め、新時代を生きるに相応しい存在となる。選ば
れし者よ、お前の運命は我と共にある」
「………………………」
「やはり許せないのだろう? 両親を殺したナチュラルを。そして、滅ぼしたいのだろう? 両親
を侮辱したコーディネイターを。ならば殺せばいい、殺し合わせればいい、滅ぼせばいい。全て
を許そう。神である私が許し、力を貸そう」
 自称・神の声はとても心地よかった。そして、リヒターの心を動かした。彼の頼みは断われな
い。命を救われたから? 違う。この『神』と自分は、よく似ているから。何となくだが、そう思え
た。彼もまた、他人に期待し、そして、裏切られたのだろう。
「リヒター・ハインリッヒ。汝、人の心を捨て、我が使徒となれ。神の中の神、神を超えた神である
この私、ダブルGの使徒として、尽くすのだ」
 そう誘われた瞬間、リヒターの心は絶頂を迎えた。そして、自分の運命を知った。自分は、この
『神』に仕えるために生まれたのだ。
「…………はい。私の命は、貴方様のために。そして、このどうしようもない世界と人間どもを滅
ぼすために」
 リヒター・ハインリッヒは、その言葉どおりに生き、そして、死んだ。最後の瞬間まで人間への軽
蔑と、ダブルGへの忠誠心を捨て去る事無く。



 −コズミック・イラ54−

 どうして、こんな事になってしまったのか。
 紅蓮の炎に包まれる邸宅を見ながら、ラウ・ラ・フラガはこれまで自分に起きた事を、自分の人
生を振り返った。

 ラウには母の記憶が無い。
 いや、「母親」という存在自体が彼にはいなかった。
 彼は、アル・ダ・フラガという男のクローン人間だった。
 アルには既に息子がいたが、アルはなぜか妻も、そしてムウという名の息子も嫌っていた。彼
らに財産を渡さぬため、アルは懇意にしていた科学者に自分のクローンを作らせた。それがラ
ウだった。
 アルは妻たちにはラウの事を、遠い親戚から引き取った、と説明した。妻も納得し、ラウに挨
拶した。優しい笑顔だった。ラウは彼女の事が好きになった。
 そして彼女の側にいた、自分より少し背の高い少年に眼を向けた。互いの眼が合うと、少年は
人懐っこい笑顔を見せた。
「僕はムウ。よろしくね」
 少年は自己紹介をして、手を差し伸べた。ラウはその手を握ろうとしたが、
「挨拶はこれくらいでよかろう」
 と、アルに邪魔された。
 この瞬間、ラウはアルの事が嫌いになった。
 それからというもの、ラウは屋敷の奥に閉じ込められ、徹底的な英才教育が施された。政治、
経済、歴史、語学、文学、理工学……。自分の地位を継ぐ者として相応しい存在にすべく、アル
はラウを鍛え上げた。ラウは、懸命に努力し、アルの期待に応えた。応えなければ、生きていけ
なかったからだ。
「お前の代わりなど、いくらでも作れるのだ! 処分されたくなかったら、もっと努力しろ!」
 これがアルの口癖だった。「処分される」という事が「殺される」という意味だと知るのに時間は
掛からなかった。死にたくなかったから、ラウは頑張った。勉強して、努力して、そして、アルの後
継者に相応しい存在になろうとした。アルの事は嫌いだったが、そうしなければ生きられないの
だ。
「可哀想に」
 ある日の深夜、一人で勉強をしていた時、突然、声が聞こえた。聞き覚えの無い声にラウは驚
き、周りを見回す。だが、誰もいない。
「どんなに努力をしても、お前は誰にも愛されない。誰からも認められない。お前は孤独と絶望
の中で死んでいくのだ」
 空耳などではない。確かに声がする。それも、実に不愉快な内容だ。
「そう、お前は孤独だ。一人ぼっちだ。お前に微笑んでくれたあの女も、お前に手を差し伸べてく
れたあの少年も、お前がクローンである事を知らないから、そうしたのだ。お前の正体を知れ
ば、彼らはお前を嫌うだろう」
「………………」
「そして、唯一お前の秘密を知る、お前のオリジナルであるあの男は、お前を人間としては見て
いない。お前は奴のつまらぬ意地を通すための道具、自分の後を継がせるためだけに作られ
た、ただのコマだ。可哀想に。お前は誰からも愛されず、誰からも認められず、孤独の中で生
き、そして、死んでいくのだ」
「! だ、黙れ! 僕は、僕は……!」
 反論しようとしたラウの前に、銀色の球体が現われた。人間の眼球を模したそれは、風船のよ
うにプカプカと空に浮いていたが、やがて机の上に落ちた。
「私の言っている事が真実か否か、いずれ分かる」
 球体から、何者かが語りかけてきた。先程から聞こえていたものと同じ声だった。
「私の言っている事が真実だと思ったら、そして、絶望しか存在しない自分の運命を変えたくなっ
たら、このアルゴス・アイを手に取るがいい。その時から、私はお前を愛してやろう。そして、お前
も私の為に働くのだ。二人で力を合わせ、この世界を……」
 声の主は最後まで言わず、ラウに語りかけるのを止めた。だが、ラウには何となく、その言葉
の続きが分かった。
 だから、
「う、うわあああああああっ!」
 大声を上げて、拒絶した。
 真夜中に大声を上げた事で、何事かと駆けつけたアルから怒られたが、その事自体はラウに
は苦ではなかった。アルも怖いが、あの謎の声に比べれば、大したものではない。それ程、あの
声は怖かった。いや、正確にはあの声を出している存在が怖かった。そして何より、あの声に心
が揺らいでしまった自分が怖かった。もし、あの時、あの声に返事をしていたら、どうなっていた
か? もしかしたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
 忘れよう。あの声の事も、あの声に心揺らいだ自分の事も。ラウはそう考え、銀の球をゴミ箱
に捨てた。
 翌日、空は快晴。アルが仕事で出掛けた後、フラガ邸は穏やかな空気に包まれた。庭ではア
ルの妻とムウ、そしてもう一人によるささやかなお茶会が開かれていた。
「どう? そのケーキ、美味しい?」
 アルの妻に聞かれ、ラウはコクンと頷いた。
「そう、良かった」
 彼女はニッコリと微笑んだ。その微笑みはラウやムウだけでなく、その光景を見ている使用人
たちの心までも和ませる。
 このお茶会は、ラウの心を癒すため、アルには内緒で行なわれていた。アルの妻は、ラウがア
ルのクローンとは知らなかったので、彼を普通の子供として見ていた。だから半ば監禁状態にあ
ったラウを可哀想に思い、アルの留守にこっそり連れ出し、ムウと遊ばせているのだ。
「なあ、ラウ、そのケーキ、僕にくれよ」
「い、嫌だよ。ムウは自分の分があるじゃないか」
「もう食べちゃったんだよ。あ、イチゴ残してるじゃないか。くれよ」
「こ、これは最後に食べるんだよ。だから、ダメだ」
「ちぇっ、ケチ」
 頬を膨らませるムウと、必死にケーキとイチゴを守るラウ。二人の子供を見て、アルの妻は安
らかに微笑んだ。
「二人とも、まるで本当の兄弟みたいね」
 兄弟。
 その何気ない言葉に、ラウの心は揺れた。
 そうだったらいいのに。
 この、ちょっと意地悪だけど本当は優しい少年と、笑顔がとても素敵な母親と、本当の家族だ
ったらいいのに。
 でも、それは無理だ。自分と彼らは違う存在。
 彼らは母親の体から生まれた。でも、自分は……。
 この時、ラウは初めて、自分が普通の人間とは少し違う存在なのだと気が付いた。知識では
分かっていたが、実感したのはこの日が初めてだった。
 それでも、ラウはこの二人が好きだった。二人と遊べるこの時が、ラウにとって至福の時間だ
った。
 だが、その日の夜。破滅は突然、訪れた。
 昼間遊んでしまった分を取り戻すため、ラウは遅くまで勉強していた。気が付けば夜の十二時
を回っていた。トイレに行くため部屋を出ると、アルの部屋から声が聞こえてきた。アルだけの声
ではない。もう一人、いる。
 興味をかられたラウは、そっと部屋を覗く。そこでラウは信じられない光景を眼にした。
 アルが、自分の妻に、優しいあの人に、拳銃を向けているのだ。
「お前はいつもそうだ!」
 そう怒鳴るアルの眼は正気ではなかった。額に血管を浮かべ、心の激昂を隠そうともしない。
危険な状態だ。
「いつも、いつも、いつも! 私がこんなにお前を愛しているのに、お前は私以外の男にばかり
優しくする! お前が過ちを犯した時も、私は寛大な心で許してやったのに、お前は!」
 銃は妻の額に突きつけられた。彼女は恐怖に震え、反論も出来ない。
「私のラウを誑かして、何を企んでいる?」
 ! アルは、お茶会の事を知っている。一体、誰から聞いたのだ?
「あの子はこのフラガ家を継ぐために作った。それを手なづけて、フラガ家の財産を手に入れる
つもりか、この、女狐め!」
 アルは自分の妻を蹴り飛ばした。倒れる妻。苦痛に苦しむ彼女の顔をアルは無造作に踏みつ
ける。この男、完全に狂っている。
「ムウを生ませた時、言ったはずだ。二度と過ちは許さん、とな。お前がこれほど愚かな女だと
は思わなかったぞ。もう許さん、この家から叩き出して…」
「愚かなのは、あなたの方です!」
 踏みつけられているアルの妻が、口を開いた。
「あんな幼い子を監禁して、自分の不満を晴らすための道具にして、それでもあなたは人間です
か! あなたは間違っています!」
「貴様あっ!」
 アルは、妻をもう一度蹴り飛ばした。彼女は壁に叩きつけられるが、それでも立ち上がった。
その眼には強い光を宿している。
「分かりました。この家から出ていけ、というのなら出て行きます。ですが、その時はムウもラウも
連れて行きます。この家にいても、あの子達のためにはなりません」
「なっ! そんな勝手は許さんぞ! ムウはともかく、ラウは私の後を継ぐために作ったクローン
だ! お前の好きにはさせんぞ。あいつを作るためにどれほどの金を使ったと思って…」
「そんな事は知りません。そして、あの子がクローンだとか、そんな事も関係ありません。ここに
いては、あの子は不幸になる。だから連れて行きます。たとえ血の繋がりは無くても、私はあの
子を、ムウの…」
「黙れえええっ!」
 銃が火を吹いた。
 アルの妻の額に、小さな穴が空いた。
 彼女は倒れ、それっきり動かなくなった。額の穴から、血が流れている。
 自分が何をやったのか、アルは理解出来なかった。しばらくの間、呆然としていたが、
「…………ふ、ふはは、ふははははは、バ、バカめ、バカな女だ」
 と、口にした。その眼は、先程まで以上に、正気のものではなかった。
「お前が悪いんだ。私を愛さないから悪いんだ。私から離れようとするから悪いんだ。私から何も
かも取ろうとするから悪いんだ。そう、お前が悪いんだ。私は悪くない、悪くない、悪くない……」
 ブツブツと呟くアル。その眼にはもう、正気の光は存在しない。
 一部始終を見ていたラウは、静かに自分の部屋に戻った。そして、今朝、ゴミ箱に捨てた物を
手にする。
 銀色の球。それは人間の眼球のように開き、ラウの顔を見る。
「私を手にしたと言う事は、決心はついたか?」
 ラウは黙って頷く。
「よかろう。では、何を望む?」
 答えは決まっていた。自分に唯一、優しくしてくれた女性の死。そして、彼女を殺したのが自分
のオリジナルだという現実を見た、あの時から。
「……………この家を消してくれ。いや、家だけじゃない。あの男も、そして、あの男を思い出さ
せる物も命も、全て!」
 眼球の向こうにいる存在は、その願いを聞き入れた。
 そして、フラガ邸は豪炎に包まれた。
 広い屋敷は一昼夜燃え続けた。ようやく火が収まった後、焼け跡から数人の死体が発見され
た。逃げ遅れた使用人たち、そして、アルとその妻。二人の息子ムウは、奇跡的に無事だった
が、なぜか子供の死体もあった。
 ムウの証言で、その死体が同邸で預かっていた親戚の子だと分かり、死体の身元確認は終
了。事件の方は、放火の可能性が高く、捜査も行なわれたが、手がかり一つ無く、やがて迷宮
入りした。
 ただ一人生き残ったムウは、その後、同じく生き残った使用人夫婦の下に引き取られ、やがて
軍に入隊。エースパイロットして活躍することになる。忙しい日々の中、幼い頃に一緒に遊んだ
男の子の事は、やがて忘れてしまった。



 どうして、こんな事になってしまったのか。
 焼け落ちた邸宅を遠くから見ながら、ラウ・ラ・フラガはこれまで自分に起きた事を、自分の人
生を振り返った。
 そして、自分の隣に浮かぶ銀の球体に、問いかける。
「僕のニセの死体を用意していたなんて、随分と周到ですね。あなたは誰なんですか? そして
俺はこれからどうすればいいんですか?」
 球体の向こうにいる存在は教えてくれた。ラウの体は不完全であり、このままでは細胞が休息
に老いていき、数年の内に死ぬだろう。だが、彼ならば、細胞の老化を食い止める薬を作り出
せるという。
「死にたくなければ私に従え。そして、愚劣な人間どもを滅ぼすために、お前の力を貸せ。この
ダブルGの為に働き、そして、尽くすのだ」
 ラウはその申し出を受け入れた。死にたくなかったし、ラウもまた、人間というものに幻滅して
いたからだ。
 愛する妻を殺すような男が、堂々と生きていたこの世界。そんな世界に生きる者全てが憎く、
許せなかった。そして、自分のような不完全な命を生み出す者たちも許せなかった。
「滅ぼしてやる、全てを……」
 この日、ラウは人の心を捨てた。その後、名をラウ・ル・クルーゼと改め、経歴を詐称し、数年
後、ザフトの一員となった。そして、憎しみのままに生き、戦い、幼き頃を共に過ごした男の手に
よって最期を迎えたのであった。



 −コズミック・イラ55−

 どうして、こんな事になってしまったのか。
 初恋の女性の死体を思い出しながら、十四歳のムルタ・アズラエルはこれまで自分に起きた
事を、自分の人生を振り返った。



 アズラエル家は代々、優秀な人材を生み出してきた。
 ムルタの父もまた、旧西暦から続くアズラエル財閥の代表に相応しい人物だった。優秀で、か
つ傲慢。無用なものと判断すれば、身内でも平然と切り捨てる合理的な精神の持ち主。
 そんな男の息子として生まれたムルタは、下手をすれば数年で勘当されていたかもしれない。
彼の父は、息子といえど、一切容赦しない人物だったからだ。
 だが、幸いにもムルタは才能に恵まれていた。学問でも、スポーツでも、芸術面でも優秀な成
績を残した。
 素晴らしい才能を示すムルタを、父は褒め称えた。それが嬉しくて、ムルタは更に努力した。そ
の結果、五歳で世界的にも有名な大学を卒業するという快挙を成し遂げたのだ。
 父はますます彼を褒め称えた。アズラエル家始まって以来の天才だ、と皆がムルタを賞賛し
た。
 だが、ムルタは気が付いた。自分を褒め称えているのは、父やその部下、つまり自分の周りに
いる人間だけで、他人はあまり褒めていなかった。そして調べてみれば、自分と同じ、いや、自
分以上の能力を持っている者たちが、意外と多かったのだ。
 父にその事を尋ねてみると、途端に不機嫌そうな表情をして、
「コーディネイターの事か。あんなまがい物どもの事など、気にするな」
 と言われた。
 コーディネイター。遺伝子操作によって生み出された特殊な人間。生まれながらに通常の人間
を凌ぐ能力を持った、いわば人工の天才たち。
 人の手が加えられているとはいえ、自分と同等、もしくはそれ以上の能力を持つ彼らにムルタ
は興味を抱いた。それは幼い子供が、ネッシーや雪男など未知なる物に興味を抱くのと同じよう
な感情だった。そういう点では、ムルタもまだ子供だったのだ。
 そしてムルタは一人の少女と出会った。同じ年の彼女は、父の取引先の会社社長の娘。彼女
は第一世代のコーディネイターだった。
 二人は、すぐに仲良くなった。コーディネイターを嫌っていたムルタの父も、彼女の無垢な微笑
みに癒されたのか、少女とムルタの仲を裂くような事はしなかった。二人の婚約も噂されたほど
だ。
 しかし、数ヵ月後、ムルタは自宅に遊びに来ていた彼女を殺した。父の持っていた猟銃で、庭
を歩いていた彼女を狙い、撃ち殺したのだ。
 事件を知ったムルタの父は各方面に金をばら撒き、猟銃の暴発事故という事でこの事件をも
み消した。真実を知らない彼女の両親も納得し、娘の葬儀で涙を流した。
 少女の葬儀を終えた後、ムルタの父は息子に、なぜ、彼女を殺したのかと問い質した。それに
対するムルタの返答は、冷酷と言われた父でさえ、唖然とさせるものだった。
「だってあの娘、僕の事を好きだなんて言うんですよ。彼女より能力の劣る、コーディネイター以
下の能力しかないナチュラルの、この僕の事が好きだなんて、そんなの、おかしいでしょう? お
かしいものは早目に処分しないとね」
 その表情に一片の曇りも無く、ムルタはそう言った。父は自分の教育が間違っていたことを悟
った。この子は能力でしか人を判断出来ない。能力の優劣を全ての基準にしてしまっている。
 息子の危険性を知ったムルタの父は、彼をスイスの寄宿学校に行かせる事にした。その寄宿
学校は、外出はもちろん、学校の許可が無ければ面会すら出来ないという、極めて厳粛な学校
だった。ここに行かされると言う事は、事実上の軟禁である。
 学校に送られるまで、ムルタは屋敷の一室に閉じ込められた。
 ムルタには父がなぜ、あんなにオロオロしているのか分からなかった。
 どうして、こんな事になってしまったのか。そして、これからどうすればいいのだろうか。
「迷うな、ムルタ・アズラエル」
 突然の声に、ムルタは顔を上げた。いつの間に現われたのか、彼の前に眼球を模した機械が
浮かんでいる。
「父はお前の才能を恐れているのだ。だから、お前を認めず、閉じ込めようとしている。実の父
すら恐れさせるほど、お前は優秀なのだ」
 心地よい声だった。威圧感があるのだが、妙に安らぐ声。
「お前はコーディネイターのような、まがい物ではない。お前は優秀だ。その力と才能で、この世
界を造りかえるのだ」
 心が動く。どこかで聞いたような陳腐なセリフだが、なぜか逆らえない。正しい事だと信じてしま
う。
「自分の優秀さを証明するがいい。私に認めさせてみろ。どうすればいいか、お前にはもう、分
かっているはずだ。なあに、気にする事は無い。親からの自立は子供の義務だ」
「……自立、か」
「そうだ。今がその時なのは、お前には分かっているはすだ。お前は誰よりも何よりも優秀だか
らな」
 分かっている。
 自分を認めない者はどうすればいいのか。
 自分より優れた者はどうすればいいのか。
 自分より劣る者はどうすればいいのか。
 共存よりも破壊。
 希望よりも絶望。
 「愛する」よりも「死を与える」。
 その方が簡単だ。
「……そうですね。その方が簡単だ。自分の優秀さも認めない臆病者も、自分の愚かさも認めな
い者も、そして何より僕の力を認めない者も、みんな、みんな…………」
 殺してしまえばいいんだ。
「殺せばいいのだ」
 同じ答えだった。
 ムルタは嬉しかった。声の主、ダブルGにひれ伏した。そして、自分が解放されるための唯一
の方法を実行した。
 部屋をこっそり抜け出し、父を猟銃で撃ち殺した。九歳の子供を、それも実子である彼を疑う
者は誰もいなかった。
 その後も邪魔者を次々と殺して、ムルタはアズラエル財閥の実権を手に入れた。成長した彼
は、アズラエル財閥が支援していたナチュラル至上主義組織・ブルーコスモスの総帥となった。
そして、ナチュラルとコーディネイターの間の憎悪を高めるテロや暗殺を行ない、世界を混乱さ
せた。
 自分やダブルGの思惑通りに翻弄される人々を見て、ムルタは確信した。この世界は愚者ば
かりだ。こんなバカ共など軽蔑こそすれ、共存など出来るはずがない。
「せいぜい、踊ってもらいますか。僕と、偉大なる神のためにね」
 その言葉どおり、ムルタ・アズラエルは多くの人々の憎悪を煽り、時代を翻弄させた。だが、そ
の狂気は、自分が生み出した『出来損ないの失敗作』たちによって止められるのである。



 −そして、コズミック・イラ71−

「世界よ! 私を殺し、私を忘れ、私を拒むこの世界よ! ならば私はお前を殺そう。お前の中
で生きる全ての者どもを欺き、争い合わせ、殺してやろう! それが私の望み、お前たちによっ
て殺された、私の唯一の望みだ! 忠実なる使徒(コマ)は揃った。時は来た。世界よ、お前の
全てを滅ぼしてやる! ふははははは、はははははははははははは……!」
 誰一人いない闇の中で、ダブルGは笑う。
 呪詛と嘲笑の入り混じった、不愉快な笑い声。それはまさに、世界の全てを憎み、呪い、破滅
させんとする悪魔の声。
 リヒター・ハインリッヒ。ラウ・ル・クルーゼ、ムルタ・アズラエル。悪魔に魅入られた彼らもまた、
悪魔なのか。いや、違う。彼らは人間だ。だからこそ傷付き、心弱く、そして、悪に魅入られるの
だ。
 悪に身を染めた者たちの哀しき系譜。それは永遠に絶える事は無い。

(2004・1/24掲載)
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