第1章
 目覚めた『影』

 L5宙域に浮かぶ資源衛星ヘリオポリス。
 中立国オーブの統治するこのコロニーでは、戦火とは無縁の平和な世界が作られていた。
人々は、今の平和が明日も、明後日も、永遠に続くものだと信じて疑わなかった。
 そう、まだ誰一人気が付いていなかった。己の考えの甘さにも、破壊の使者が既にこの地に足
を踏み入れている事にも。



 ヘリオポリスの町外れ。数台の大型トレーラーが、地下の工場から出てきた。多数の兵士たち
による厳重な警備。ただ事ではない。
 トレーラーの荷台は、いずれも幌で覆われていたが、完全には隠せていなかった。幌のあちこ
ちから「手足」の一部が見える。もちろん、人間の手足ではない。金属製の巨大な手足。人型機
動兵器・モビルスーツのものだ。
「間違いない、ビンゴだ」
 双眼鏡を覗き、警備の様子を見ていたディアッカ・エルスマンが呟く。彼の周りには、彼と同じ
服を着た人間が十数人。いずれも銃火器で武装していた。
「ナチュラルがモビルスーツだと? 生意気な!」
 イザーク・ジュールが忌々しげに呟く。
「戦局が膠着状態ですからね。連中も切り札が欲しいんですよ」
 ニコル・アマルフィの言葉は真実だった。
 プラント勢力『ザフト』が数で勝る地球軍相手に優勢を保っていられるのは、モビルスーツとい
う兵器のおかげだ。地球軍の主力兵器であるモビルアーマーを遥かに上回るその性能によっ
て、ザフトは破竹の勢いで進撃を続けていた。だが、もし地球軍がモビルスーツを実戦導入して
きたら? ザフトの優勢は、砂の城のようにもろくも崩れ去るだろう。
 させる訳にはいかない。薄汚い卑怯者のナチュラルなどに、コーディネイターが負けるわけに
はいかない。
「数は何機だ?」
 部隊長アスラン・ザラがディアッカに尋ねる。
「3機だ。残りの2機は、まだ工場らしいな」
「出てくるのを待つか?」
 イザークの問いに、アスランは首を振る。
「時間が惜しい。外にいるクルーゼ隊長を、長く待たせるわけにはいかないだろう。予定時刻ど
おり、作戦を開始する」
 アスランの言葉に全員が頷く。いや、二人だけ例外がいた。一人は、アスランをライバル視して
いるイザーク。そして、もう一人は……、
「地下の2機はどうする?」
「!」
 その質問には、アスランだけでなく、部隊の全員が驚いた。
 質問の内容にではない。『その人物』が言葉を発した事に、皆とコミュニケーションをとろうとし
た事に驚いたのだ。
「どうするんだ、アスラン?」
 『その人物』は、続けて訊く。アスランは動揺を抑え、
「あ、ああ。もちろん奪取する。俺とラスティの部隊が地下に行く」
「なら、私も連れて行け」
「! 君を?」
 アスランは驚いて、『その人物』の顔を見た。黒いパイロットスーツを身に纏ったその人物は、
獲物を狙う鷹、いや、それ以上に強く、鋭い目でアスランを睨んでいる。若くしてザフト軍のエー
スとなったアスランでさえ、恐怖を感じるほどの眼光。異論、反論は絶対に許さない。眼光がそう
言っている。
イラスト・とり様
「何だ、女の私が一緒では足手まといか?」
「い、いや、そんな事はない。貴方が一緒に来てくれるなら、これほど心強い事はありませんよ、
ガーネット・バーネット」
「そうか。なら、いい」
 そう言ってガーネットは、再び沈黙した。アスランを含む一同は、心の中でホッと安堵した。
 ガーネット・バーネット。
 年は18。黒髪のショートカットがよく似合う、モデル顔負けの美貌の持ち主。そして、ザフト軍
では数少ない女性パイロットの一人。若い女性とはいえ、その腕はザフト全軍の中でもトップクラ
ス。地球軍だけでなく、ラウ・ル・クルーゼなどのザフト軍のエースたちからも一目置いている、凄
腕の美少女パイロット。
 パイロットスーツ同様、黒一色に染められた彼女の機体は、地球軍の猛者たちをことごとく冥
府へと送ってきた。それゆえについた異名は『漆黒のヴァルキュリア』。ヴァルキュリアとは北欧
神話に登場する、勇者の魂を天界へと誘う女神の事。ガーネットには似合いの異名で、彼女も
気に入っていた。
 彼女の父親は、プラントの自治権獲得のため、その生涯を捧げた大政治家にして大科学者、
アルベリッヒ・バーネット。アスランと彼の婚約者であるラクス・クラインとは、父親同士が親友だ
ったこともあり、幼い頃からの付き合いだ
 本来ならば隊長を任されてもいいほどの能力と家柄の持ち主だが、彼女には致命的な欠点が
あった。協調性がまったく無いのだ。彼女がクルーゼ隊に配属されて三ヶ月。その間、誰とも会
話をしようとせず、幼馴染のアスランとさえ、挨拶程度の会話しかしない。アスランも、上司のク
ルーゼも、この気難しい女神様の扱いには困り果てている程だ。
『昔の彼女は、こんな人じゃなかったのにな……』
 アスランは、昔のガーネットを思い出す。天真爛漫という言葉がよく似合う、明るい少女。アス
ランやラクスの友であり、『お姉さん』だった少女。
 だが、今、アスランの目の前にいるのは……。
「アスラン。そろそろ時間ですよ」
 ニコルの言葉に、アスランは我に返った。ニコルの言うとおり、タイムリミットは迫っていた。
「時間だ。では、いくぞ。手はずどおりに」
 アスランの指示が下ると、平和の園への侵入者たちは、二手に分かれた。



 さて、結果だけを言えば、イザーク、ニコル、ディアッカの部隊は輸送中の3機のモビルスーツ
の強奪に成功。デュエル、バスター、ブリッツの名を持つこの3機は、ザフトの戦力として働くこと
になる。
 アスランの部隊も、イージスと呼ばれるモビルスーツの強奪に成功した。ラスティを始めとする
多くの犠牲はあったが、奪取作戦は、ほぼ成功といっていいだろう。
 だが、ここでアスランは2つの悪夢に出会う事になる。
 懐かしき友、キラ・ヤマトとの戦火の中での再会。
 そして、変貌した『姉』、ガーネット・バーネットの裏切り。
 アスランがイージスを奪った後、ガーネットは「残る一機を奪う」と言って、その場に残った。こ
の時、ガーネットを連れて帰らなかった事を、後にアスランは激しく後悔する。



 アスランを乗せたイージスが、空の彼方に消えていく。それを見届けた後、ガーネットは走り出
した。炎と爆発、悲鳴と銃声が響き渡る中、ガーネットはモビルスーツ工場の中に入った。
 外からモビルスーツの起動音が聞こえる。あの女性士官が、唯一残ったモビルスーツを動かし
たのだろう。一緒にいたあの少年は大丈夫だろうか?
「モビルスーツを動かしたところで、殺されるだけね」
 ガーネットは『知っていた』。あのストライクと呼ばれるモビルスーツには、ロクな武器が無いは
ずだ。OSの性能もザフトの量産型モビルスーツ・ジン以下。到底勝ち目は無い。
「急がないと……」
 迷路のような工場内を、ガーネットは走り抜ける。工場の一番奥のエレベーターにたどり着く
が、エレベーターは停止している。
「本当に停まっていたら、オシマイだけど……」
 ガーネットはエレベーターのドアの横にある、停止階を示すボタンを乱打した。そして、『教えて
もらった』とおり、一定の法則に則り、ボタンを押す。やがて、ピンポーン、というチャイム音と共
に、エレベーターのドアが開いた。
「よし、まだシステムは生きている!」
 ガーネットが乗ると、エレベーターは自動的に閉まった。そして、下へ、下へと降りていく。工場
の最下階にたどり着いても、さらに下へと降りていく。
 ようやく停まり、ドアが開いた。一応、辺りの様子を伺いながら、用心して外へ出る。人の気配
は無い。全員、避難したようだ。
 秘密工場のさらに地下。隠された場所。そこに眠るお宝は、それぞれ金、赤、青に彩られた三
機のモビルスーツ。
「アストレイ、か……。けど、あたしの獲物は、こいつらじゃない」
 オーブ製のモビルスーツには目もくれず、ガーネットはさらに奥に進む。そして七重もの巨大な
扉を開き、ついに『それ』を見つけた。
「………………! これか……」
 『それ』は決して光の下には出してはならぬ存在。
 『それ』は神にも悪魔にもなりうる存在。
 『それ』は希望も絶望も招き寄せる存在。
 『それ』は影。
 『それ』は最強。
 『それ』は賢者。
 『それ』は人の罪……。
「久しぶり。いや、初めまして、と言うべきかしら? トゥエルブ」
 『それ』の名を呼ぶガーネットの表情は、恐るべき『悪魔』への憎しみと、親愛なる『身内』への
懐かしさが入り混じっていた。



 外での戦闘は終わっていた。ボロボロにされ、逃げていくジン。勝者として大地に立つストライ
ク。ガーネットの予想は外れた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 操縦をマリューから代わり、ジンの猛攻を退けたキラだったが、体力も気力も使い果たしてい
た。生まれて始めての戦い。生死の境を見たばかりなのだ。当然だろう。
「あなた、一体……?」
 マリューの質問に答える元気も無い。しばらく休まないと……。
 その時、モビルスーツ工場が爆発した。
「!」
「な、何!?」
 驚くキラとマリュー。だが、爆炎が収まった時、二人を更なる衝撃が襲った。炎の中から、巨大
な影が現れたのだ。しかもその影には、二人とも見覚えがある。
『モ、モビルスーツ……。ザフトの新手か? でも、あれは……!』
 冷静に分析しようとするキラ。
「そんな、どうなってるのよ……。あんなモビルスーツ、私は全然知らないわよ……?」
 驚きを隠せないマリュー。
 二人の前に現れたモビルスーツは、機体を黒に塗りつぶしていた。左肩には、白い漢字で
『影』と書かれている。
 この二つ以外、そのモビルスーツは『同じ』だった。
 身長も、体型も、顔も、全て同じ。キラ達が乗っているモビルスーツ、ストライクと同じ。
 黒いストライク。
 左肩には『影』。
 敵なのか? それとも……?
「緊張しなくてもいいわよ。私は敵じゃない」
 キラのストライクの通信機から女の、いや、少女の声が聞こえた。
「女の子? て、敵じゃないって、それじゃあ君は一体……? それに、そのモビルスーツは…
…?」
「何だ、子供が乗っているのか? まあ、いい。色々聞きたい事はあるだろうが、私にも分からな
い事はあるし、のんびり話をしている時間も無い。必要最低限の事だけ教える。私はガーネット・
バーネット。ザフトの軍人だが、たった今、離反した」
「えっ?」
「ガーネット・バーネットですって! まさかあなた、あの『漆黒のヴァルキュリア』なの?」
 驚くマリュー。今日は驚きっぱなしだ。
「おや、もう一人いるのかい。ええ、確かに私はそう呼ばれている。このMSは、私が地下で見つ
けた。どうしてそっちのモビルスーツと同じ姿なのかは知らないけどね。このシャドウ共々、あん
たたち地球軍の世話になる。よろしくね」
「シャドウ?」
「今、名付けた。機体のカラーといい、肩の文字といい、こいつにピッタリの名前だ。そう思うでし
ょう?」
「………………」
「………………」
 訳が分からない。が、それでもマリューにはただ1つ、はっきり分かっている事があった。
『私の苦労の種が1つ、増えたって事ね……』
 その予想は当たっていた。予想、というより、必然、と言ってもよかった。



 運命は動き出した。
 キラ・ヤマト、アスラン・ザラ、そしてガーネット・バーネット。
 この3人が運命を、そして、歴史を動かす。
 決して真実ではない、されど彼らが懸命に生きている、この世界の歴史を。

(2003・5/31掲載)
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