第14章
 望まざる終焉

 雨は止んだが、空は黒雲に覆われていた。
 一切の光が漏れぬその暗き空は、例えるならば地獄の空。
 いや、比喩ではない。『地獄』は現実になろうとしていた。



 漆黒の悪魔と化したシャドウが、その猛威を振るう。
「ぐあっ!」
 キラのストライクも、
「うおっ!」
 アスランのイージスも、
「うわあああ!」
 ニコルのブリッツも、まったく歯が立たない。
 そして悪魔の次なる標的は、
「シャドウ、アークエンジェルに接近! 距離、300!」
 サイが絶望に満ちた声で告げる。
「通信は!?」
 マリューは一縷の望みをかけるが、
「ダメです、応答ありません!」
「艦長、応戦の許可を! このままでは本艦は…」
「バジルール中尉、あなたは味方機を沈めるというの!?」
「今の彼女は味方とは思えません! ヤマト少尉だけでなく、我々にまで攻撃をしようと…」
 艦に衝撃。船体が大きく揺れる。
「うわあああああっ!」
「きゃあ!」
「うっ!」
 ≪ドラグレイ・キル≫の刃が右ウイングの一部を切り落とした。
「艦長、このままでは持ちこたえられません! ご決断を!」
 ナタルの言葉は正論だ。このままでは撃沈は免れない。だが、
『くっ……。アキナさんやトール君まで失ったのに、今度はガーネットさんまで、それも私たちの手
で殺せというの?』
 マリューは自分の運命を呪った。大切な仲間を自分の手で殺すなど、そんな事ができる訳が
無い。だが、戦わなければ生き残れないのも事実だ。
 なぜこんな事になってしまったのか? 一体、ガーネットの身に何が起こったのか? 分からな
い。何も分からない。
「シャドウ、再度接近!」
「!」
 再び≪ドラグレイ・キル≫の刃が、アークエンジェルに襲い掛かる。が、
「やめてください、ガーネットさん!」
 キラのエールストライクがシャドウに組み付き、そのまま共に地に倒した。
「どうしてこんな事をするんですか! あの艦にはみんなが乗っているのに、どうしてこんな…」
「……殺す」
「えっ?」
 通信機からの声は、確かにガーネットのものだった。だが、違う。声は同じだけどまったく違う。
「殺す。殺す。殺す。殺す……。みんな殺す、何もかも殺す。殺してやる、殺してやる、殺してや
る!」
 それはまるで悪魔の叫び。殺意に満ち溢れた鬼の声。
「なっ……」
 恐怖がキラの体を支配する。その隙を見逃さず、シャドウは組み付いていたストライクを力づく
で引き剥がした。
「ぐあっ!」
 衝撃を受けながらも、いち早く体勢を立て直し、キラはアークエンジェルに通信を送る。
「こちらキラ・ヤマト、アークエンジェル、聞こえますか? すぐこの場から離脱してください!」
「キラ君? あなた、何を言って…」
「今のガーネットさんは普通じゃありません。放っておけば、僕やアークエンジェルも沈められま
す。ここは僕が何とかしますから、その間にアークエンジェルは脱出してください!」
「そ、そんな事、あなた一人を残して…!」
「僕は大丈夫です。けど、正直言って、今のガーネットさんを相手にしてアークエンジェルまで守
りきれる自信は……ありません。だから、早く脱出を!」
「………………」
 マリューは何も言えなかった。そして、決断の時。
「……アークエンジェル、全速前進。直ちにこの場から離脱します!」
 非情な命令が下された。だが、誰も異論は唱えなかった。それほどまでにシャドウの戦闘力は
圧倒的だったのだ。
 捕獲したバスターを収容し、飛び去るアークエンジェル。後を追おうとするシャドウの前に、エー
ルストライクが立ちはだかる。
「ガーネットさん、どうしてこんな事に……!」
 返事は無い。いや、一切の容赦なく襲い掛かる≪ドラグレイ・キル≫の刃が、その代わりなの
か。
「くっ!」
 かわすキラだが、シャドウの攻撃はいつもより速く、そして正確だ。その刃が機体を貫くのも時
間の問題……、
「キラ!」
 イージスが両手両足のビームサーベルを奮い、シャドウに切りかかった。攻撃はかわされた
が、キラのストライクを助ける事はできた。
「大丈夫か、キラ?」
 外部通信で語るアスランに、キラも同じく返答する。
「あ、ああ、大丈夫。けど、どうして僕を助けてくれたんだ? 僕は君の敵……」
「確かにお前は敵だ。だが、今はそんな事を言っている状況じゃないだろう」
「アスランの言うとおりです」
 ニコルのブリッツも戦列に復帰した。
「僕たちの戦いは一時休戦です。今は力を合わせて、彼女を何とかしましょう」
「…………ああ、分かった」
「ありがとうございます。僕はニコル・アマルフィです。どうぞよろしく」
「キラ・ヤマトだ。こちらこそよろしく」
 漆黒の空の下、三機のGは、狂える女神と対峙する。



 オーブ、モルゲンレーテの秘密工場。
 M1アストレイの本格的な量産に備えて、レポートを纏めていたエリカ ・シモンズの下に凶報が
飛び込んできた。
「トゥエルブが……暴走?」
 驚くエリカの前で、タツヤ・ホウジョウは悲痛な表情で頷く。
「アルベリッヒ博士が残してくれたトゥエルブ・システムの計測装置が異常な反応を示していま
す。十二個のブラックボックスを強制的に開放したようです」
「そんな! 段階も踏まずに開放すれば彼女の自我が……!」
「ええ、今のガーネットお嬢さんは、敵味方の区別さえつかない危険なバーサーカーです。近づく
者、邪魔をする者はたとえ赤ん坊でも容赦しないでしょう」
「アルベリッヒ博士の最も恐れていた事が現実になってしまったわね。何とかならないの?」
「十二個の脳が充分に成長してくれたら、彼らに何とかしてもらう事も出来たんですが……。ガー
ネットお嬢さんの憎悪の感情が完全にシステムを支配していると思われます。機体を破壊する
か、ガーネットお嬢さんの命が尽きない限り、止まらないでしょう」
「そんな……」
 全てが終わってしまうのか。アルベリッヒ博士が己の誇りと命を捨ててまで託した願いが、こん
な事で消えてしまうのか。
「ホウジョウ君、船の準備を。ガーネットさんの所に行くわ」
「行っても、俺たちには何も出来ませんよ」
「それでも行くのよ! このまま黙ってはいられないわ!」
 エリカは熱く叫ぶ。実はホウジョウも同じ気持ちで、船も既に手配していた。そう、このまま終わ
らせてたまるものか……!



 三対一の戦いは続いていた。だが、戦況は圧倒的にシャドウが優勢だった。
「くっ!」
 ≪ドラグレイ・キル≫の刃が目前に迫った時、キラの『種』が弾けた。
「うおおおおおおっ!」
 シャドウの攻撃を瞬時にかわし、ビームサーベルで≪ドラグレイ・キル≫の柄を切ろうとする。
が、それに気付いたガーネットは≪ドラグレイ・キル≫を引っ込め、取り出したナイフをストライク
に放つ。ビームサーベルでナイフを両断するストライクだが、わずかな隙が出来た。そこをシャド
ウが≪ドラグレイ・キル≫で攻撃。
「しまっ…」
 避けきれない。凶刃が迫る。
「キラーーーーーッ!」
 友の危機に、アスランの『種』も弾けた。イージスを加速させ、シャドウに体当たりして、吹き飛
ばす。≪ドラグレイ・キル≫の刃はストライクには届かなかった。
「……殺す」
 ガーネットの攻撃目標は、ストライクからイージスに切り替わった。加速するシャドウ。一気にイ
ージスとの距離をつめて、その剛脚でイージスを彼方に蹴り飛ばす。
「うわあああああっ!」
「アスラン!」
 イージスの救援に駆けつけようとするストライクの前に、シャドウが出現。
「! 速…」
 閃光のごとき≪ドラグレイ・キル≫の突きがストライクを襲う。避けきれない。ストライクの左腕
が宙を舞う。
「がああああっ!」
 衝撃がキラを襲う。さらにシャドウの追撃。狙いはストライクのコクピット。
「させません!」
 間一髪、ブリッツのビームライフルの閃光が両機の間に割って入り、ストライクからシャドウを
遠ざけた。
「大丈夫ですか、キラさん?」
「あ、ああ、ありがとう、ニコル。アスランも大丈夫?」
「何とか、な」
 立ち上がるイージス。だが、機体のダメージはかなり大きい。ストライクも左腕を失ってしまっ
た。対するシャドウは、ほとんどダメージを受けていない。というより、シャドウの動きが速すぎ
て、ダメージを与える事が出来ない。
「強い……」
「ああ、強すぎる。俺たち三人が子供扱いとは……」
「実際、僕たちまだ子供なんですけどね」
 ニコルはわざと軽口を叩く。
 だが、実際問題、今のガーネットは強すぎる。三人がかりでも手も足も出ない状況だ。何とかし
ないと……。
『……テ』
「?」
「どうした、ニコル?」
「あ、いえ、アスラン、今、何か聞こえませんでしたか?」
「? 別に何も聞こえなかったが」
「キラさんは?」
「僕も、何も聞こえなかったけど……」
 空耳か? いや、それにしては妙にはっきりとした声だった。
『……ス…………テ』
『また!? けど、アスランやキラさんには聞こえていない? 一体、誰が……』
「キラ、ニコル、来るぞ!」
 常識外れのスピードを出し、シャドウが迫る。エールストライクのビームライフルも、イージスの
≪スキュラ≫も、ブリッツの≪ケルベロス・ファング≫も全てかわされた。そしてシャドウは、体勢
を崩した三機に≪ドラグレイ・キル≫で強烈な一撃を与える。
「うわあああっ!」
 ストライクはエールストライカーの翼を切り落とされ、
「がはあっ!」
 イージスは右足を切断され、
「ぐあっ!」
 ブリッツは≪ドラグレイ・キル≫の柄で殴り飛ばされた。
 強い。強すぎる。
 強さの次元そのものが違う。
「まいったなあ。少しは追いついたと思ってたんですけどね」
 ニコルは悔しかった。アルテミスでの戦い以来、いや、それ以前からずっと彼女を追いかけて
きたのに……。



 ニコルが初めてガーネットと会ったのは十ヶ月前。アスランやイザークたちと共にクルーゼ隊に
配属された時だった。その頃、既に彼女は『漆黒のヴァルキュリア』と呼ばれ、ザフトでも指折り
のエースパイロットとして活躍していた。
「ニコル・アマルフィです。よろしくお願いします!」
 クルーゼ隊の先輩たちに自己紹介をした時、彼女と目が合った。その美しい顔立ちと、氷のよ
うに冷たい目付きが、妙に心に残った。
 あの頃の彼女は、とにかく無愛想だった。自分たちはもちろん、昔馴染みらしいアスランとも、
ほとんど会話をしようとしない。
「あの女、ホントに人間かよ? ロボットか何かじゃねーの?」
 ディアッカの冗談を少しだけ信じてしまったのは内緒だ。
 そんな『鉄仮面女』に対する印象が変わったのは、彼女と初めて実戦形式の演習を行った時。
アスラン、イザーク、ディアッカ、そして自分の四人を相手に、彼女は機体に傷一つ負う事無く、
完勝した。
 上には上がいる。そんな使い古された言葉を、本当の意味で理解した。それからのニコルは
ガーネットを目標に腕を磨いた。
 その後も何度か演習を行ったが、一度も彼女に勝てなかった。
 だが、ヘリオポリスへの出撃前に行った演習で、初めてニコルの攻撃がガーネットの機体に命
中した。大したダメージは与えられず、結局負けたのだが、演習後、珍しくガーネットの方から語
りかけてきた。
「あんた、やるじゃないか」
 それだけの言葉だった。だが、声をかけてもらえた事が、そして去り際に少しだけ微笑んでくれ
た事が本当に嬉しかった。
 彼女に勝ちたい。彼女より強くなりたい。彼女と一緒に戦って、プラントを守りたい。それがニコ
ルの願いとなった。
 だが、彼女はザフトを裏切った。そして、敗北の屈辱。
 許せなかった。
 許したくなかった。
 だから、彼女の後を追いかけた。彼女に挑み続けた。厳しい訓練を繰り返し、実戦経験も積
み、強くなったと思った。実際、彼女と互角に渡り合う事が出来るようになった。もう少しだと思っ
た。もう少しで追いつけると思った。
 だが、勝てない。
 どうしても勝てない。
 追いついた、と思ったら、再び大差で引き離される。それの繰り返し。空しい行為だ。
 それでもニコルは彼女を追い続ける事をやめない。何度負けても、やめる気はまったく起こら
なかった。昔も今も、そしてこれからも、ニコルはガーネットを追い続けるだろう。なぜなら彼は…
…。



『ケ…テ……』
「!?」
 シャドウの攻撃をかわし続けるニコルの脳裏に、またしてもあの不思議な声が響く。
『……タ………テ』
 男の、いや、まだ幼い男の子の声。
『オネガイ……。……………テ』
 今度は女の子の声。
『……テ』
『タ……ケ…』
『ダレカ…………ンヲ…』
『タ…スケ…テ……』
 男の子の声、女の子の声。一つ一つ別人の声だ。十人ぐらいはいるらしい。
『助けを求めているのか? けど、どうして僕にだけ聞こえるんだ? それに、この声は一体、ど
こから聞こえて……』
 声の主を探すニコルだが、シャドウの追撃が迫る。≪ドラグレイ・キル≫の刃がブリッツの喉元
に突き立てられようとしていた。
「!」
 かわすブリッツ。刃はブリッツの顔をかすめた。即座に左腕のドリルを突き出すが、余裕でか
わされた。だがその時、
『タスケテ……』
「!」
 敵であるシャドウから、あの声が聞こえた。男の子の声だ。
 まさかモビルスーツに子供が乗っているはずがない。だが、空耳とは思えないほど、はっきりし
た声だった。
「どうなっているんだ? 一体、あのモビルスーツに何が……」
 ニコルが動揺している間に、シャドウが攻撃。
「くっ!」
 ≪ドラグレイ・キル≫をかわしたブリッツは、シャドウに体当たりをかける。ぶつかり合う両機。
 瞬間、
「!」
 ニコルの意識は途絶えた。



 そこは『闇』そのもの。
 一片の光さえ存在しない、漆黒の世界。
 自分の存在そのものが異質に思えてくるほど、静寂に満ちた世界。
 心地よい世界のはずだった。
 だが、ニコルは少しだけ不愉快だった。
 この『闇』の底には、何かがいる。
 それがこの『闇』の静寂を、わずかながら乱している。そんな気がした。
 それは自分をここに呼んだ存在だろう。
 敵か味方かは分からない。が、行かねばならない。
 ニコルは『闇』の底に降りる。
 『闇』はニコルを拒む事なく、いや、むしろ積極的に受け入れてくれた。ニコルは難無く、『闇』の
底にたどり着いた。
 そこには十二の黒い小さな箱があった。
「………………」
 ニコルが箱に触れると、箱の蓋が勝手に開いた。
 その中には、
「うっ!」
 人間の脳髄が納められていた。
 緑色の液体の中で、無数のコードに繋がれた脳髄は、まるで心臓のようにドクドクと動いてい
る。
 残る十一個の箱が次々と勝手に開く。全ての箱の中身が、最初の箱と同じだった。緑色の液
体の中を漂う十二個の脳髄たち。
 ニコルは驚いた。が、脳髄たちを気持ち悪いとは思わなかった。
「……生きているんですね。貴方たちは」
 そう、生きているのだ。こんな姿になりながらも彼らは、彼女らは立派に生きている。
「僕に語りかけてきたのは、貴方たちですね?」
『ウン、ソウダヨ』
 脳髄の一つが返事をした。男の子の声だった。
『アナタハ、ワタシタチト同ジ心ヲモッテイルカラ』
『キット、応エテクレルト思ッタカラ』
 女の子二人の声が聞こえた。
「僕が、貴方たちと同じ心を?」
『ウン』
『オネガイ、タスケテ』
『コノママジャ、ダメダヨ。僕タチノチカラハ、コンナコトニ使ッチャダメナンダ』
『アルベリッヒサンハ、コンナコトノタメニ私タチヲ作ッタンジャナイ』
「貴方たちは……アルベリッヒ博士を恨んでいないんですか? 詳しい事は僕には分からないけ
ど、貴方たちをこんな風にしたのは博士なんでしょう?」
『ウン』
『ケド、僕タチ、博士ヲ恨ンデナンカイナイヨ』
『ダッテ博士ハ泣イテタカラ』
『一番苦シイ思イヲシタノハ博士ダカラ』
「…………優しいんですね、貴方たちは」
『アナタモ優シイヨ』
『私タチノ声ヲ聞イテクレタ』
『私タチヲ愛シテクレタ』
『ダカラオネガイ、タスケテ』
『タスケテ』
『タスケテ』
『タスケテ』
「助けて、って、けど、どうすればいいんですか? 僕には何の力も無い。貴方たちを助ける事な
んて……」
『チガウ、チガウヨ』
『タスケテホシイノハ、僕タチジャナイ』
『ソレニ、アナタニハ、チカラガアル』
『自分ノチカラヲ認メテクダサイ。ソウスレバ、僕タチハアナタニ協力デキル』
「僕の力? それに、自分の力を認めるって……」
『自分ノ心ヲ認メルノ』
『アナタナラデキル』
『僕タチト同ジ心ヲ持ツ、アナタナラ』
『キット、デキル』
『キット……』
 声が遠ざかっていく。
「…………ああ。そういう事ですか」
 ニコルは全て理解した。
「そうですね。僕の心も貴方たちと一緒です。きっとずっと前から……。けど、それを認めたくな
かった。認めてしまったら、僕はプラントのために戦えなくなるから」
 けれど、それでもいいと思った。
「ごめんなさい、父さん、母さん。僕は……」
 ニコルは覚悟を決めた。
 『闇』が晴れていく。



「ニコル、後ろ!」
「!」
 キラの声でニコルは我に返った。
 いつの間にかシャドウが、ブリッツの背後に回りこんでいた。≪ドラグレイ・キル≫の刃がブリッ
ツの背を貫こうとする。
「くっ!」
 バーニアを吹かし、一気に加速。その場を離れ、シャドウの攻撃をかわした。
「大丈夫、ニコル?」
「え、ええ。ありがとうございます、キラさん」
「何をボーッとしているんだ、ニコル! 死にたいのか!」
「…………アスラン、僕はどのくらいの間、ボーッとしていましたか?」
「? ニ、三秒ぐらいだが……。お前、大丈夫か? 疲れているんじゃ……」
「いえ、大丈夫です」
 あの十二個の脳たちとの会話が、ほんのニ、三秒? 信じられないが、あれは現実だった。彼
らの言葉を一語一句、全て覚えているのがその証拠だ。そして少しだけ変わった、自分の心も
証拠になるだろう。
「キラさん、アスラン、下がってください。ガーネットさんは僕が止めます」
「!?」
「な、何を言っているんだ、ニコル! お前一人で敵う相手じゃないだろう!」
「分かっています。ですが、お二人の機体はもう限界でしょう。それに、やっぱり彼女とは一対一
で、きちんと決着をつけたいんです」
「ニコル……」
 確かにニコルの言うとおり、ストライクとイージスの消耗は激しい。エネルギーも尽き掛けてい
るし、ダメージも大きい。キラとアスランの体力も限界だ。二機に庇われながら戦っていたニコル
のブリッツが一番ダメージが少ない。
「ニコル、君はまさか…」
「大丈夫ですよ、キラさん。僕は死ぬつもりはありません。必ず彼女を助けますから、僕を信じて
もらえませんか?」
「……………」
 ニコルの言葉からは嘘や迷いは感じられない。覚悟を決めた男の声だ。
「…………分かった。絶対に死なないで」
「ええ。アスランを頼みます」
 ブリッツが前に出る。
 眼前には≪ドラグレイ・キル≫を構えるシャドウ。
「これで終わりにしましょう、ガーネット・バーネット。どちらが勝っても、僕たちの戦いはこれが最
後です!」
 ブリッツは≪トリケロス≫からビームサーベルを放出、シャドウに切りかかる。
「殺す……」
 難無く避けるシャドウ。
「はあっ!」
 シャドウの逃走コースを読んでいたニコルは、そのコース上に≪ケルベロス・ファング≫を発
射。
「殺す!」
 これもシャドウは簡単にかわした。その際、ドリルを一つ破壊する。
「さすがですね。けど、まだまだ!」
 ミラージュコロイドを展開。ブリッツの姿が消える。
「殺す、殺す、殺す……」
 だが、トゥエルブ・システムによって感覚を研ぎ澄まされているガーネットには通用しない。セン
サーに頼る事無く、簡単にブリッツの居場所を探知した。
「殺す!」
 見えないブリッツに≪ドラグレイ・キル≫を強烈な勢いで突き出す。絶対の自信をもっての一撃
だったのだが、手ごたえは無い。
「!?」
 トゥエルブの覚醒後、初めての動揺。その一瞬、ガーネットは冷酷な殺人マシーンではなくなっ
た。
 それが全てを決めた。
「! 上か!」
 気付いた時には遅かった。上空に逃れていたブリッツから、残る二本の有線式ドリルが放たれ
た。
「くっ!」
 シャドウが猛烈な勢いで≪ドラグレイ・キル≫を投げる。槍は空中のブリッツに命中、その両足
を引き裂いた。
 だが、ブリッツのドリルもシャドウに命中した。ドリルの強烈な衝撃はPS装甲の限界をあっとい
う間に越え、≪ドラグレイ・キル≫を持っていた左腕と右足は二本のドリルによって破壊された。
バランスを崩したシャドウは地に倒れた。そして、足を両断されたブリッツも大地に落ちる。
「……………」
「……………」
 シャドウもブリッツも立ち上がる事は不可能だ。両機とも武器を失い、戦闘能力はほとんど無
い。キラもアスランもそう判断したが、二人は動かなかった。
 まだ戦いは終わっていない。
 決着はあの二人がつける。
 誰も邪魔してはならない。
 二人は同じように思って、敢えて動かなかった。
 シャドウのコクピットハッチが開いた。中から出てきたガーネットはヘルメットを脱ぎ捨てた。そ
の顔は疲れ切っている上に、今にも泣き出しそうな子供のような顔。哀しみに満ちた顔だった。
 ガーネットはフラフラとよろけながら、ブリッツに向かって歩いた。途中、何度も何度も転んだ。
雨に塗れた泥の中に顔を突っ込み、美しい黒髪を土色に染めながら、それでも彼女は歩いた。
 ようやくブリッツの元にやって来たガーネットは、外からコクピットのハッチを開ける。そこには
一人の少年がいた。
「…………………こんにちは、ガーネットさん」
 割れたヘルメットの中で、ニコルは微笑んだ。その額には一筋の血が流れているが、命に別
状は無いようだ。
「元に戻ってくれたんですね。良かった……」
「あんたのおかげだよ。あんたが止めてくれなかったら、私は……」
「僕一人の力じゃありませんよ。貴方の友達も協力してくれましたから」
「友達?」
「貴方のお父さんが残してくれた子供たちですよ」
「! トゥエルブが……」
「あの子達が僕に語りかけてくれたんです。貴方を助けてくれ、と。そして僕に協力してくれたん
です」
 ミラージュコロイドで隠れたブリッツの居場所を探知できなかった事。あれはトゥエルブの仕業
だったのだ。
「……そうだったのか。私は、あの子達を暴走させて、無理やり戦わせたのに、それなのにあの
子達は、私を助けてくれたのか。こんな私のために、友達を二人も見殺しにした私なんかのため
に……」
「貴方のせいじゃありません。それに、例えそうでも、それでもみんな、ガーネットさんが好きなん
です」
「そんなはずない! 親父も私も、あの子達からは憎まれているはずだ! あの子達の未来を
奪った私たちを許すはずが無い!」
「ガーネットさんは、あの子達が嫌いなんですか?」
「そんな…事は……」
「どうしてあの子達の声が僕に聞こえたと思いますか? あの子達も僕と同じ気持ちだったから
ですよ。みんな貴方が好きなんです。あの子達を信じてあげてください。そうすればきっと、貴方
にもあの子達の声が聞こえるはずです」
「あ……」
 ガーネットの心には、いつも罪の意識があった。直接、彼女が関わっていた訳ではないが、父
の犯した罪を背負っているという自覚はあった。ガーネットにとってトゥエルブ・システムは、この
世界を救うための鍵であると同時に、父の罪の証であった。覚悟を決めた振りをして、心の奥底
では疎ましくさえ思っていた。その覚悟が、彼女の罪の意識を更に高めていた。
「私は……バカだ。自分の心にも、あの子達の心にも気付かなかった。気付かない振りをしてい
た」
「アハハ……。それなら、僕だって同じですよ。今の今まで、自分の気持ちに気付かない振りをし
てたんですから」
 それを認めてしまったら、自分の戦う理由が無くなってしまうから。けど、もういい。父や母や故
郷の事は大事だけれど、それ以上に大事なものができてしまった。親不孝者、裏切り者の汚名
も背負う覚悟は既に出来ている。
 初めて会った時から、きっとそうだったのだ。だから認められた事が嬉しかった。裏切られた事
が許せなかった。
「貴方を追いかけていた時は、こんな形で決着をつけるとは思わなかったんですけどね……」
 ニコルは苦笑する。
 ああ、僕は何て。
 何てバカだったのだろう。
 自分でも呆れるくらい『子供』だった。
 心も体も未熟者だ。
 けれど。
 それでも。
 言いたかった。
「ガーネット・バーネットさん。僕は貴方を愛しています」
 恐ろしいほど照れ臭い言葉だが、意外とすんなり出た。
「この世界の誰よりも、貴方の事が好きです。守りたいと思っています」
「……………」
「貴方と一緒に生きる事を許してもらえませんか?」
「……………」
 ガーネットは答えなかった。代わりにニコルをコクピットから出して、彼の額の血を拭い、そし
て、静かに唇を重ねた。
 少し長いキスの後、ガーネットはニコルに微笑んだ。そして、
「お前、色んな意味でバカだな」
「お互い様です」
 二人とも涙を流していた。哀しみの涙ではない。歓喜の涙だった。
 戦いが終わった事を見届け、キラとアスランは半壊した愛機のコクピットから外へ出た。
「終わったな」
 アスランが何となく呟いた。
「うん」
 キラも微笑みながら頷いた。トールとアキナの死は哀しいけれど、今は、今だけは微笑む事を
許してほしい。そう思った。
 いつの間にか黒雲は消え去り、太陽が姿を見せていた。水平線の彼方から、オーブの戦艦が
やって来るのが見えた。

(2003・8/30掲載)
断章 エスケープへ

第15章へ

鏡伝目次へ