第16章
 「闇」からの飛翔

 夕焼けで赤く染まるオーブの砂浜を、二つの人影が歩いている。
「ふう……。風が気持ちいいですわね」
 プラントの歌姫、今は国家反逆罪の汚名を着せられた逃亡者、ラクス・クラインと、
「そうですね」
 彼女に誘われ、その隣を歩くキラ・ヤマト。そして二人の足元には、
「ラクス、ゲンキ! ハロモゲンキ! ミンナゲンキ!」
 砂浜を器用に飛び跳ねる、ピンクのハロがいる。
「地球に来たのは初めてですけど、とてもいい所ですね。ピンクちゃんも地球を気に入ったみた
いですわ」
「僕も、地球に来たのは今回が初めてです。砂漠とか海とか綺麗でした」
「そうですか。ですが、この美しい星も、戦火によって汚されているのですね。そして、その戦火を
己の欲望のために広げ、滅びをもたらそうとしている者がいる……」
「ダブルG、ですか」
 キラは、ラクスが皆の前で教えてくれたその名を呟いた。God of God、『神の中の神』を名
乗り、世界を影から弄ぶ悪鬼。ガーネット親子が命をかけてまで追い求めてきた、この世界の
『敵』。
「ラクスさんは知っていたんですか? アルベリッヒ博士の事を」
「いいえ。あなた方とお別れして、プラントに帰った後、ラージさんから教えてもらいました。それ
からお父様に相談して、その正体を探っていたのですが……」
 成果は上がらなかった。ラージにも確信があった訳ではないし、父シーゲルも半信半疑だっ
た。
「ですが、ラージさんやイザークさん、フレイさんたちのお陰で、ようやくその影を掴む事が出来ま
した。わたくしの予想を遥かに超えた、危険な存在でしたが」
「ええ、そうですね。人類だけでなく、全ての命を滅ぼそうとするなんて……」
 正気の沙汰とは思えない。
 絶対に阻止しなければならない。
「ラクスさんは、これからどうするんですか?」
「戦います。この世界に生きる者の一人として、ダブルGの企みを許す事は出来ません。ウズミ
様も、わたくしたちに協力してくださるとお約束してくださいましたし」
 ラクスの話を聞いたウズミは、自分から協力してくれると言ってくれた。もちろん中立国である
オーブが直接的に軍事行動を起こす事は出来ないが、機体の整備や物資の補給など、秘密裏
に支援してくれる事になった。ザフトの追撃隊との戦闘や、大気圏突入時の衝撃により、大きな
ダメージを受けたジャスティスら三機のモビルスーツは現在、モルゲンレーテの地下工場で修復
されている。
「たとえこの命を失う事になっても、わたくしは戦います。憎しみに支配された戦争を終わらせ、
この世界を守るために」
 夕日がラクスの顔を照らす。その美しい横顔に、キラは見とれていた。今、彼の前にいるのは
アークエンジェルで一緒に笑っていた頃の愛らしい歌姫ではない。強い信念と決意、そして覚悟
を決めた少女がそこにいた。
「僕も戦います」
 キラは自然にそう答えた。
「キラ様……」
「僕にも守りたいものがあります。両親とか、友達とか、いや、知ってる人も知らない人も、みん
なを救いたい。無理かもしれないけど、それでも僕は、一人でも多くの人を助けたいんです。そ
の為に戦わなければならないというのなら、僕は戦います」
「…………強くなられましたね、キラ様は」
 ラクスはニッコリ微笑む。
「!? い、いえ、そんな事は…」
「今のあなたなら、託しても大丈夫ですね」
「えっ?」
「わたくしたちの乗ってきたモビルスーツ、ジャスティスをあなたに託します」
「! で、でもあのモビルスーツには、ニュートロンジャマーキャンセラーが……」
 ニュートロンジャマーの効果を無効にし、核の封印を解く力を持つシステム。もし、その技術が
邪悪な意志を持つ者の手に渡れば、取り返しのつかない事になるだろう。そう思ったからラクス
も、あの機体をザフトから奪ったのだ。
「ええ。だからこそ、あなたに託すのです。あなたは戦う事の辛さも苦しさも知っている。あなたな
ら、あの力を正しく使えるはずですわ」
「………………」
「信念(おもい)だけでも、力だけでも駄目なのです。ジャスティスの力は、あなたの信念(おもい)
を適えるための力になってくれるはずです」
「ラクスさん……」
「あ、でもジャスティスを渡す条件として、一つだけお願いがあります」
「えっ? は、はい、どうぞ」
 少し緊張するキラに、ラクスは微笑む。
「わたくしの事は、ラクスと呼んでください。わたくしも、キラと呼ばせていただきます」
「えっ?」
「よろしいですか?」
「え、ええ、分かりました」
「ありがとうございます」
 戸惑うキラに、ラクスは再度微笑む。
 そして彼女の腕の中に、ピンクのハロが飛び込んできた。
「ピンクちゃん、キラにご挨拶してください。わたくしたち、お友達になりましたのよ」
「ラクス、キラノトモダチ! ナラ、ハロノトモダチ! ヨロシクナ!」
「そうですね。よろしく、ですわ。うふふ」
「あ……ああ。はは、あはは」
 ラクスと共に、キラも微笑んだ。久しぶりに、心からの微笑だった。



 夕方、オーブの中央都市の郊外にある墓地。緑の芝生が敷き詰められた草原に、白い墓石
が立ち並んでいる。
 とある墓石の前で、ガーネット・バーネットは膝を折った。そして、持ってきた二つの花束を、目
前の墓と、その隣の墓に供えた。
 ガーネットと一緒に墓にやって来たフレイは、墓石に刻まれた名を見る。目前の墓の墓石には
「アキナ・ヤマシロ」、隣の墓には「トール・ケーニヒ」の名が刻まれている。
 二人は死者に黙祷した後、静かに語り始めた。
「アキナを守れなかったのは、私のミスだ。あんただけでなく、あんたの親友まで……。すまな
い」
 ガーネットは謝った。フレイに怒りをぶつけられる事も覚悟していたが、
「あんたのせいじゃないわ」
 フレイの言葉は穏やかで、優しかった。
「あの時、私がザフトにさらわれたのは、あんたの指示を守らず、単独行動をとった私のミスだ
わ。あんたのせいじゃない。アキナの事だってそうよ。キラから話は聞いたけど、あの子は自分
から戦う事を選んだんでしょう? 大切な友達を守るために。だったら、あんたのやるべき事は、
アキナの死を悔やむ事じゃない。アキナが救ってくれたその命を無駄にしない事よ」
「フレイ……」
「私、もうあんたの事を恨んでないわ。捕まった時は『見捨てられた』と思って、あんたを憎んだり
したけど、今は違う。あの時、私を助けようとしたら、あんたもアキナも無事じゃすまなかった。あ
んたは間違ってないわよ」
「けど、それでも私は…」
「それに、プラントに連れて行かれた事で、色んな事が分かったし。コーディネイターの事とか、
ダブルGの事とか……。ついでに変な物を頭に埋め込まれちゃったけど、おかげで強くなれた
し、そんなに気にしてないわ」
 そう言ってフレイは、哀しい微笑を浮かべた。
 フレイの頭には、ダブルGの部下であるリヒター・ハインリッヒの手によって、特製のバイオチッ
プが埋め込まれている。このチップのおかげで、フレイはナチュラルでありながら、頭脳、身体共
にコーディネイターに勝るとも劣らない能力を身につけた。だが、チップは脳の奥深くに埋め込ま
れており、オーブの医療技術をもってしても摘出は不可能だった。
「あいつらから貰ったこの力で、私はあいつらと戦う。人の頭の中を勝手に弄くりまわして、ゲラ
ゲラ笑っているような連中、絶対に許せない! 叩き潰してやるわ! ガーネット、あんたはどう
するのよ?」
 勇ましく質問してきたフレイに、ガーネットは懐かしさを感じた。色々な事があったはずなのに、
フレイは変わっていない。それが嬉しかった。
「訊くまでもないだろう。私は奴らを追い続けてきたんだ。親父のため、みんなのため、そして、
私自身の未来のため、奴らをぶっ潰してやる!」
 そう言って、ガーネットはフレイに手を差し出した。フレイは一瞬驚いたが、すぐに笑顔を浮か
べて、その手を硬く握る。
 心地よい握手だった。
「ふふっ。それにしても、おかしな話よね」
「? 何がだい、フレイ?」
「コーディネイターはパパの仇。だけど、あんたにキラにアキナ、イザークにラクスにエザリアさ
ん、あ、ラージさんとエリナもそうか。私に親切にしてくれる人も、みんなコーディネイターなのよ
ね」
「そんなにおかしな話じゃないだろ。ナチュラルにもコーディネイターにも、いい奴もいれば悪い
奴もいる。それだけさ」
「そういえば、あんた前に言ってたわよね。ナチュラルもコーディネイターも同じ『人間』なんだ、み
たいな事」
「ああ、そういえば……」
 フレイの父、ジョージ・アルスターが殺された直後の事だ。
「あの時のあんたの言葉、今なら分かるわ。ナチュラルもコーディネイターも、心は同じなのよ。
人を愛したり、慕ったり、憎んだり、悲しんだり……。決して分かり合えない存在なんかじゃない
わ。ううん、きっと分かり合える。私とあんた、アキナみたいに」
「ああ、その通りだ。だからこそ、私たちは戦わなくちゃならない。ナチュラルとコーディネイターを
憎み合わせて、世界を滅ぼそうとするクソッタレ野郎とね」
「クソッタレ、って、ちょっとガーネット。あんた、仮にも女の子なんだから、そんな言葉遣いはよし
なさいよ。あのニコルって子に、愛想つかされちゃうわよ」
「大丈夫だよ。ニコルは私の事をよく知ってるからね。そっちこそ、上手く猫被らないと、イザーク
に嫌われるよ」
「! なっ、何であいつの名前が出てくるのよ! 別にあたしはあいつの事なんか!」
「おや、そうかい? 結構お似合いだと思ったんだけど。あ、そろそろ日が暮れるね。それじゃ
あ、お先に」
「ちょっ、ちょっと、待ちなさいよ、ガーネット! 私とイザークはホントにそんな関係じゃないんだ
からね!」
 二人の少女は、賑やかに墓地を後にした。
 こうして、一度切れかけていた友情の絆は、再び強く結ばれた。それを一番喜んでいたのは、
恐らく当人たちではなく、今は墓の下で眠っている、彼女たちの親友だろう。もちろんそれを知る
術は無いのだが、間違ってはいないはずだ。



 同時刻、オーブの商店街では、三人のコーディネイターがショッピングに励んでいた。
「あー、この服、かわいー! こっちのドレスも素敵だわー。ラクス様に着せてみたいなー。あ、
あっちのスカートも素敵だわ! ねえ、イザークお兄ちゃん、この二つのスカート、どっちが私に
似合うと思う?」
「知らん」
「あー、ひどーい! それが可愛い『いとこ』の女の子に対する態度?」
「可愛い? どこの誰がだ?」
「ひどーい! 今の、ちょっと本気で傷付いたー! お兄ちゃんのバーカ!」
 エリナ・ジュールは頬を膨らませた。二人に付き合わされたニコルは、微笑みながら、
「まあまあ、エリナさん、落ち着いて。イザークも、エリナさんにもう少し親切にしてあげても……」
 と、二人の口ゲンカを止めようとする。だが、
「黙れ、ニコル。俺はお前ほど、お人好しじゃないんだ」
「ぶーぶー。お兄ちゃんの意地悪!」
 効果無し。
「あ、お兄ちゃん、荷物、落とさないでよね。どれも高いんだから」
「だったら、少しは買い控えろ! 服だけでこんなに買い込みやがって、何考えてるんだ、お前
は!」
 イザークが文句を言うのも無理はない。イザークとニコルが持たされているエリナの荷物は、
凄まじい量だった。二人がコーディネイターでなければ、荷物の重さに潰れていたかもしれない。
「知らないの? 女の買い物は、量と時間がかかるものなのよ」
「かかり過ぎだろ、これは! 俺たちばかりに持たせず、軽い物ぐらい自分で持て! 大体、買
い物なんかしている暇があるのなら、ジャスティスの修理を手伝ったらどうだ。誰のせいであんな
に壊れたと思っているんだ!」
 ジャスティス、アルタイル、ヴェガの三機は、ザフトの追撃隊と大気圏突入時のダメージで、か
なり損傷していた。もっともアルタイルとヴェガのダメージは、エリナの操縦するジャスティスを庇
ったせいなのだが。
「ぶーぶー。お兄ちゃん、冷たーい。フレイさんには絶対、そんな風に言わないくせに」
「な、何であいつの名前が出てくるんだ! それにあいつは、お前以上に文句を言うんだぞ。つ
まらん事で長話をするし、こっちの都合などまったく全然考えないし……」
「ふーん、色々知ってるんだ。仲いいんだね」
 エリナは不機嫌そうに言う。
「なっ……。だ、だからあいつとはそういう関係じゃ…」
「じゃあどういう関係なの? ただの顔見知り? お友達? それとも、もしかしてそれ以上?」
「うっ…」
「エリナさん、その辺にしてあげましょうよ」
 ニコルが仲裁に入る。イザークにとっては天の助けだ。
「お兄さんの人間関係が気になるのは分かりますけど、先に買い物を済ませてからにしましょう。
もうすぐ日が暮れますよ」
「ふん。そうね。お兄ちゃんを問い詰めるのは、帰ってからでも出来るし」
 そう言ってエリナは、再び買い物に熱中する。
「ふう……。助かったぞ、ニコル」
 イザークが小声で礼を言う。
「どういたしまして。けど、大変ですねえ」
「まあな。あいつには昔から振り回されている。俺が女が苦手になったのは、あいつのせいでも
あるな」
 ショッピングは続く。エリナが次に入った店は、女性下着の専門店だった。
「……………」
「……………」
 エリナからは「入ってもいいわよ」と言われたが、さすがに恥ずかしく、二人は店の外で待つ事
にした。膨大な荷物を下ろして、一息つく。
「それにしても、まさかお前とこんな所で会うとはな」
 と、イザークが言う。
「僕だって驚きましたよ。イザークは何があってもザフトに残るだろうと思っていましたからね」
「驚いたのはこっちもだ。お前とガーネットとくっついたのにも驚いたが、お前がアスランを裏切る
とは……」
「裏切った訳じゃありませんよ。今は離れていますけど、アスランも僕たちの仲間です。それにガ
ーネットさんの事だって、色々と考えた結果です。後悔はしていませんよ」
「ああ、そうみたいだな。ガーネットと一緒にいる時の、お前の顔を見れば分かる。ったく、幸せ
一杯の新婚夫婦みたいな顔をしやがって……」
「僕、そんな顔、してましたか?」
「知らぬは当人ばかりなり、だな。しかし、あの女も変わったな。よく笑うし、よく怒る。ザフトにい
た頃の鉄仮面女とはまるで別人だ」
「あれが本当のガーネットさんなんですよ。お父さんの願いを叶える為に、あえて心を閉ざしてい
たんです」
「ダブルGを倒すために、か」
「ええ。イザークたちと同じ目的ですね。同じ敵を持つ者同士、僕たちと一緒に戦ってくれるんで
しょう?」
 期待を込めた眼差しで、ニコルが尋ねる。
「そのつもりだ。断わる理由も無いしな」
 イザークの返事は簡単なものだった。が、その簡単な言葉には確固たる決意と友情が込めら
れていた。
「ありがとうございます、イザーク」
「礼などいらん。それにしても……」
「?」
「お互い、厄介な女に惚れたものだな」
「そうですね。けど、離れるつもりはないんでしょう?」
「ああ。お前と同じだ」
 苦笑しながらそう言うイザークに、ニコルも微笑んだ。友情の微笑だった。



 真夜中。
 草木も眠る丑三つ時。嵐は突然、訪れた。
 オーブ軍司令部の通信回線に、謎の通信が割り込んできた。報告を聞いて駆けつけたキラや
ガーネットたちの前で、司令部の大型モニターに、ある男の顔が映し出された、それは、
「よお、久しぶりだな、我が教え子たちよ! そして、オーブの方々にはお初にお目にかかる。私
は全ての酒と女性の味方、ラージ・アンフォース。以後、よろしく!」
 と、にこやかに名乗りを上げた。
「ふん。やっぱり生きていやがったか」
「本当に不死身なんだ……」
 半ば呆れて、半ば嬉しいイザークとフレイ。そして、
「ラージさん、夜のご挨拶は『よろしく』ではなく、『こんばんわ』ですよ」
 ラクスがちょっとズレたツッコミを入れる。
「おおっと、失敗、失敗。ま、勘弁してくださいよ、ラクス様。プラントは昼飯時なんでね」
「相変わらずですね、先生」
 ガーネットは苦笑しながら、恩師に挨拶する。
「よお、ガーネット。頑張っているじゃないか。噂は色々と聞いているぞ」
「どうせロクな噂じゃないでしょう」
「ああ。聞いてみるか?」
「遠慮します。それより、こんな真夜中に、一体何の用ですか?」
「悪いニュースが三つある。まず一つ、アスラン・ザラが捕まった」
「まあ」
「アスランが!?」
「そんな、どうして?」
 婚約者のラクスより、キラとカガリの方が驚いている。
「クライン派に加担していた容疑で拘置所に放り込まれた。ラクス様の婚約者という立場を考え
れば、まあ当然の処置だろう」
「ですが、わたくしはアスランに何も話していませんけど」
 と、ラクスが言うと、ガーネットが、
「クライン派うんぬんってのは、口実だね。ダブルGの存在を知ったアスランを押さえるための」
 と推理する。続いてニコルが、
「それじゃあ、裏で動いているのはダブルGの手下の…」
「リヒターか! あの野郎!」
 イザークが吠える。
「アスランの事は、このラージ・アンフォースに任せろ。必ず助け出す。それで二つ目のバッドニ
ュースだが……」
 ラージはイザークの顔を見た。そして、一息ついて、
「イザーク。お前の母親が死んだ」
「!」
 凍りつくイザーク。エザリアの事を知っているフレイとエリナも、同様の表情を見せる。
「お前さんの件で詰問に訪れた部隊の前で、自爆したそうだ。死体は……粉々に吹き飛んで残
っていない」
「………………」
 冷酷な事実を、イザークは黙って受け止めた。
「イザーク……」
「お兄ちゃん……」
「大丈夫だ、フレイ、エリナ。……恐らく母上は、俺の足手まといになる事を拒んで、自ら命を絶
ったんだ。母上の意志を無駄にする訳にはいかない。俺は戦う。最後までな」
 拳を握り締めるイザーク。強く握りすぎて、血が滲み出ているその拳を、フレイが優しく包む。
「フレイ……」
 何も言わず、フレイは頷いた。言葉はいらなかった。
「それで先生、三つ目のニュースは?」
 ガーネットが尋ねる。
「ああ。ついにオペレーション・スピッドブレイクの詳細を突き止めた」
「!」
 オペレーション・スピッドブレイク。地球軍が所有する唯一のマスドライバーの制圧もしくは破壊
を目的とした、ザフトのパナマ攻略作戦。地球軍を完全に地球に封じ込める大作戦、『オペレー
ション・ウロボロス』の最終段階。のはずだが、
「裏をかかれた。パトリック・ザラは直接、アラスカを狙うつもりだ」
「なっ!」
 驚く一同。同時にこの作戦の有効性も理解した。連合の主力はパナマに集結しており、連合本
部のアラスカの守りは手薄になっている。本部を落とせば、パナマを制圧しなくても、ザフトの勝
利は確定する。
「成功率が高い上、極めて有効な作戦ですね。アラスカが落とされ、司令部が制圧されたら、地
球軍の敗北は必至です」
 ニコルの言うとおりだ。だが、
「いや、そうはいかないだろう。この作戦は失敗するぞ」
 ラージはあっさり否定した。
「どうやら情報がリークされているらしい。アラスカの連合首脳陣は、既に避難の準備を始めて
いるし、ザフトを迎え撃つための切り札も用意しているらしい」
「バカな! 一体誰が情報を漏らして……」
 イザークの質問に、ラージはため息混じりに答えた。
「イザーク、お前なら心当たりがあるだろう? パトリック・ザラの側近のくせに、実は神様の方が
大事な奴だ」
「! リヒター・ハインリッヒ……」
 これも神の、ダブルGのシナリオだというのか。
 アラスカ攻撃に失敗するという事は、ザフトの主力部隊の壊滅を意味する。それはさらなる戦
火の拡大と、殺意の暴走を生み出すだろう。
「何もかも彼らの思い通り、という事ですか」
 ラクスも表情を強張らせる。その隣に立っていたキラが、モニターの向こうにいるラージに尋ね
る。
「あの、ラージさん」
「ん? お前さんは……」
「僕はキラ・ヤマトといいます。あの、僕たちの艦は、アークエンジェルはどうなっているんです
か? アラスカから避難したんですか?」
「いや、その様子は無いな」
「なっ!」
「何だって!」
「そんな!」
「バカな!」
 キラとカガリ、フレイとガーネット、かつてアークエンジェルに乗っていた面々が叫ぶ。
「アークエンジェルは上層部に見捨てられたらしいな。あの艦はザフトでも有名だから、いいオト
リになると判断されたんだろう」
「そんな……!」
 絶句するキラ。これでは地球軍もダブルGと同じではないか。
「スピッドブレイクの発動は十二時間後だ。それまでにどうするか決めておくんだな。ああ、それ
からガーネット」
「? 何だい?」
 画像の向こうのラージが、こちらの様子を見回す。
「……ルミナとカノンはいないようだが、大丈夫なのか?」
「ああ。ルミナの方は大した事は無い。カノンも昨日の夜、意識が回復した。お医者さんの話で
は、ケガの直りも速いし、すぐに退院できそうだってさ。ルミナの方は、まあちょっと落ち込んだり
もしてたけど、今は元気だよ」
「そうか……」
 ラージはため息をついた。この男にしては、珍しく落ち込んでいるようだ。
「あの二人にはすまない事をした。まったく、俺は教師失格だな」
 トゥエルブ・システムを成長させ、完成させるため、ガーネットの元に強敵を送り込む。それが
ラージの計画だった。そして、志願してきたロディアやジュリエッタ姉妹を利用した。
「ロディアの奴は計算違いだった。味方に銃を向けるようなバカ野郎とは思わなかった。本当に
すまない」
 頭を下げるラージ。
「あんたのせいじゃない。気にする事は無いよ」
 ガーネットはぶっきらぼうだが、優しい思いを込めた言葉を出した。
「あの姉妹は大丈夫だ。ロディアの事も、私がきっちりと決着(ケリ)をつけてやる。だから先生は
先生のやるべき事をやりなよ」
「ああ、分かった。本当は俺が直接謝るのがいいんだが、そっちには行けそうもないんでな。お
前さんから、俺が謝っていたと伝えてくれないか?」
「了解。先生の方も、アスランの事、よろしく頼む」
「任せろ。それじゃあ……」
「あ、先生」
「ん?」
「……色々とありがとう。それから、死なないでよ」
「ああ。お前さんもな」
 軽く別れの挨拶をかわして、ラージは通信を切った。



 オペレーション・スピッドブレイクの発動まで、あと十二時間。それは同時にアラスカ消滅のタイ
ムリミットであり、アークエンジェルが最期を迎える時でもあった。
 助けなければならない。いや、助けたい。
 でも、どうやって?
 アラスカへの直接通信は連合が拒絶している。援軍を送ろうにも、中立国であるオーブの艦を
使う訳にはいかない。
 ならば艦を使わず、直接アラスカに乗り込むしかない。
 だが、そんな事が可能なのか? 通常のモビルスーツでは、アラスカに行くまでにバッテリーが
尽きてしまう。ニュートロンジャマーキャンセラーを搭載したジャスティス、アルタイル、ヴェガなら
行けるかもしれないが、この三機はいずれも修理中だ。
「ごめんなさい、私がジャスティスを上手く扱えなかったせいで……」
 落ち込むエリナ。彼女なりに責任を感じていたようだ。彼女の頭を、ガーネットが優しく撫でる。
「あんたのせいじゃない。それより、問題はこれからだ」
 悩む一同。そこへ、
「アラスカへ行く方法なら、あるわよ」
「特急便を用意してありますぜ、ガーネットお嬢さん」
 エリカ ・シモンズとタツヤ・ホウジョウが現れた。
 二人は一同を、モルゲンレーテの地下工場に案内した。地下工場のさらに下にある、関係者
以外は絶対立入禁止の極秘倉庫。その分厚い扉の前には、ウズミ前代表がいた。
「ん? カガリ、お前も来たのか」
「お父様、どうしてこんな所に?」
「ここには我が友の遺産があるのだよ」
 そう言って、ウズミはガーネットの顔を見る。
「ガーネット君。この扉の向こうにある物は、二年前、君のお父上がトゥエルブ・システムと共に
送ってきた物だ」
「アルベリッヒ博士のもう一つの遺産よ。あなたには受け取る資格があるわ」
 ウズミとエリカは、同一のカードキーを取り出す。そして扉の脇にあるスロットに連続でスキャン
させる。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴコ……ッ。

 重く鈍い音と共に、巨大な扉が開いた。
 そして、一同の前に現れた物は、
「これは……モビルスーツ?」
 ガーネットが驚きの声を上げる。
 顔立ちはストライクなどのG兵器たちに似ている。頭部にはアンテナの他に、まるで悪魔のよう
な巨大な二本の角。黒く染め上げられたボディ。そして背中には鳥のような、いや天使のような
白く巨大な『翼』。白と黒のコントラストが不思議な美しさを醸し出している。
 その異様さに呆気にとられているガーネットたちに、ホウジョウが説明する。
「このモビルスーツの名はダークネス。アルベリッヒ博士がトゥエルブ・システムの搭載と運用を
目的として作り上げた、博士の最後の作品です」
「ダークネス……」
 父の遺産の名を、ガーネットは愛おしげに呟く。ホウジョウが説明を続ける。
「最高速度はマッハ4。背中の翼に備わっている高性能太陽電池≪アポロン≫のおかげで、太
陽光のあるところなら、エネルギー切れの心配はほとんどありません。これならアラスカまで直
行で行けます」
「トゥエルブ・システムは最初、このモビルスーツに搭載されていたのよ。それを私たちがストライ
クシャドウに移し替えたの。特別製のフレームを内蔵したこのダークネスなら、トゥエルブの力を
100パーセント発揮出来るわ」
 そうエリカ主任が説明すると、ニコルが不思議そうに尋ねた。
「どうしてわざわざ移し替えたんですか? このモビルスーツに何か問題でもあるんですか?」
「ええ、二つね。一つは、このモビルスーツには一切、武器が装備されていないのよ」
「っておい! そんなのでどうやって戦えというんだ!」
 イザークの意見はもっともだ。
「まあ、その辺はパイロットの力量で何とかなる」
 あっさりと無茶な事を言うホウジョウ。
「だが、もう一つの問題の方はそうはいかん。それでこいつをお蔵入りにしてたんだ」
 そう言ってホウジョウは、一同にダークネスのコクピットを見せた。胸部のハッチを開けると、中
には座席が二つ、前と後に備え付けられている。
「二人乗り? このモビルスーツは複座式なのか?」
「ええ、お嬢さん。そしてこれが、アルベリッヒ博士の考えたトゥエルブ・システムの最も安全かつ
有効な運用手段です。ナチュラルを遥かに超えた力を持つコーディネイターの肉体でも、トゥエ
ルブ・システムを完全に起動させる事は不可能に近い。無理やり起動させれば、システムを暴
走させる事になる」
「………………」
 ガーネットの心に、つい先日の悪夢が蘇る。エリカが話を続ける。
「システムの負荷を二人で分け合う事で、暴走させる事無く、十二個のシステムを完全に起動さ
せる事が出来る。それがアルベリッヒ博士の出した結論よ」
「? ちょっと待て、シモンズ主任」
 カガリが意見する。
「トゥエルブ・システムはガーネットしか起動させる事が出来ないんだろう? それじゃあ二人乗り
にしても、意味が無いじゃないか」
「ええ、その通りです、カガリ様。だから私たちは二人乗りのダークネスから、一人乗りのシャド
ウにシステムを移し替えたんです」
「まあ博士も、作ってから自分の失敗に気付いたそうですからねえ……」
 天才とナントカは紙一重。そんな言葉が一同の頭の中に浮かんだ。
「武器が無い上に操縦出来ないんじゃ、話にならないじゃないか。これなら俺のアルタイルを修
理した方がまだマシだろう」
「イザーク君の言うとおりね。でも……」
 エリカは一人の少年に目を移す。その視線の先には、
「えっ?」
 心優しきピアニスト、ニコル・アマルフィがいた。
「今は彼がいる。トゥエルブの声を聞いて、奇跡を起こした彼が」
「ニコルが、私と一緒に?」
「僕が、ガーネットさんと……」
 見つめ合う二人。二人の肩に、ウズミが優しく手を置く。
「行きたまえ。君たちならば飛べるはずだ。そしてガーネット君、君のお父上が残した力で、大切
な者たちを救いたまえ。お父上も、きっとそれを願っているはずだ」
「ウズミ様……」
 二人の心は決まった。



 朝日が昇る。
 オペレーション・スピッドブレイク発動まで、あと八時間。
 微調整を終えたダークネスが、極秘倉庫から日の下に出される。黒い体が太陽の光に反射し
て、美術品のような美しさを生み出している。そしてその白き翼は、光の輝きを吸収し、奇跡を生
み出すための力を作り上げている。
 その操縦席。前方の座席に座るガーネットが、ダークネス本体の操縦を担当し、後方の座席
に座っているニコルが、ウイング部分の調整と制御を担当する。
 トゥエルブとの相性もさる事ながら、このモビルスーツは二人のパイロットの呼吸が完全に一致
しなければ、動かす事さえ出来ない。だが、その点に関しては二人は心配していなかった。
 かつての宿敵。
 今は、この世界で一番大切な人。
 この人を信じずに、一体誰を信じろというのだ?
 ガーネットは信じていた。ニコルの強さと優しさを。
 ニコルも信じていた。ガーネットの技量と魂を。
 ならば、恐れるものなど何も無い!
「チェック完了、システム、オールグリーン。いつでも行けるわよ」
 無線機からのエリカ ・シモンズの声。
「オーケー。けど、≪ドラグレイ・キル≫ぐらい持たせてほしかったね」
「文句を言わないの。ちゃんと直して、新しい≪ドラグレイ・キル≫を見せてあげるわ。楽しみにし
てなさい。だから、絶対に生きて帰って来るのよ」
 整備主任らしい励ましの言葉だ。
「ああ、分かったよ」
「了解です」
 準備は全て整った。そして無線越しに、
「ガーネットさん、ニコル、二人とも気を付けて」
 キラが、
「アークエンジェルのみんなを助けてやってくれ。お前たちも、無事に帰って来いよ!」
 カガリが、
「お姉様、ニコルさん、ご武運を」
 ラクスが、
「ニコル、お前ならやれるはずだ。ガーネットを守ってやれ」
 イザークが、
「ガーネット、絶対に無事に帰ってきなさいよ!」
 フレイが、
「二人とも、頑張って!」
 エリナが、
「若者たちよ、頑張りたまえ。さすれば、必ず結果はついてくる」
 ウズミが、
「ガーネットお嬢さん、アルベリッヒ博士の遺産の力、信じてやってください。そうすればきっと、ダ
ークネスはお嬢さんたちに応えてくれます」
 ホウジョウが、そして、
「ガンバレ、ガーネット! ガンバレ、ニコル! ハロモガンバル!」
 ビンクちゃんも励ましの言葉を送ってくれた。
「ああ、みんな。行ってくるよ。そして必ず帰って来る。アークエンジェルと一緒にね」
「僕もそのつもりです。皆さん、行ってきます」
 仲間たちにしばしの別れを告げた後、二人はお互いの顔を見合い、
「それじゃあ、行こうか、相棒(ニコル)!」
 ガーネットが叫び、
「はい、ガーネットさん! どこまでも一緒です!」
 ニコルが答える。微笑みあう二人。そして、
「ガーネット・バーネット!」
「ニコル・アマルフィ!」

「「ダークネス、出る!」行きます!」

 二人の声が重なり、ダークネスの白き翼が開かれた。そして、一気に天高くまで上昇し、太陽
の光を存分に浴びる。
「太陽光エネルギー、充電完了!」
「よーし、飛ばすよ! エクストリーム・モード!」
「了解!」
 ダークネスの白き翼が、黒きボディを包み込む。これがダークネスの超高速飛行形態、エクス
トリーム・モードだ。
「発進!」
 ニコルが操縦桿を前に倒すと、ダークネスは音速の壁を越え、北の大地を目指す。その姿、ま
さに白き流星。
 「闇」を名乗りし希望の翼。愛し合う二人の勇気と願いをその身に宿し、今、大空を飛ぶ!

(2003・9/13掲載)
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