第8章
 引き裂かれた絆

 旧ネパール王国、ヒマラヤ山脈。『世界の屋根』という異名に相応しい、天にも届くほどの高山
が集うこの地は、今、早朝の霧に包まれていた。
 地元の住人ですら「こんなに濃い霧は初めてだ」と呟くほどの濃霧の中に、巨人の影が浮かび
上がる。左腕にドリルを取り付けた漆黒の機体。ニコルのブリッツだ。その隣には、ザフトの空
中戦用モビルスーツ、ディンが四機。白と灰色に塗られた、隊長のクルーゼ専用機もある。
 モビルスーツたちの足元にはテントが張られており、クルーゼ率いるガーネット追撃隊の仮設
基地となっていた。
 インド洋の潜水艦隊との定時連絡を終えたクルーゼは、テントの外に出た。もの凄い濃霧だっ
た。白い闇、といっても過言ではない。
「クルーゼ隊長」
 霧の中から、ニコルがやって来た。が、霧が濃すぎて顔がよく見えない。肩と肩が触れ合うほ
どの距離になって、ようやくお互いの顔が見えた。
「おはようございます。定時連絡は終わったんですか?」
「ああ。あちらのレーダーによれば、ガーネットの輸送艇に動きは無い。まだ、このヒマラヤのど
こかに潜んでいるようだ」
「そうですか。けど、悔しいですね。せっかくここまで追い詰めたのに、この霧のせいで…」
 ザフトのレーダー網を掻い潜り、この地にやって来たガーネットたちを発見、攻撃したのが昨
日の夜。飛行能力を持たないガーネットのシャドウに対し、クルーゼ隊はディンを中心としたMS
部隊で攻撃(ニコルのみ飛行ユニット・グゥルに乗り、ブリッツで出撃)。二機落とされたが、それ
でもあと一歩のところまで追い詰めた。しかし、突如発生したこの霧のせいで、見失ってしまった
のだ。
「確かに、この霧はやっかいだ。だが、それはあちらも同じ事だ。いくらナビゲーションシステム
が優れているとはいえ、これほど深く濃い霧の中を、しかもこのヒマラヤの険しい山地を飛ぶな
ど自殺行為だ。霧が晴れるまではこちらも動けないが、向こうも動けん。いくらか薄くなるまで待
とう」
「…………」
「不服そうだな」
「いえ、隊長の判断は正しいと思います。ただ、僕は一刻も早く、あの女を仕留めたいのです」
 それは、ニコルが自分自身に言い聞かせてきた言葉だった。
 シンガポールでの出会いの後から、ニコルの心の中でガーネット・バーネットという女性の存在
は、日に日に大きくなっていた。それは「憎い敵」というだけではない。あまりに陳腐で暖かく、そ
して、一歩間違えば自分の死に繋がる、危険な感情だった。
 この危険すぎる感情を消し去る方法は唯一つ。ガーネットの死だけだ。ニコルは追った。ガー
ネットを執拗に追い続けた。そして五日間の大追跡の末、ようやくこの地にまで追い詰めたのに
「自然」という思わぬ強敵に阻まれてしまった。
 イライラする。早く、あの女を殺したいのに。殺さなければならないのに。
「? あの音は…」
 遠くの方から何やら喧しい音が聞こえてくる。キャタピラの駆動音だ。
「ふむ。あの三人が戻って来たか」
 不適に笑うクルーゼに対して、ニコルはますます不機嫌になる。霧の中から、キャタピラで走る
四本足のモビルスーツ、バクゥが一機現れた。全身を白一色に染め上げた、四本の牙を持つ特
注のバクゥ。続いて空から、ノーマルカラーのディンが二機降りてきた。
「クルーゼ隊長、ロディア・ガラゴ、ただいま戻りました!」
 白いバクゥのコクピットから、元気の良い少年が現れた。
「ルミナ・ジュリエッタ、ただいま帰還しました」
「はーい、カノン・ジュリエッタも、ただいま帰還しましたー!」
 二機のディンからは、落ち着いた感じの少女と、やや浮ついた少女が現れ、返事をした。二人
とも同じ顔をしている。双子のようだ。
「うむ。地球の重力下には慣れたかね?」
「OK,OK! もうバッチリだぜ! 昨日は出番が無かったけど、今度こそあの女を俺のバクゥ、
いや、ビャッコで引き裂いてやる!」
「私たちも問題ありません。いつでも行けます」
「姉さんと同じー。けど、いくら慣れても、肝心のガーネット先輩が見つからないんじゃ、意味無い
よねー」
「確かに、その通りだな」
 頷くクルーゼ。敬語ゼロのカノンを咎めようともしない。それだけ、この連中の実力を買ってい
るという事か。
「同門の出としては、一刻も早く始末したいのだろうが、もう少し待ちたまえ。彼女は必ず動き出
す。必ず、な」
 クルーゼは確信していた。彼は一流のパイロットにして狩人。追い詰められた獲物の心境は、
手に取るように分かる。
『だが、追い詰められたネズミは、猫にも噛み付く。ゴールド・ゴーストのバカどもが補給に手間
取っている今、ガーネットを追い詰める役は、この無礼な連中が適任だろう。死んでも惜しくない
しな。それに…』
 クルーゼは、隣にいるニコルを見た。鋭い眼でロディアたちを睨んでいる。ライバル意識、剥き
出しだ。
『この世間知らずのお坊ちゃまもいる。手駒は充分揃っている。確実に追い詰めて、そして、とど
めは私が刺す』
 彼にとって全ての人間は、目的達成の為の道具に過ぎない。友人(?)の教え子だろうが、直
属の部下だろうが、利用できる者は骨の髄まで利用する。それが、ラウ・ル・クルーゼという男だ
った。



 霧に包まれた山脈の奥深く、獣でさえ近づかない秘境と呼ぶべき領域。そこにマチルダは隠さ
れていた。だが、ここまでの激しい追撃でローターもコンテナも、いや、機体のほとんどが傷つい
ている。
「どう、直りそう?」
 ガーネットが、エンジン部分の修理をしているアキナに訊く。振り返った彼女の眼の下にはクマ
が出来ている。ここに隠れてから一晩中、機体の修理を行っているのだ。
「大丈夫よ。どこも大した故障じゃないから、何とかなるわ。けど、もう少し時間が必要ね…」
「霧が晴れるまで、まだ時間がある。完全に直してくれ」
「ええ。けど、霧が晴れる前にザフトに見つかったら…」
「見つかったら、私たち終わりね。ガーネット、何か手は無いの?」
 さすがのフレイも、この状況では不安を隠せないようだ。声に力が無い。
「……………………」
 ガーネットは考える。ディンの十や二十なら、彼女一人で何とかなる。だが、敵には腕を上げた
ニコルや、クルーゼがいる。それにクルーゼの事だ。昨日の戦闘で手の内を全て晒したとは思
えない。何か、切り札を持っているだろう。
「手は無い。けど、何とかする。必ずここを切り抜けて、私たちみんなで、アフリカに行くんだ」
 ガーネットの力強い言葉にアキナは頷き、フレイも少し表情を明るくした。
 マチルダの修理さえ終われば、この深い霧と、山脈の複雑な地形を利用して脱出する事がで
きる。問題は霧と時間だ。霧が晴れる前に修理が終われば良し。だが、もし晴れてしまったら…
…。
『この霧は、そう簡単に晴れるものじゃない。けど、万が一という事もある。霧が晴れても脱出で
きるように、敵の戦力を少しでも削っておくべきだね。危険な賭けだけど……』
 ガーネットは自分の考えをフレイとアキナに伝え、二人にここから動かないように言い含めた。
二人は頷き、ガーネットの出撃を見守る。
 シャドウ起動。巨大槍≪ドラグレイ・キル≫を手にする。
「それじゃあ、行って来るよ」
 コクピットからの拡声器越しの声に、フレイが叫び返す。
「頑張って、ガーネット! けど、死ぬんじゃないわよ! 必ず無事に帰ってきなさいよ!」
「ああ。後は頼むよ、フレイ」
 シャドウが飛ぶ。急斜面の岩肌を登り、巨岩を飛び越え、あっという間に霧の彼方に消えた。
「? 何よアキナ、人の顔をじろじろ見て…。私の顔に何か付いてる?」
「ううん、違うよ。ただ、フレイ、変わったね」
「変わった? 私が?」
「うん。凄く変わった。あ、悪い意味じゃないよ。私は昔のフレイより、今のフレイの方が好き」
 ニッコリ微笑むアキナに、フレイは首を傾げた。
『変わったのかな、私? そりゃあまあ、昔よりコーディネイターが嫌いじゃなくなったけど……』
 父を殺したコーディネイターは憎い。けど、それでガーネットやアキナまで憎むのは違うと思う。
『だって、この二人は私の……』
 この後、ごく自然に浮かんだ言葉に、フレイは少し顔を赤らめた。照れ臭かった。けど、悪い気
分ではなかった。



「隊長! 二時の方向に敵機の反応! ガーネットのストライクです!」
 レーダーを見ていた兵士の報告に、キャンプは色めき立った。
「おっしゃあ! 行くぜ!」
 ロディアが白いバクゥ、ビャッコに乗り、先陣を切る。
「カノン、行くわよ!」
「オッケー、お姉ちゃん!」
 双子のパイロット、ルミナとカノンも、ディンで出撃。
「ガーネット・バーネットは、僕が倒す!」
 ニコルのブリッツも、グゥルに乗って出撃する。兵士たちが乗る三機のディンも、次々に出撃し
た。
「やれやれ。元気な事だ…」
 クルーゼも出撃しようとする。が、レーダー担当の兵士が、奇妙な報告をしてきた。
「? 反応がもう一つ、だと……?」



 名も知らぬ山の麓で、ガーネットは敵を待っていた。深呼吸を一つした後、彼女は覚悟を決め
た。機体のエネルギーが尽きるまで、いや、この命が尽きる時まで、敵を一機でも多く叩き潰
す。そして私は、いや、私たち三人はアフリカに行く。必ず!
「……………………来たね!」
 音響センサーが敵を捕らえた。空からディンが五機。その後には、グゥルの飛行音。ブリッツ
だ。さらに、陸路からも敵が近づいている。
「陸と空から来たか。さすがはクルーゼ、容赦ないね。まあ、いいさ……」
 深呼吸をして、心を落ち着ける。そして、集中。
「トゥエルブ、1番から4番まで起動! 全部落とす!」
 まずは空の敵から相手にする。音響センサーのみで敵機の位置を推測。そして機体の性能の
限界まで大きくジャンプし、ディンの目の前に出現。驚きのあまり、対応できない敵機に≪ドラグ
レイ・キル≫を突き出す。
 ≪ドラグレイ・キル≫の刃は、ディンの頭部を、続いて両腕を貫いた。爆発するディン。シャドウ
はそのまま大地へ落下するが、軟着陸。
 この間、わずか七秒。まさに早業。
「いけない! 各機、散開!」
 ガーネットの恐ろしさをよく知っているニコルが指示を出す。だが、ガーネットの動きの方が速
く、そして正確だった。先程と同じ戦法で、瞬く間に二機のディンを撃墜。
「くっ……。相変わらずの怪物ぶりですね、貴方は!」
 ガーネットの強さをよく知っているニコルでさえ、驚きを隠せない。今日のガーネットは、今まで
とは違う。闘志が、気迫が、生存と勝利への意志が違う。まさに『漆黒のヴァルキュリア』と呼ぶ
に相応しい強さだ。だが、
「さすがにやるわね」
 ガーネットの強さを見ても驚かない者たちがいた。
「そうね。けど、アタシたちには通じないよ。お姉ちゃん!」
「ええ、行くわよ、カノン!」
 ジュリエッタ姉妹のディンが、華麗に舞う。そして濃霧の中に突入、隠れていたシャドウをあっさ
り発見した。
「何! こいつら…!」
 驚きながらもガーネットは、二機のディンの攻撃をかわした。だが、二機は休む事無く、銃で攻
撃する。その射撃は実に正確。霧と複雑な地形に守られているシャドウの動きを、完全に捕らえ
ていた。
『あのディンのパイロットたち、音響センサーの使い方を完全にマスターしている……。まさか、
あいつらもラージ教官の指導を?』
 シャドウの音響センサーが、新たな敵の接近を告げる。敵機の方向に振り返ったシャドウに、
四本の鋭い牙が襲い掛かる!
「ちぃっ!」
 ギリギリでかわす。だが、あと一秒、かわすのが遅ければ危なかった。
 霧を挟んで、睨みあう二機。白いバクゥと黒いストライク。
「白いバクゥ……。『ホワイト・バーサーカー』、ロディアか。久しぶりだね」
 ガーネットは通信を送った。通信コードは、ラージの教え子たちに伝わる極秘のコードだ。
「ぎゃはははははっ! ああ、ホントに久しぶりだな、ガーネット。養成学校の卒業式以来か。ま
さかテメエと戦り合えるとは思ってもみなかったぜ」
 ガーネットとロディア。二人は二年前、ザフトのパイロット養成学校で、ラージ・アンフォース教
官の下でモビルスーツの操縦を学んだ仲。いわば同門だ。成績は常にガーネットが一位、ロディ
アが二位。
「ラージ教官には、同級生として裏切り者のお前が許せないから俺を地球に送ってください、って
言ったけどな。俺はお前が裏切ってくれて、嬉しいんだぜ。これでお前を殺しても、誰も文句は言
わねえからな!」
 ロディアの剥き出しの殺意が、ガーネットにも伝わってきた。相変わらず不愉快な、そして自分
勝手な男だ。だが、たとえ相手がかつての同級生であろうと、負ける訳にはいかない!
「あら、二人で何をコソコソと話しているの?」
「あー、ズルイ! アタシたちも混ぜて、混ぜて!」
 上空のディンからも通信が入った。
「あんたたちも、ラージ教官の…」
「ええ。ルミナ・ジュリエッタです」
「カノン・ジュリエッタでーす。よろしくねー」
 ジュリエッタ姉妹の名は、ガーネットも聞いた事がある。ガーネットたちが卒業した後、ラージ教
官の教え子になった双子の姉妹。双子ならではの完璧なコンピネーションで、多くの連合軍パイ
ロットを撃破してきた『双翼の死天使』。
「ラージ・ゼミのトップ3が、テメエを殺しに来たぜ。覚悟しな、ガーネット! 養成学校時代のよう
にはいかねえぞ!」
「我が師、ラージ・アンフォースの名を汚したその罪、死をもって、償ってもらいます!」
「そーそー。そうすれば、ザフト最強の女性パイロットの称号は、アタシたちのものになるわ。待
っててくださいね、愛しのアスラン様。貴方を裏切ったクソ女は、アタシがきっちり殺しますから。
とゆー訳で先輩、アタシの素晴らしき愛の為に死んでちょーだい!」
 白いバクゥと二機のディン、攻撃再開。さらに、
「僕だって!」
 ブリッツのドリルが襲い掛かってきた。
「ニコル!」
「ガーネット・バーネット! 貴方は僕が倒す、絶対に!」
「けっ、引っ込んでろよ、お坊っちゃま! ガーネットは俺の獲物だ、俺がブチ殺すんだ!」
「師の名誉の為に、ザフトの為に、ガーネット、お前を倒す!」
「あははははー。お姉ちゃん、カッコイー。じゃあアタシは、愛の為にお前を倒すよー! ガーネ
ット!」
「ったく、うるさい後輩どもだ……!」
 霧の中で、四対一の激闘は続く…………。



 その頃、ガーネットが戦っている場所とは正反対の位置にある山道を、一台のバギーが走って
いた。
「うっ、うわああああ!」
 険しい山道を、はっきり言ってヘタクソな運転で走っているのは、フレイ・アルスターだった。
「もう、何て走りにくい道なのよ! けど、頑張らないと…」
 フレイは、バギーの後部座席を見る。そこには、巨大な発信機が積まれていた。モビルスーツ
と同じ信号を出すこの装置はオーブ製で、主に敵の撹乱用に使われている。
 ガーネットの強さは知っている。けど、それでも敵の大軍と正面から戦うのは無謀だし無茶だ。
また、敵にマチルダが見つかる可能性もある。
 敵の目をごまかし、ガーネットに向かう敵を一機でも少なくする為、フレイはこの作戦を思いつ
き、実行した。ガーネットからは「マチルダの側から離れるな」と言われているが、じっとなんてし
ていられない。ガーネットもアキナも頑張っているのに、私だけ何もしないなんて……。
 アキナは反対した。帰ってきたら、きっとガーネットにも怒られるだろう。
 けど、それでもいい。
 彼女を助けたかった。
 彼女の力になりたかった。
 その一心で、バギーを走らせた。気が付けば、マチルダからはずいぶん離れていた。が、敵は
来ない。
「…………見抜かれたのかしら?」
 だとしたら、ずいぶん、いや、かなりマヌケな話だ。
「ハァ。何やってるんだろ、私……」
 作戦を思いついた時は、「私って、もしかしたら天才?」とか「これでガーネットを助けられる
わ!」と考えたのだが、よく考えれば、プロの軍人が、こんな単純な作戦に引っかかる訳ない。
「帰ろ」
 車を方向転換しようとしたその時、
「! あ、あれは……!」
 白と灰に塗られたディンが、上空を飛ぶ。そして、フレイの前に降りてきた。
「くっ……!」
 バギーをバックさせようとするが、途端にディンのライフルが火を吹いた。バギーのすぐ後ろの
道に大穴が空いた。
「動くな。動けば、命は無い」
 ディンから男の声が発せられた。
「えっ……?」
 ディンのコクピットが開き、銃をこちらに向けたパイロットが出てきた。その顔は仮面で隠されて
いる。
「ふん。恐らくこんな事だろうと思ったが……。ガーネット・バーネットも下らん手を使う」
 男の声は、フレイの聞き覚えのある声だった。そしてそれは、忘れかけていたコーディネイター
への憎悪を呼び覚ます悪魔の声。
「パ…パ……?」



 霧が少しずつ晴れてきた。雪に包まれた山々を、太陽の光が暖かく照らしている。
 四対一の戦闘は、まだ続いていた。
「しつこいよ、あんたたち!」
 シャドウが白バクゥ、ビャッコに≪ドラグレイ・キル≫を突き出すが、空を切る。
「へっへーん、はーずれ」
 あざ笑うロディア。相変わらず、避けるのは上手い。
「私たちもいるわよ、ガーネット!」
「忘れちゃダメダメー!」
 ルミナ、カノンの攻撃。ルミナ機の射撃で体勢を崩したシャドウに、カノン機がサーベルで切り
込む。
「なめるな、後輩!」
 ガーネットは瞬時にカノン機の突撃コースを読み、まるでハエタタキのように槍を奮い、カノン
のディンを弾き飛ばす。
「きゃああああ!」
 吹っ飛ばされたカノン機は、ルミナ機に助けられた。
「さすがにやりますね。けれど!」
 ブリッツの攻撃。三本の有線式ドリル、≪ケルベロス・ファング≫が三方向から同時に襲い掛
かる。
「甘いよ、ニコル!」
 ≪ドラグレイ・キル≫を一振り。一撃で全てのドリルを払い落とした。そして、
「ガーネット、死ねやあああああ!」
 背後から襲ってきたロディアのビャッコをかわし、横から飛び蹴り一発。ビャッコを山肌に叩き
付けた。
「ぐわあっ!」
 その後もシャドウは、ルミナの正確無比な射撃をかわし、逆襲に来たカノンのディンの腕を切り
落とすなど、数の差をものともしない活躍。倒すどころか押され気味のニコルたちには、段々と
疲労の影が見えていた。
『ハア、ハア、ハア……。クソッ、何なんだ、この女は。養成学校の時とは、全然違うぞ……』
『強い……。これが、ザフト最強の女性パイロットの実力なの?』
『負けたくない。アスラン様の為にも、絶対に負けたくない! けど、コイツ、ちょっと強すぎ……』
『ガーネット・バーネット……。貴方は、どうしてそこまで強いんですか。追いかけても、追いかけ
ても、全然追いつけない!』
 苛立ちと疲労が、四人のパイロットの戦意を少しずつ奪っていった。だが、実はガーネットの方
が疲労は激しかった。
「うっ……くっ…………」
 その原因はトゥエルブ・システムだ。戦闘開始時からずっと使用しているのだが、既に二十分
以上が経過している。いくら使い慣れてきたとはいえ、ここまで長時間、トゥエルブ・システムを使
った事は無い。肉体的にも精神的にも、もう限界寸前だ。
『修理の為の時間稼ぎも、そろそろ限界か……。一気に仕留めたいところだけど、こいつら、思
った以上にやる。どうする?』
「ガーネット!」
 通信機から、待ち望んでいた友の声が発せられた。
「アキナ……か。そっちの様子は…?」
「エンジンの修理は終わったわ。マチルダは飛べる。けど…」
「けど?」
「フレイが…」
 アキナが次の言葉を言おうとしたその時、
「そこまでだ、ガーネット・バーネット」
 上空からの声。白と灰色に塗られたディンがいる。
「ラウ・ル・クルーゼ!」
「部下が随分と世話になったようだな。さすがは『漆黒のヴァルキュリア』、相変わらずの凄腕
だ。だが、それもここまでだ。モビルスーツのカメラで私のディンを見たまえ。興味深いものが見
られるぞ」
「?」
 言われたとおり、シャドウのカメラをクルーゼのディンに向ける。コクピットのハッチが開かれて
いる。中にいるのはクルーゼと…、
「! フレイ!」
 手足を縛られ、さるぐつわを噛まされたフレイがいた。首を左右に振っており、生きてはいるよ
うだ。
「そんな、フレイがどうして…」
「ガーネット、フレイがそこにいるの!?」
「アキナ……。あ、ああ、フレイが敵の隊長に捕まってる。けど、一体どうなっているんだ? 何で
フレイがあそこにいるんだ?」
「ああ、何て事…。あの時、もっとちゃんと止めておくんだった…」
 アキナは、フレイの作戦を手短に伝えた。
「フレイはあなたの力になりたかったの。友達を助けたかったのよ。お願い、ガーネット、フレイを
助けて!」
「もちろんそのつもりだ。けど…」
 どうすればいい? 肉体の疲労は限界、シャドウのエネルギーも付きかけている。今の私では
どうする事もできない。せめて仲間が、キラやフラガ少佐がいてくれれば……!
「降伏したまえ、ガーネット。これ以上、無駄な抵抗を続けた場合、または逃亡した場合、人質の
お嬢さんはどうなるか……。保障はできんぞ」
 そう言ってクルーゼは、コクピットのハッチを閉じた。助けを求めるフレイの眼が、あまりに重
く、哀しい。
「あははははははっ! さすがラウ・ル・クルーゼ! 勝つ為には手段を選ばない、その非情ぶ
り! いいねえ、好きだぜ俺、こういうの!」
 クルーゼの作戦を褒め称えるロディア。一方、
「下らない手を使うわね…」
「はっ……。アタシ、なんか、ちょっと冷めちゃった。あとは勝手にやればー?」
 と、ジュリエッタ姉妹は半ば戦闘放棄。そして、
「隊長! 人質なんて、あまりに酷すぎる作戦です! 名誉あるザフトの軍人のやる事では…」
「ニコル。では、名誉を重んじれば戦争に勝てるのかね?」
「えっ…」
「戦争とは、勝つ事が全てだ。負ければ何も手に入らない。何も守る事ができない。故に、いか
なる手を使ってでも、勝たねばならんのだよ。我々、軍人はね」
「……………」
 それは、その通りだ。けれど……。
「……くっ!」
 突然、ニコルのブリッツが、ガーネットのシャドウに襲い掛かった。
「何!」
 動揺していたガーネットは、完全に不意を突かれた。ブリッツはシャドウの懐に飛び込み、ガシ
ッと組み合う。
「ニコル、何を勝手な事をしている!」
 クルーゼの声を無視して、ニコルは接触回線でシャドウに、ガーネットに話しかけた。
「逃げてください」
「なっ…」
「勝利が全て、という隊長の考えは、間違っていないと思います。戦争は、勝つ為にやっている
のですから。けど、それでも僕は納得できません。勝つ為なら何をしてもいい、というのは、違う
と思います。それに何より、貴方との戦いをこんな形で決着を着けたくありません!」
「ニコル……」
「だから、今は逃げてください。他のみんなは貴方を追う余力は無いし、クルーゼ隊長も一機だ
けで貴方を追うような無謀な事はしないでしょう。今なら逃げられます。さあ、早く!」
「…………けど、フレイが!」
「動きが鈍っている今の貴方では、彼女の救出は無理です! ここは退いてください!」
「………………」
「フレイさんは、きっと大丈夫です。貴方の友達、という利用価値がある以上、クルーゼ隊長も殺
したりしません。もし、隊長がフレイさんを殺そうとしたその時は、僕が彼女を守ります。絶対に」
 ニコルは本気だった。信頼できる言葉だった。
「…………………………………………」
 悩んだのは一瞬。結論はもう出ている。あまりに苦しい結論だが。
「アキナ、マチルダを発進させな。ここから離脱する」
「! ガ、ガーネット! けど、それじゃあフレイは…」
「言うな!」
 アキナの言葉を無理やり止めた。何も言わせなかった。そしてガーネットも、それ以上、何も語
らなかった。
 友達を見捨てる。心優しき二人の少女にとって、それはいかなる地獄の責め苦にも勝る究極
の苦痛だった。だが、二人はこの苦痛に耐えねばならない。生き延びるために。そして、いつか
必ず、囚われた姫君を助ける為に。



 シャドウを収容し、飛び去っていくマチルダの後姿を、クルーゼは黙って見送った。ロディアが
「追撃させろ!」と喚いていたが、無視した。たった一機で怒り心頭のガーネットに挑むほど、ク
ルーゼも馬鹿ではない。
「見捨てられたな」
 クルーゼは傍らの少女に話しかけた。さるぐつわをされたフレイは、言葉を返せない。だが、そ
の眼は言葉以上にフレイの心境を語っていた。そして、こういう眼がクルーゼは大好きだった。
人間が持つ感情の中でも最も尊く、素晴らしい感情を宿した眼が。
「君の友達は、君より自分の命の方が大事らしい。それにしても、命がけでオトリ役をやってくれ
た君をあっさり見捨てるとは。我々ザフトでもやらない、卑劣な行為だ。いやはや、大したものだ
よ」
 父と同じ声で発するこの男の言葉は、フレイの心の片隅に刻み込まれた。今のフレイは、たと
え悪魔の言葉にでも耳を傾け、信じるだろう。
 人間が持つ感情の中でも最も尊く、素晴らしい感情、『絶望』に囚われた今のフレイなら。
「君の事など、どうでもいいのかもしれんな。ガーネット・バーネットは。友達だと思っていたのは
君の方だけだったのかもしれんぞ」
 その言葉で、フレイの心に黒い炎が灯された。
 かすかに感じていた友情は、自分を見捨てた者への怒りに変わった。その凄まじき怒りを胸
に、少女は変貌する。
 ただ一人の死だけを望む、哀しき死神に。

(2003・7/19掲載)
第9章へ

鏡伝目次へ