第9章
 デストラップ

 ヒマラヤでガーネットに逃げられたクルーゼ隊は、インド洋まで出て、潜水艦隊と合流。彼女の
逃走ルートを予想し、後を追っていた。
 あれから二日。潜水艦隊はアラビア半島を越え、紅海に入っていた。そしてついに、地上の偵
察部隊から「砂漠でガーネットの飛行艇を発見した」の報がもたらされた。そこはクルーゼが予
想した逃走ルートと、ほぼ一致していた。
「捕まえたぞ、ガーネット」
 仮面の下でクルーゼは微笑した。ついに獲物を追い詰めた。あとは狩り立てるだけだ。既に手
筈は整っている。
「隊長! どうして僕は待機なんですか!」
 出撃を前にして、ニコルが叫ぶ。クルーゼは苦笑して、
「理由は言うまでもないと思うがね、ニコル・アマルフィ。ヒマラヤでの失態、私からの信頼を失わ
させるには充分だと思うが」
「! そ、それは……」
「君はガーネット嬢に入れ込みすぎている。冷静な判断が出来なくなっていると思われても仕方
ないだろう」
 そう言われては、ニコルに返す言葉は無い。確かに、彼のガーネットに対する拘りは、誰が見
ても、少し度が過ぎている。ヒマラヤでの失態(しかも故意)も、その拘りによるものだ。
「冷静に物事を判断するためにも、しばらく、彼女から離れた方がいい。これ以上の恥の上塗り
は、お父上の立場にも影響する事になるぞ」
 厳しい言葉だった。プラント評議会議員の父の名を出されては、ニコルも従うしかない。
「我々が出ている間、君には囚われの姫君の相手でもしてもらおうか。どうやら彼女とは顔見知
りのようだしな」
 ニヤリと笑うクルーゼ。フレイの事を言っているのだろう。
 この潜水艦に連れてこられて以来、フレイは牢獄に閉じ込められていた。軍属でないとはい
え、地球軍の軍人であるガーネットに協力していた彼女は、後日ジブラルタルに送られ、裁判に
かけられる予定だ。
 顔見知りだとクルーゼには言われたが、ニコルがフレイに会ったのはシンガポールでの一度
だけだ。あの時のフレイは、少し口うるさいけど、ガーネットたちと仲の良い、明るい女の子だっ
た。だが、今の彼女は牢獄の中で暗く沈んでおり、誰が話しかけても答えないし、目も合わせよ
うとしない。
 結局、ニコルは潜水艦に残留。クルーゼ、ロディア、ジュリエッタ姉妹たちの出撃を見送る事に
なった。
「君には悪いが、今度こそ彼女を仕留める。一般人を人質にするなどという無様な方法を使わな
くともな」
 出撃前、自信と皮肉を混ぜながらクルーゼが放った言葉が、ニコルの心に陰を落としていた。
慎重なクルーゼが、あそこまで自信たっぷりに断言するという事は、余程の作戦を用意している
という事だ。己の知力と技量の全てを駆使して、本気でガーネットを殺すつもりだ。
 実際、ガーネットの抹殺はザフトにとって急務だった。彼女が合流しようとしているアークエンジ
ェルは、先日、アフリカ方面のザフト軍で最強と噂されていたアンドリュー・バルトフェルドの部隊
を撃破。その際に『砂漠の虎』と謡われたバルトフェルドも戦死したらしい。
 地球に降下し、ジブラルタル基地に駐留しているイザークとディアッカからの連絡によれば、地
元のレジスタンスの力を借りたとはいえ、敵は尋常ならざる強さだったそうだ。もし、今のアーク
エンジェルにガーネットが合流したら、地球軍最強の部隊、つまりザフトにとって最悪の敵となる
だろう。それだけは避けねばならない。何としても、合流前にガーネットを始末しなければならな
い。彼女の死はプラントの平和の為に必要なのだ。だが……、
『本当にいいのだろうか? 彼女を殺す事で、本当に平和が来るのだろうか?』
 ヒマラヤでの戦闘以来。ニコルは自分にそう問い続けていた。だが、答えは出ない。いや、こ
の疑問に答えを出してはならないのかもしれない。



 熱風と黄砂吹き荒れるアラビアの大砂漠。紅海を目前にしたその地で、ついにマチルダは力
尽きた。ヒマラヤでの戦闘で受けた傷はかなり大きなもので、ここまで飛べたのが奇跡と言って
いい。
 アキナが懸命に修理しているが、修理に必要な部品が足りない。新たな部品を調達しように
も、ここは砂漠のど真ん中。地図とレーダーで調べてみたが、一番近い町までは、モビルスーツ
を使ってもかなりの時間がかかる。当然、その隙を逃すザフト、いやクルーゼではないだろう。
 マチルダを捨てるか、ここに留まりクルーゼの部隊を迎え撃つか。決断の時だった。
「アキナ、連合軍に救難信号を出しといて。最大出力でね」
「え、でもそんな事をしたら、ザフトにも見つかるんじゃ…」
「構わないさ。どうせ私たちがここにいる事は、クルーゼも知っている」
 あの男の事だ。マチルダの損傷具合と、こちらがレーダーを避ける為の飛行航路を計算し、マ
チルダがこの辺りで墜落する事も予測しているだろう。今頃は追撃部隊を率いて、こちらに向か
っているはずだ。抜群の機動力を誇るディンやバクゥが相手では、この場を離れてもすぐに追い
つかれる。ならば、ここで迎え撃つしかない。
「ちょうどいい。ヒマラヤでの借りは返させてもらうよ、ラウ・ル・クルーゼ!」
 ストライクシャドウに乗り込み、戦闘準備を整えるガーネット。だが、意気盛んな彼女の様子を
見て、アキナは何か不吉なものを感じていた。それは不安と心配、そして、追い詰められた『獲
物』がごく自然に感じる、わずかな絶望感から生まれたものだった。そして、彼女の予感は、現
実のものとなる。
「来たね……!」
 空からはディンが5機。クルーゼの機体もある。当然、ジュリエッタ姉妹もいるだろう。そして、
砂漠の地平線の彼方からはバクゥが3機。その内の一機は白く染められている。ロディア・ガラ
ゴの機体だ。
「アキナ、あんたはマチルダの中に隠れてな!」
「う、うん、気を付けてね、ガーネット…」
 アキナを見送った後、シャドウは敵群に向かって、≪ドラグレイ・キル≫を構える。そして、
「…………行くよ!」
 加速し、突撃。標的はバクゥの部隊だ。
「あはははははっ! バカが、自分から死にに来やがったか!」
 ロディアのバクゥ、ビャッコが噛み付こうとする。が、シャドウはあっさりとかわして、≪ドラグレ
イ・キル≫を一閃。まずはビャッコの後ろにいた一般兵のバクゥを一機、胴体を貫いて仕留め
る。
「まず、一つ!」
 続いて、後方を振り返ると同時に≪アーマーシュナイダー≫を取り出す。そして、距離を取ろう
としたもう一機のバクゥに向かって、投げる。鋭いナイフはバクゥのモノアイに突き刺さり、視界を
失って混乱しているバクゥの四本足を≪ドラグレイ・キル≫で切り捨て、戦闘力を失わせる。
「二つ!」
 空からの砲撃。クルーゼのディン部隊だ。いずれも正確な射撃、特にジュリエッタ姉妹の射撃
は正確で、シャドウの機体スレスレにまで迫るものだった。しかしシャドウはそれを全てかわし
て、バーニアを全開。ディンのいる高度までジャンプして、一般兵のディン二機をあっさり撃破し
た。
「これで半分! あと、四つ!」
 残り四機。だが、残った連中はいずれも名の知れた凄腕パイロットばかり。これからが本当の
戦いだ。
「いくよ! トゥエルブ、1番から…」
 瞬間、背中に強烈な一撃。
「うわあああっ!」
 地に伏すシャドウ。好機と見たロディアのビャッコが襲い掛かるが、すぐに起き上がり、これを
かわす。と同時に、またも衝撃。
「くっ! 一体、どこから?」
 カメラやセンサーを総動員するが、クルーゼたち以外の敵機の反応は無い。
「バカな……。アキナ、マチルダのレーダーに反応は?」
「ダ、ダメ…。反応、無し…」
 マチルダの高性能レーダーにも反応が無いとは、相当の遠距離からの攻撃という事か。ある
いはレーダーの電波を吸収する特殊な装備を使っているのか?
「戦場で動きを止めるとは、随分と余裕があるな、ガーネット・バーネット!」
 クルーゼ機の攻撃。ジュリエッタ姉妹以上に正確な射撃が、シャドウの右肩に命中した。
「うぐっ!」
 さらに、
「うあっ!」
 またも背後から正体不明の衝撃。
「ほらほら先輩、ボーッとしてんじゃないわよ!」
「私たちがいる事を、忘れてもらっては困るわ!」
 間髪いれず、ジュリエッタ姉妹のディンが絶妙なコンビネーションで攻撃。さらに、ロディアのビ
ャッコも牙を光らせ、襲い掛かる。
「ぎゃはははははっ! 死ね、死ね、死んじまいな、ガーネット!」
「ちっ……!」
 息も付かせぬ波状攻撃。さすがのガーネットも、かわすのが精一杯だ。その上、またも正体不
明の衝撃。シャドウの装甲がPS装甲でなければ、確実に破壊されている。
『くっ、こちらの視覚外、レーダーの範囲外からの超遠距離射撃か……。それも、もの凄い腕の
持ち主だ。一体、誰が…』
 その時、ガーネットの頭に瞬時にある連中が浮かび上がった。黄金のジンを操る、恐るべき亡
霊たち。
「奴らもいるのか…!」
 一方、空のクルーゼは不適に微笑んでいた。当初の作戦通り、獲物は網に掛かった。だが、
まだ仕留めるには早い。まずは確実に逃げ道を塞ぐとしよう。
「待たせたな。存分に暴れるがいい」
 亡霊たちは、その一言を待っていた。砂の中から現れた三体のジンは、レーダーの電波を吸
収する特殊繊維性のマントを脱ぎ捨てた。現れたのは、悪趣味なほどに金色な体。
 ゴールド・ゴースト。世界最強とも噂されている地獄の傭兵集団。昨日からクルーゼの指示に
従い、この地に潜んでいたのだ。
「くっくっくっ……。待ちくたびれたぜ! さあ、ぶっ殺してやる、ガーネット・バーネット!」
 フォルド・アドラスの操るゴールドハンマーが先陣を切る。ケン玉を模して作られた≪タイタン≫
の鉄球が、シャドウの鼻先をかすめた。
「逃がさないよ、ガーネット! こっちは一晩も砂漠の中にいたんだからね!」
 続いてサキ・アサヤマのゴールドウィップが、
「ゴールド・ゴーストの名に賭けて、貴様をここで葬る!」
 隊長レオン・クレイズのゴールドクローが襲い掛かる。この攻撃もかわそうとするシャドウだ
が、
「うっ!」
 またも視覚外からの射撃。そして、ゴールドウィップの電磁鞭がシャドウの腕に巻きつき、、ゴ
ールドクローの爪が体を切り裂く。
「うわああああっ!」
 まともに食らった。さらにゴールドウィップの鞭から電撃…を流される前に電磁鞭をナイフで切
り、脱出する。だが、ダメージは大きい。
「くっ……」
 さらに、またも視覚外からの射撃。今度は何とかかわしたものの、ギリギリだった。完全に動き
を読まれている。
 砂漠の地平線の遥か彼方。そこに恐るべきスナイパーはいた。電波吸収マントを纏ったゴー
ルドスナイパーのパイロット、ギアボルトは完全にシャドウの動きを、ガーネットの思考を捉えて
いた。彼女はクルーゼから受け取った今までのガーネットの戦闘データを分析し、ガーネットの
動きのパターンを完全に予測していた。
「焦らない、焦らない……」
 甘すぎる飴玉をしゃぶりながら、ギアボルトは自分に言い聞かせていた。敵機の頑丈さには
少々腹が立つが、相手は既に網にかかった獲物も同然だ。それにクルーゼが用意した『切り
札』もある。焦らず、じっくり料理すればいい。
「前門のゴールド・ゴーストに、後門のクルーゼ隊か……。やっかいだね」
 そう呟くガーネットだが、実際は「やっかい」などというレベルではない。いずれもその名を広く
知られている連中ばかり。こいつら全員を相手にして、今、こうして生きていられる方がおかしい
のだ。
「確かにあんたたちは強い。けど、私もここで死ぬ訳にはいかないんだよ!」
 ガーネットの咆哮にシャドウが、そして≪ドラグレイ・キル≫が応える。敵の攻撃を見事にかわ
し、敵の喉下に≪ドラグレイ・キル≫の鋭い刃を突き立てる。仕留める事は出来なかったが、数
の差をものともしない活躍だ。
「くっ……、やはり、強い!」
「もう、何なのよ、この女は! ホント、ヤな奴!」
 ルミナとカノンのジュリエッタ姉妹も、
「ったく、ちょこまかと! その諦めの悪さは、養成学校時代(むかし)からちっとも変わってねえ
な、ムカつくぜ!」
 ロディアも、
「隊長、上です!」
「ええい、この砂漠でここまで動けるとは!」
「このバケモノ女が! さっさと死ね!」
 サキ、レオン、フォルドらゴールド・ゴーストの連中も、焦りの色を隠せない。今のガーネットは、
それほどの強さだった。トゥエルブを起動させなくても、歴戦のエースパイロットたちを圧倒してい
る。彼女は自分でも気付かない内に、凄まじいまでに腕を上げていたのだ。
 だが、それほどの凄腕になったガーネットを恐れず、あざ笑う者がいた。上空から戦況を観察
しているクルーゼだ。
「確かにお前は強いよ、ガーネット・バーネット。だが、『それだけ』だ」
 今のガーネットは、例えるならライオンや虎のような猛獣だ。猛獣は確かに強い。人間より遥
かに強い。だが、彼らはこの地球の覇者たる生物にはなれなかった。人間に住む場所を追わ
れ、かろうじて生き延びている存在だ。人間には、猛獣の牙や爪を上回る武器がある。神の領
域にまで迫る『知恵』という名の武器が。
「頃合だな」
 クルーゼは懐から小さな機械を取り出し、そのスイッチを押した。
 同時に、砂の中から何かが空へ飛び出した。直径4、5メートルほどのボール状の機械だ。謎
の機械は上空50メートルほどまで上昇したところで逆噴射、戦場の真上で待機した。
「! あれは…。カノン、下に降りるわよ!」
「えっ、もうアレを使うの? ヤバいわね。降りよ、降りよ!」
 ルミナとカノンのディンが砂漠に降下する。クルーゼのディンも、二人の後に続いた。
「これからバアルを発動させる。全員、備えろ」
 ロディアやゴールド・ゴーストの面々に通信を送った後、クルーゼはもう一度、手元の機械のス
イッチを押した。
 同時に、上空のボール状の機械が複雑に変形。そして、肉眼でもはっきり見えるほどの稲妻
が放射された!
「なっ!」
 謎の稲妻はその場にいた全てのモビルスーツに襲い掛かり、次々と餌食にした。ガーネットは
逃げようとするが、さすがのシャドウも稲妻のスピードには敵わない。まともに食らった!
「うわあああああっ!」
 凄まじい衝撃の後、暗闇がガーネットを包み込んだ。照明、操縦系統、レーダーなどの敵の探
査機能、その他、ストライクシャドウの全てのシステムが停止してしまった。PS装甲はかろうじて
作動しているが、危険な状況には変わりない。
 いや、こうなったのはシャドウだけではない。あのバアルと呼ばれる機械から発せられた稲妻
を受けたモビルスーツ全てが同じ状態になっていた。ゴールド・ゴーストのジンも、ロディアのビャ
ッコも、ジュリエッタ姉妹やクルーゼのディンも全て機能を停止していた。
「敵味方の区別も無く、機能停止に追い込むとは。さすがはザフト、面白い物を作るじゃないか」
 皮肉交じりにレオンが呟く。
 バアル。雷を操る伝説の悪魔の名を持つこの兵器は、ザフトが開発したEMP(電磁パルス)爆
弾の試作機である。だが、この兵器には問題点があまりにも多かった。有効範囲が2キロ圏内
と狭く、その効力も敵の機能を一時的に停止させるだけ。しかも、その電磁波は特殊な波長の
ため、ザフトの対EMP装備もまったく役に立たない。つまり、敵味方の区別無く、無差別攻撃を
してしまう。試作品というより、欠陥品といってもいいだろう。
 だが、この欠陥品はクルーゼにとっては利用価値のある兵器だった。彼の獲物であるガーネ
ットは、非常に用心深い。迂闊な罠には掛からない。奴を罠に掛けるには、こちらもある程度の
リスクを犯す必要がある。自分の存在そのものさえ『罠』として、油断させたクルーゼの作戦勝ち
だった。
 とはいえ、クルーゼの機体も動かない。部下たちも同様だ。他から援軍を呼ぼうにも、まだバ
アルの発した電磁波は漂っており、この場に近づいたモビルスーツなどの機動兵器は全て停止
してしまう。長距離ミサイルなども同様だ。敵の動きを封じても、これでは意味が無い。だが、
「うわああああっ!」
 突然の強烈な衝撃に、シャドウが倒れる。この場にいなかったため、バアルの電磁波を逃れ
た唯一のモビルスーツ、ゴールドスナイパーの狙撃だ。指一本さえ動かす事が出来ない今のシ
ャドウに、正確無比なギアボルトの狙撃を避ける術は無い。
 これもクルーゼの罠の一つだった。ミサイルさえ無効化してしまうバアルの有効範囲外からで
も敵を確実に葬れる存在。それは世界最高レベルの腕を誇るスナイパーと、その腕に応えられ
るモビルスーツ、そして電磁波の影響を受けない『実弾』という単純だが強力な武器。
「任せるぞ、ギアボルト。ガーネット・バーネットの首は貴様にくれてやる」
 動かぬ愛機の中でクルーゼは微笑んでいた。ニコルとは違い、彼はガーネットを殺す事(勝利
する事)にそれほど固執していない。クルーゼが欲しいのはガーネットの死、そして、その作戦を
指揮したのが自分だという事実と手柄だけなのだ。
「うわあっ!」
 避ける事も出来ず、防御する事も出来ず、シャドウはゴールドスナイパーの攻撃を受け続けて
いた。次々と放たれる銃弾の前に、ついにシャドウは地に倒れた。それでも、ゴールドスナイパ
ーの攻撃は止まない。なぶり殺しだ。
 その様子を、自分たちの手でガーネットを倒したかったロディアやジュリエッタ姉妹は少し不愉
快な気持ちで、ただひたすらにガーネットの死を望むゴールド・ゴースト隊は喜んで見ていた。
 ギアボルトも喜んでいた。それはレオンたちのような『ガーネットを殺す事』に対する喜びではな
く、『恩義ある隊長に喜んでもらえる』という純粋な喜び、純粋な殺意。



「ガーネット、ガーネット! 応答して! そこから逃げて、ガーネット!」
 マチルダの操縦席から様子を見ていたアキナが、必死に無線で呼びかける。だが、ガーネット
からの応答は無い。バアルの電磁波の影響で無線が使えなくなっているのか、あるいは、無線
機能が破壊されたのか。どちらにしても、最悪の事態だ。
 マチルダはバアルの攻撃範囲外にいたため、何とか無事だ。シャドウを、ガーネットを助けな
ければ。だが、バアルの電磁波を受けていなくても、マチルダはもう飛ぶ事さえ出来ない。何も
出来ないのだ。
「地球連合軍、応答願います! こちらは大西洋連合軍第八艦隊所属、アークエンジェル指揮
下の輸送艇です! 現在、この救難信号の発信地点でザフトの攻撃を受けています。至急、応
援を…」
 最高出力の救難信号と共に、無線で必死に呼びかける。神頼みの奇跡を願うしか、アキナに
出来る事はなかった。自分の無力さが悲しかった。
「!? えっ…。レーダーに、反応…?」
 一瞬、錯覚かと思った。だが、確かにマチルダのレーダーは、こちらに向かって来る機体を捕
らえていた。
「この反応は、モビルスーツ……? えっ、でも、これは…!?」



「うわあっ!」
 十何発目かの銃弾を食らい、シャドウの機体が揺れる。PS装甲も限界に近い。このままでは
やられる。
「クッ! 何とかしないと…」
 激しく揺れるコクピットの中で、ガーネットは懸命に『ある機能』を復旧させようとしていた。音声
入力機能、これさえ直れば……。
「うっ……! また…」
 敵の攻撃は激しくなる一方だ。早く、早く直さないと……。
「…………よし、直った!」
 音声入力機能そのものが破壊された訳ではないので、一部を予備部品と取り替えるだけで直
った。これさえ動けば反撃のチャンスはある。特殊合金製のブラックボックスによって、電磁波だ
けでない全ての外的要因から防御されており、唯一ガーネットの『声』のみに反応する、あのシス
テムさえ使えれば!
「相手が相手だ。ちょっと、覚悟決めるか……。トゥエルブ! 1番から……5番まで起動!」
 未知の領域まで使う事を決意したその声によって、眠れる獅子たちが目を覚ます。シャドウの
指が、頭が、足が、体が動き出した!
「なっ……!」
 クルーゼ以下、その場にいた全員が驚いた。ザフトの最新鋭の対EMP装備が施されている自
分たちの機体でさえ、まだ動く事が出来ないのに、なぜ?
 驚くザフト一同の前で、シャドウは立ち上がった。そして、砂の中に埋もれていた≪ドラグレイ・
キル≫を、再び掴み取る。
「うっ…か、はあっ……」
 雄々しく立ち上がったシャドウとは反対に、操縦席のガーネットは地獄を見ていた。目からはボ
ロボロと涙が溢れ、口からはヨダレを垂れ流し、異常なまでの激痛が全身を襲う。体中の神経
や細胞が悲鳴を上げているようだ。
 頭が、いや、脳が痛い。視覚や聴覚などの感覚が、鋭くなっていくのが分かるが、見たくないも
のや聞きたくない音まで、無理やり体の中に入ってくる。世界の全てを知り、世界の全てから覗
かれているような恐怖と嫌悪感。
『さ、さすがに5番まで使うと、ちょっとキツ過ぎるか……』
 長時間は無理だ。一気に、そして一撃で決める。
 トゥエルブによって肉体の限界以上に研ぎ澄まされた感覚を総動員して、敵の位置を探る。カ
メラもレーダーも音響センサーも使えないが、今のガーネットにはそんな物は必要ない。全て自
分の力だけで『分かる』。
「み、見つけた……! へえ、随分と遠くにいるじゃない……」
 激痛を堪えるために奥歯を噛み締めながら、ガーネットはその位置に向かって≪ドラグレイ・
キル≫を放り投げた。全長20メートル以上の巨大な槍が、まるで弾丸のごとき超スピードで空
を飛ぶ。そして、その着地地点にはガーネットの予測どおり、ゴールドスナイパーがいた。
 槍はゴールドスナイパーに命中。ゴールドスナイパーの胴体を貫き、爆発四散させた。爆炎に
包まれる愛機の中で、ギアボルトは逃げ出そうともせず、考えていた。
 シャドウが立ち上がった時、彼女は怖くなった。シャドウと、あの機体を立たせたパイロットに恐
怖した。感情というものを失ったギアボルトでさえ恐れるほどの存在。あれはダメだ。強すぎる。
怖すぎる。
「隊長、あのモビルスーツはダメです。あれは悪魔、もしくは神。人の敵う相手ではありません」
 ギアボルトは、そう呟いた。それが彼女の最後の言葉だった。何よりも誰よりも敬愛する主の
忠実な歯車として生きた少女の遺言は、残念ながら、彼女の主には届く事はなかった。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…」
 一方、最大の障害だったゴールドスナイパーを粉砕したガーネットだったが、その肉体は非常
に危険な状態だった。思考能力が薄れ、眼は虚ろ。耳からは血が流れている。
『ヤバいわね、これは……。急いで、残りの奴らを片付けないと』
 そう思った瞬間、
「でやああああああっ!」
 背後からフォルドのゴールドハンマーが攻撃してきた。その鉄球をギリギリでかわす。
「てめえ、よくもギアボルトを!」
 続いてゴールドクローとゴールドウィップの攻撃。ビャッコやジュリエッタ姉妹のディンも動き出
した。クルーゼのディンも、再び空に飛ぶ。
 どうやらバアルの有効時間が切れたようだ。もっとも、それはガーネットにとっても、ありがたい
事だった。もうトゥエルブを無理に使わなくても、シャドウを動かせるのだ。早速、トゥエルブを停
止させる。唾や血を拭い取り、≪アーマーシュナイダー≫を取り出し、戦闘準備に入る。
「ガー…ト……、ガーネ……。応答…て…」
「アキナ!」
 つい数分前に分かれたばかりなのに、妙に懐かしく感じる。久しぶりに聞く友の声は、ガーネッ
トの疲労を少しだけ癒してくれた。
「待ってな。すぐに終わらせてやるから。そして二人で、アフリカに行こう」
「ガー…ット……。逃げ…て……」
 電波状況がまだ悪いのか、はっきり通信できない。機体もカメラアイは復活したが、レーダー
や音響センサーは作動しない。電磁波の影響を最も受けてしまう箇所だからダメージも大きく、
復活には時間がかかるのだろう。だが、それは敵も同じ。条件は五分と五分だ。
「行くよ、クルーゼ! 下らない罠に引っ掛けてくれた礼はさせてもらう!」
 シャドウ、疾走。クルーゼのディンに飛び掛ろうとしたその瞬間、
「! うわっ!」
 突然、予想外の方向からの銃撃。吹き飛ばされて、地に伏せるシャドウの上空を、ザフトのサ
ブフライトシステム・グゥルが飛んでいく。そして、そこから降りてきたのは、
「ふん。久しぶりだな、ガーネット・バーネット! この裏切り女が!」
 イザーク・ジュールのデュエルアサルトシュラウドと、
「ホント、久しぶりだねえ、ガーネットさん。再会祝いのプレゼント、気に入ってくれたかな?」
 ディアッカ・エルスマンのバスター。さらにディンが五機。クルーゼが手配していたジブラルタル
基地からの援軍だ。
「遅かったな、イザーク、ディアッカ」
「はっ、申し訳ありません、クルーゼ隊長。ジブラルタル基地がバルトフェルド隊の壊滅の後始末
で混乱して、隊の編成に手間取りまして」
「この前はしくじりましたけど、今日は違いますよ。隊長の期待に応えてみせます」
「ああ、期待している」
 二重、三重に張り巡らせれた罠。自画自賛したくなるほど、クルーゼの罠は完璧だった。一分
の隙も無い。
「…………………」
 総勢十四機もの敵に、ストライクシャドウは完全に取り囲まれた。逃げ場は無い上に、シャドウ
のエネルギーも長くは持たない。しかも相手は、
「こういう大勢でなぶり殺すようなやり方は、好きじゃないんだけど…」
「この際、しょーがないわよ。コイツ、強すぎるし。みんなで力を合わせて、さっさと始末しちゃいま
しょう」
 双翼の死天使、ルミナ・ジュリエッタとカノン・ジュリエッタ。
「俺のアシストするっていうなら、手伝わせてやってもいいぜ。けど、俺の邪魔はするんじゃねえ
ぞ! この女にトドメ刺すのは俺だ!」
 ホワイトバーサーカー、ロディア・ガラゴ。
「分かっているな、サラ、フォルド。ゴールド・ゴーストの名にかけて、この女は俺たちが倒す!」
「はい、隊長」
「おおよ!」
 レオン・クレイズ、サキ・アサヤマ、フォルド・アドラスのゴールド・ゴースト隊。
「俺が本当に仕留めたいのは、白いストライクなんだが、まあいい。今日は貴様で我慢してやろ
う、裏切り者のガーネット・バーネット!」
 イザーク・ジュール。
「ああ。さっさと片付けようぜ」
 ディアッカ・エルスマン。そして、
「油断はするなよ。確実に息の根を止めろ」
 ラウ・ル・クルーゼ。
 どいつもこいつも、敵味方問わず名の知れたエースパイロットたちだ。
「私一人のためだけに、よくもまあ、これだけの奴らが集まったものだね。………………けど、
お生憎様。私は死なないよ。あんたたち全員ブッ倒して、絶対に生き延びる!」
 ガーネットは覚悟を決めた。危険だが、いざとなればトゥエルブを再起動させてでも、この包囲
網を突破する。
「ガーネット、応答して、ガーネット!」
 覚悟を決めた途端、無線機からアキナの声がした。いや、実は今までアキナはずっと無線を
送っていたのだが、戦場に心を奪われていたガーネットの耳には入っていなかったのだ。
「ああ、アキナか。心配しなくても、私なら大丈夫だ。こんな奴ら、一瞬で片付けて…」
「ガーネット、大丈夫よ、もう大丈夫なのよ! 私たち、もう大丈夫なのよ!」
 無線機の向こうにいるアキナは興奮しているのか、こちらからの言葉が耳に入っていないよう
だ。
「? ちょっとアキナ、あんた何を言って…」
 その時、ようやく復活したシャドウのレーダーが、新たな機影を捉えた。同時に、謎の閃光が上
空のディンを貫く。
「!」
「何!」
 ガーネットもクルーゼも驚く。砂漠の彼方から放たれた閃光は、一度だけではなく、次々と放た
れ、ディンを撃墜する。
「こ、これは一体…!?」
 珍しくうろたえるクルーゼのディンにも、閃光が襲い掛かる。かわしたディンのすぐ側を、青と白
に塗り分けられた戦闘機が飛んでいく。
「レーダーは……ええい、まだダメか! だが、あれはまさか…!」
 地球連合軍の複座型戦闘機、スカイグラスパー。そのパイロットはクルーゼの宿敵、
「よお、お嬢ちゃん! 久しぶりの再会が戦場でとは、あんたらしいといえばらしいかな?」
「フラガ少佐!」
 無線機から聞こえたのは、懐かしい男の声。エンデュミオンの鷹、ムウ・ラ・フラガの声だ。
「ど、どうしてここに…」
「おいおい、あれだけガンガン救難信号出していれば、誰でも気付くっての。それから、来たのは
俺だけじゃないぜ。ほうら、真打ち登場だ!」
 砂塵の向こうから新たに現れたのは白いモビルスーツ。シャドウと同じ姿をした、いわば兄弟
機。赤い翼を背に付けたその機体は……!
「こちら、ストライク、キラ・ヤマト! お久しぶりです、ガーネットさん!」
「キラ! 無事だったか!」
「ええ、アークエンジェルのみんなも無事です。それから、新しい仲間も来てくれましたよ!」
 ストライクの後方から、四機の戦闘機が飛んできた。一機はフラガのスカイグラスパーの同型
機。残り三機は、それぞれ赤、緑、黄色に塗装されている。クラウドウィナーという、スカイグラス
パーとは別タイプの戦闘機だ。
「あの黒いのが、キラ君の言ってたストライクシャドウか。あれだけの敵を相手によく持ちこたえ
たものだ」
 赤いクラウドウィナー、1号機のパイロット、ライズ・アウトレンが言う。
「『漆黒のヴァルキュリア』、ガーネット・バーネット。噂以上の凄腕らしいわね」
 黄色に塗られたクラウドウィナー2号機のパイロット、イリア・アースが冷静に分析する。
「カガリ様、無理しないでくださいね。カガリ様の操縦テクは確かに上達してますけど、それでもま
だまだ新米さんなんですから」
 緑のクラウドウィナー、3号機のパイロット、アルル・リデェルは、少し後ろを飛んでいるスカイグ
ラスパー2号機に通信を入れる。
「だ、大丈夫だ! 私だって、これくらいできる!」
 カガリ・ユラ・アスハの強がりとしか思えない言葉に、アルルは苦笑し、イリアはため息をつく。
「よし、それじゃあ行くぞ! カガリ様も着いて来てください!」
「あ、ああ。分かった、ライズ!」
 四機の戦闘機は先行していたフラガのスカイグラスパーと合流、次々と一般兵のディンを打ち
落とし、ジュリエッタ姉妹のディンをも翻弄する。さらに地上の敵にも攻撃、キラとガーネットを援
護する。
 キラのエールストライクも大奮戦。復讐に燃えるイザークのデュエルの腕をビームサーベルで
切断。ゴールド・ゴーストの三機とも、互角以上に渡り合う。
「バ、バカな、腑抜けの地球軍に、ガーネット以外にもこれ程のパイロットがいるとは!」
 青ざめるレオン。サラやフォルドも同様だった。後方支援の要であるギアボルトを失った事で、
ゴールド・ゴーストの戦闘力は半減していたが、それを差し引いても、キラは強かった。
「腕を上げたじゃないか、キラ。私も負けてられないね……!」
 味方が駆けつけた事でガーネットも意気も上がった。ロディアのビャッコの牙を≪アーマーシュ
ナイダー≫で切り落とし、ディアッカのバスターを殴り飛ばす。
「バ、バカな、私の完璧な罠が…」
 唇を噛み締めるクルーゼに、さらに悪い情報が伝わる。ようやく復活したレーダーが、こちらに
接近するアークエンジェルを捉えたのだ。
「足付きも近づいているのか……。ええい、全機、撤退……!」
 不利を悟ったクルーゼの命令が各機に伝わる。まさか、この言葉を口にするとは思わなかっ
た。屈辱だった。



 長かった一日が終わり、夕日が沈む。赤く染まった空の下で、ガーネットはキラと握手した。
「おかえりなさい、ガーネットさん」
「…………ただいま」
 それは、ガーネットが心から望んでいた光景だった。マリューやナタル、他のクルーも艦から降
りてきて、ガーネットとアキナの無事を喜んでくれた。
 素晴らしき再会。
 だが、ガーネットとアキナの心は重い。
『フレイ……』
 一緒にこの場にいたかった。一緒に喜びたかった。
 いや、いつか必ず助け出してみせる。そして、手を取り合って、一緒に笑うんだ……!

(2003・7/26掲載)
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